8人が本棚に入れています
本棚に追加
ロイヤル
食後には、ロイヤルミルクティー。
これは私達夫婦が結婚してからもう40年も続く習慣だ。
貞夫さんと私は、ロイヤルバターを塗ったロイヤルバゲットの朝食を摂ると、向かい合ってカップの中の液体をすすっている。
食卓の窓の外は五月の海。今日は穏やかな波の音。
ネルシャツを着た3つ年上の白髪頭の貞夫さんはもう75歳。ちん、と鼻をかんでいる。ティッシュも勿論、ロイヤルホワイト。柔らかくて肌に優しい。
「光子。どうする?時間までちょっと暇だね。ポーカーでもするか?」
「いいですけど」
こうして私たちはポーカーを始めた。
マッチ棒一本が10ロイヤル。
10ロイヤルのレートは日本円で10円。
「凝りませんね、貞夫さん。私に勝ったことなんて殆どないのに」
「挑戦するのに意義があるってことは沢山あるんだよ」
「じゃ。30ロイヤルで。マッチ棒三本です」
「乗った」
オープン。私のカードはフルハウス。貞夫さんは2のワンペアー。
「ははは。私の勝ちです」
「僕は下手だね」
「よくそれで勝負しようと思いましたね」
「たまたま手の中にあったからさ」
貞夫さんは常にロイヤルストレートフラッシュ狙い。ポーカーは心理戦。そんなんじゃポーカーで勝てるわけがないのだ。
「貞夫さんは、ロイヤル、ロイヤル。みんなロイヤル」
「癖だよ癖。好きなんだ。ロイヤル」
貞夫さんが所望するものはみんなロイヤル。
クッキー、チョコ、ケーキ、アイス、おかきからお煎餅まで。
ビール、ウイスキー、ワイン、ジュースに栄養ドリンク。
化粧品も、保険も、泊るホテルもロイヤル。
ロイヤルと名がついて少し値が張るものもあるけれど、むしろロイヤルの方が安いものもあって、面白い。そんな風な商品選びを私たちは楽しんだ。所謂ちょっとした癖。
貞夫さんが定年退職を迎え、この海辺の家に越してくる前に住んでいたマンションもロイヤルだった。今は「渡辺」と表札のある一軒家だけど。
「光子には変なことにつき合わせてしまって」
「面白いですよ。ロイヤル」
「いや、そっちじゃなく」
「ああ。まあね」
貞夫さんは窓の外を見た。私も同じように窓の外を見た。
そこには穏やかな海があった。
貞夫さんは反対側の窓の外を見た。私も同じように反対側の窓の外を見た。
そこには50メートルほど先に、陽光を照らした漁村の民家が並んでいる。
しかし、その手前は、ブイの浮かぶやっぱり穏やかな海だった。
そう。この家は、周囲を海に囲まれた私たちの島なのだ。
「まさか島暮らしになるとはね」
「行政がひどすぎましたね」
私たちが住み始めた頃、ここは砂州で陸地とひとつながりだったのだけれど、市の海浜開発で近くの海に埋め立てがあり、その際ここの砂を一部利用した。勿論市は砂州を壊すつもりはなかったようだけれど、一度流出し始めた砂は波にさらわれ、あっと言う間に私たちの家は陸との間を分断されてしまったのだった。その際、市から与えられたものは、わずかの賠償金と陸地との間を往復するためのボートのみ。
「まあ。これでも生活はできるんだけどね。あ、電話だ」
電話の着信音が鳴っている。時間は約束の11時になっていた。
貞夫さんは通話口に出て、三往復ばかりの短い会話を終えると静かに電話を切った。
「ホントに来たんですね、首相からの電話」
「うん。交渉するなら首相、ってこっちから言ったからね」
「今の電話が交渉?交渉なんてしてなかったじゃないですか、貞夫さん」
「ははは。誰が交渉しても無駄ってことだよ。腹は決まってる」
「なんて言ってました?首相」
「子供じみたことはやめろだと」
「ああ。まあ、そうですよね」
「税金で食ってる奴らの言うことなんてそんなもんだよ」
「いやいや。あのね。でも、かっこよかったですよ、貞夫さん」
「そう?」
「はい」
貞夫さんは今の電話で、首相に向かい、「渡辺王国」の建国を宣言したのだった。この国の束縛から離れた私達二人だけの独立国「渡辺王国」。
「僕は今日から王様。キング。ここはロイヤルファミリーの家。そして光子さんは」
「クイーンですか」
「はい。おめでとうございます」
「はあ」
「どうしました?」
「あのね。これ何日位持つんですかね。「渡辺王国」」
「さあ。向こうもいつまでもほうって置かないでしょうね」
「はやくもとに戻らないかしら」
「え?なんで?」
「病院も行かないとならないし、スーパーも、フィットネスも。図書館にも本を返しに行かないと」
「あ。そっか」
「それに」
「それに?」
「貞夫さんとファミレス行きたいですもん。いつものロイヤルホスト」
最初のコメントを投稿しよう!