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『第2話:愛情の度合』
目の前のカップの中で、赤い茶葉から抽出された液体が波紋を描いている。
品の良い円卓を左から、斎磨、萌樹、三織、そして乃亜。四人でようやく取り囲んだテーブルは、この三日で初めて乃亜の希望の形を成し遂げていた。
「さて、こうして乃亜のお願いで三人そろったわけですが」
萌樹の声が部屋の空気に波紋を浮かべる。
窓の外に見える灰色の空は今にも雨が降りそうな様子を映し出し、部屋の暗さを数段階下げている。ごろごろと暗雲の立ち込める湿気が迫っているが、乃亜にとっては外の天気などどうでもよかった。
ようやく三人がそろい、夢のような光景が目の前に広がっている。
今すぐ三人の首に牙をたてて、その血を味わい尽くしたい。けれど、不穏な空気は乃亜にそれを許さなかった。
「俺は乃亜を独占したい」
「ちょっと待った、斎磨くんがそれを言うならオレだってそうだよ」
斎磨の発言に異議を唱えた三織の声が、カップを掴もうとした手を挙げている。
「一目見た時から、あ、欲しいって思ったからね。あの顔、反応、声。どれをとっても最高の素材、他は飲んだことないけど、たぶん血も最上級のはず。オレの本能がそう言ってる。あと、おまけにこの無防備さ」
「同じ目を持っているだけに、その気持ちが痛いほどわかるのがイヤですね」
「萌樹くん。それは褒め言葉として、もらっちゃってもいいかなぁ?」
「支配欲も独占欲も強い三人が仲良くできると思うか?」
「でも乃亜ちゃんは三人を望んでるんでしょ?」
「え?」
「乃亜、話はきちんと聞きましょうか」
「あ、ごめんなさい」
彼らがそろって話をしていても、正直何も耳に入ってこない。
どの場所に牙を突き立てれば美味しくいただけるだろうかと、空腹が見せる余計な世界が乃亜の脳を彼らの会話から遠ざけていた。
「そんなにお腹がすきましたか?」
「えっ、あっ、はい」
さすがに下から覗き込まれるように見られては意識が向く。
「乃亜は誰を望みます?」
萌樹に問われて、乃亜は少し照れたように言葉を吐き出す。
「私は、みんなが欲しい」
みんなイイ匂いがするから、順番に味わいたい。順番が難しいなら一度にだって食べられる自信がある。
今までだってそうしてきた。
欲しいだけ貪り、飽きるまで飲むだけ。それが、もう三日も食べずに過ごしてきたのだ。考えるだけで牙が疼くと、乃亜は目を輝かせて三人を見つめていた。
「あくまで三人を望む、か」
「ボクは別にかまいませんよ。独占出来ないのであれば共有するしか道はないでしょう。それに、可哀想な女の子を多くで慰めるのは悪いとは思いません」
「あはは、萌樹くんの言葉って本当刺さるわー。でも、ひとつ気になってることがあるんだけど。乃亜ちゃんって、オレらのこと、今までの人形と違うってわかってんのかなぁ。百歩譲って、斎磨くんと萌樹くんは受け入れるとして、他に連れてきましたぁ、なんて言われた日には、不死の国で初めて死者を出しちゃうかもしんない。ねっ、乃亜ちゃん?」
「え?」
「さっきから、だんまり決め込んじゃってさ。せっかく可愛い声してるんだから、もっと喋りなよ」
「確認など必要か?」
「斎磨くん、それがオレの信条なんですけどー」
ふっと鼻で笑った斎磨の指先が、テーブルに置いたカップから離れて乃亜の方に伸びてくる。
「お前の瞳に、もう他を映すな。返事は?」
紅茶を飲んでいたはずの口の中が、乾燥するほど乾いていくのを感じてしまう。
「はい」
そう返事をしたはずなのに、これはいったいどういうことだろう。
気づけば窓の外は怖いほどの雨が降っている。ようやく話し合いも終わり、これからだと思った矢先、乃亜は三人を仰ぎ見るように椅子にへばりついていた。
「やっ、その薬、やだぁ」
「大丈夫、大丈夫。昨日飲ませたものから、ちゃんと改良してあるから」
「私は血が飲みたいの。それじゃない」
いつの間にそういう話になったのか、乃亜以外の全員が同じ意見を共有している。
三織の研究室にあった薬が、この相部屋にあるのにも驚いたが、全員がそれを飲ませようと一致団結している方がもっと驚く。何がどうしてこうなったのか、一人理解できない乃亜だけが、駄々をこねるように拒否を叫んでいた。
「乃亜、うるさいですよ。お腹がすくと脳が幼稚化するのでしょうか?」
困りましたねと、まったく困っていなさそうな声を吐いた萌樹を乃亜はにらむ。
わかっていたことだが、効果はなく、むしろにこりと嬉しそうに微笑まれた。
「まずはボクたちの血を飲めるということが、どういう意味を持っているか。根本から教えてあげなければ」
「ほらほら、乃亜ちゃん。お利口さんに出来たらお腹いっぱい飲めるかもしれないよぉ?」
「節操のない子を育てるのは大変ですが、ありがたいことに時間は沢山あります」
「ああ、そうだな」
パシンと、耳慣れない音が聞こえてくる。
悪い予感は当たるもので、乃亜は青ざめたように斎磨の手に握られたムチを見て事情を把握した。
「主人が誰か、おねだりの仕方から躾けてやろう」
三人を相手に抵抗は無意味。
わかっていても飲まされた薬は毒薬以外の何でもなく、乃亜は昨日と変わらない痺れを持つ体を恨めしそうに横たえていた。違うことは横たえる先がソファーの上で、頭を斎磨の太ももに乗せているということ。
「飲みたくないって…っ…言ったの…に」
「ごめんねぇ、やっぱりまだ無理か。あ、でもわかったかも」
「今回は喋れるようですね」
何が嬉しいのか、紅茶をやめてコーヒーを入れなおした萌樹の笑顔は出来ることなら見たくない。事態は悪い方向にしか転がらず、斎磨は鞭を楽しそうに振り回しながら、時々乃亜の麻痺具合を確かめるようにその端で叩いてくる。
「痛みがないうちに、体に教え込んでおくのも悪くない」
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