私を今すぐ思い出して

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高校に入学すると奴はいた。 前世で私を殺した勇者。 生まれた時からこの記憶に苦しんできた。 前世の私は悪逆非道の限りを尽くす魔王だった。 沢山の人を苦しめ、私のせいで沢山死んだ。 現在の私は田舎の冴えない女子高生。 でもこれでいい。 過去を思えば有り得ない好待遇だ。 治安のいい国に生まれ、両親は優しく心から私を愛してくれている、姉と妹も犬までいる。 友達もいるし、部活も楽しい。 平穏で穏やかな日常が続いている。 恵まれすぎて恐ろしいくらいだ。 来世はきっと悍ましい程苦しむに違いない。 そうじゃないと帳尻が合わない。 それよりも私を苦しめるのは、奴が、勇者が私のことを憶えていないことだった。 私は一目でわかったのに。 前世の奴はよく喋る男だった。 喧しくって、うっとうしい男だった。 何より奴は正義を信じていたし、誰もが分かり合い手を取りあえると言った。 見た目はまるで変ってないのに、今の奴は陰鬱で、この世の行方など少しも気にしている様に見えない。 時間が過ぎるのをただ待っている、そんな風に見えるのだ。 あの腹立たしいまでの輝きは何処へ行ってしまったのか。 私は未だに奴に話しかけることができない。 憶えてないと断言されるのが怖い。 私は忘れたことなんて一度もなかった。 奴を夢に見ない日はなかった。 私はずっと待っていた、奴に会える日を今か今かと待ち焦がれていたのだ。 奴に会いたかった。 また私を追いかけて欲しかった。 あの時みたいに城の最上階まで登って来て欲しかった。 向かい合って、またあの自信に満ち溢れたこの世の善と悪を全て受け止めようとするかのような瞳で私を射抜いて欲しかった。 いっそ、憎悪を向けて欲しい。 今度は私が見上げるから、私のことを見下ろして。 あの時の貴方にもう一度会いたい。 今度は追いかけろっていうことね。 私は心の中で「佐藤君」と呼びかける。 声に出せるだろうか。 何を話せばいいんだろう。 私にまるで興味のない男に。 本当に可笑しいわ。 前世では私彼の名前すら知らなかったのに。
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