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生傷を深く、えぐられた気分だった。
「……え?」
思わず眉をひそめながら訊き返すと、まるで叱られた子供みたいに、僕から逸らした視線を泳がせている。
「冗談、ですよね? さすがに……笑えないですけど」
冗談なんか、言う人じゃない。
分かってはいたが、訊かずにはいられなかった。
狐洞さんは顔をうつむかせて、唇をキュッと結んでいる。
「えっと、あの出来事をそのまま書くつもりですか?」
そう訊くと、狐洞さんが顔を上げた。
「いえ……もちろん……あくまでも……フィクション……として」
狐洞さんは、頭から離れない出来事を小説として、ずっと書きたかったそうだ。
「さすがに、あのままだと僕も……美波も困ります」
僕だけの問題ではない。
万が一、美波が小説を読んだら、それこそ大変なことになる。
今はまだ大人しくしているが、一皮剥いたら醜い悪魔の顔を持つ女だ。
この狐洞さんに、何をするか分からない。
それに、僕は……完成した小説を平常心で読めるだろうか。
「すみません……すみません。もちろん……大きく……脚色……します。ですから……」
狐洞さんの書きたいという、素直な欲望が伝わってくる。
世に放ちたくてたまらなかった思いを、これまで必死に抑えてきたのだろう。
六年の月日が経って、僕に打診してきたのがその証拠だ。
「分かりました。ただし……条件が二つあります」
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