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試食会
「飯野君。今週の土曜日、空いてる?」
大学で講義が終わったあと、園田和香から声を掛けられた。
凛とした顔立ちで、長いストレートの黒髪がよく似合う美人だ。
いつも明るく、笑うと愛嬌のある笑顔に、僕は密かに想いを寄せていた。
大学では遠くから見つめるだけで、これまで話したことは一度もなかった。
緊張で目も合わせられず、つい視線が泳いでしまう。
「……あ、空いてるけど」
土曜はコンビニのバイトが入っていた。
だけど、これは緊急事態だ。
今まで遅刻や欠勤もなく、シフト通りに真面目に働いてきた。
彼女の用事は分からないけれど、店長は許してくれるはず。
「あのね、嘉庭教授が日曜にディナーパーティーを開くんだけど、その試食会を土曜にやるから飯野君を誘ってきて、って頼まれたの」
「……え? ぼ、僕?」
思わず、声が裏返ってしまった。
目が合うと、彼女は微笑みながら頷いた。
眩しすぎる笑顔に、行き場のない視線が宙で迷う。
「私、お手伝いで土曜も行くの。飯野君、来れる?」
彼女は首を傾げながら、僕の顔を覗き込んできた。
嘉庭教授の講義は受けているけれど、どうして僕なんだろう?
いや、理由なんてどうでもいい。
このチャンスを逃したら、彼女と話ができる機会は二度とない。
「うん、行くよ。僕で……よければ」
「ありがとう! コレ、教授の家の住所ね」
受け取ったメモは、ほんのりと甘い、爽やかな香りがした。
彼女の残り香と同じだ。
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