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五日目 騎士団と眠れる美しい人
「ここね」
辻馬車を降り、石を積み上げた塀が続く道を歩いていると、人が集まっているのが見えた。よく見ると若い女性が多い。
門の前には衛兵が立ち、女性たちは遠巻きに誰かを待っているようだ。
(騎士団員の人気って本当にすごいわね)
警邏に出てくる騎士を待っているのだろう、手にプレゼントらしきものを持っている人もいる。
(これじゃあ、私一人で行っても怪しまれるに決まってるわね)
騎士団の場所を聞くと、マーガレットがあれこれと教えてくれたけれど、初めはよく分からなかった。行けば分かる、と笑ったマーガレットとブランディス卿の笑顔の意味が今なら分かる。
「すみません」
門の前に立つ衛兵に声を掛けると、衛兵はあからさまに胡乱気な視線を私に向けた。
気持ちは分かるけど、怪しい者じゃありませんから!
コホン、と咳払いをして衛兵に笑顔で話しかける。
「こちらのマリウス・ビューロウ副長と面会をお願いしたくて来ました、アメリア・バーセルと申します。イヴァン・ブランディス卿の紹介状も持っています」
マーガレットが用意してくれたブランディス卿の署名と家印入りの封書を衛兵に渡すと、その印を見て衛兵が慌てて中へ駆けて行った。
ブランディス卿は騎士団に所属していたことがあり、今も仕事の関係で騎士団とつながりがあるのだとか。
使えるものは使う。
これも優秀な経営者の成せる技よね。マーガレットの知恵だけれど。
背後から痛いほど女性たちの視線が刺さるけれど、絶対に目を合わせちゃ駄目だと本能が言っている。
「お待たせしました、どうぞ」
走り戻ってきた衛兵に案内されて、背中に痛いほどの視線を浴びながら、不安が押し寄せる気持ちを抱え、堅固な門をくぐった。
*
「ああ、貴女でしたか!」
衛兵に案内されラウンジのテーブルで腰掛けていると、一人の騎士が私の姿を見て笑顔を見せた。
「あ、ええと……」
(誰だったかしら、会ったことある?)
立ち上がると騎士はさっと手を差し出し、握手を交わした。
「いや、初めましてと言うか、貴女とマリウスが追いかけっこをしていたのを見ただけなんですけど」
「……っ、え、あ!」
回廊ですれ違った騎士の一人だろう。
あれを見られていた挙句、顔を覚えられているなんて!
恥ずかしさに顔を熱くすると、騎士は声を上げて笑った。
「あのマリウスからあんなに逃げる女性は初めて見たものですから。いやあ、足が速いですね!」
「……お恥ずかしいですわ」
変な覚えられ方をしてしまった。もう取り返しはつかないけれど。悪気はないのだろう、クツクツと肩を揺らしながら騎士は笑顔を見せた。
「皆でね、噂をしていたんですよ。マリウスが睡眠を削ってでも会いたがる女性とはどんな人かって。まさかあんなに必死になって女性を追いかける奴の姿を見ることが出来るとは思わなかったんで、すみません、初対面なのについ」
「忘れて頂けると嬉しいです」
「はははっ」
騎士は声を上げて笑うと、ふむ、と自分の顎に手を掛けた。
「マリウスは今、仮眠室で仮眠を取っているんですよ」
「仮眠室」
「ええ。今朝まで警護についていて、この後また勤務が続くんです。声を掛けたんですが起きなくて」
「そう、ですか」
「ええ。あ、アイツ一回寝ると中々起きないんです。どうしますか? なんなら引きずって来てもいいんですが」
「いいえ! あの、そこまでは」
顔を合わせるのを躊躇っていたせいか、寝ていると聞いて何となくホッとする。
でも、じゃあ、せめて……。
「あの、その仮眠室に案内していただけますか?」
騎士に案内され、個室だという仮眠室にやって来た。騎士は「遠慮せず起こしてやってください」と笑顔で言うと、そのまま去って行った。
一人残された廊下でふうっと息を吐きだす。小さく「よし」と声に出して、把手に手をかけそっと扉を開けた。
中はそれほど広くなく、カーテンが閉められ薄暗い。静かに部屋に入り扉を閉めると、部屋の隅に置かれたベッドからすうすうと小さな寝息が聞こえて来た。壁には隊服のマントとジャケットが掛けられている。
静かにベッドに近付いて覗き込むと、マリウスが腕を組んだまま横向きに眠っていた。
その姿を見ただけで、胸がギュッと苦しくなる。
(無理して睡眠を削って、他の人と交代して時間を作って……私に、そんな価値があったのかしら)
それなのに、彼の言葉に返事もせず、酷い言葉をかけてしまった。
あの夜、黙って背を向けて去って行った彼は、もう私のことなんて何とも思っていないかもしれない。
(どんな顔をして会えばいいのかと思っていたけれど、眠っている時でよかったかもしれないわ)
そっとベッドに腰を下ろすと、ギシッと小さく音を立てた。マリウスが少しだけ身じろぎしたけれど、また小さく寝息を立て始めた。
眠るマリウスのふわふわの髪を撫でる。
彼のふわふわの髪を撫でるのが好きだ。もっと撫でていたいと思っていた。
撫でていると、マリウスの目許がふわりと緩んだ気がした。気持ちいいのだろうか。
(ふふ、本当に大きな犬みたいなんだから)
「……マリウス」
声に出して名を呼んでみる。自分の声が酷く掠れて、心許ない。
「マリウス、私、明日には王都を発つわ。領地に帰るの」
髪を撫でながらそっと耳を撫でる。ひんやりとした耳、白皙の肌、長い睫。美しくマリウスを形作るひとつひとつを、記憶に留めようとじっと見つめる。
「貴方と一緒にいるのは本当に楽しかったわ。すごく、居心地がよかった。……ずっと一緒にいたいくらい」
でも、どんなにマリウスの傍にいたいと願っても、それはどうしても叶わない。
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