五日目 騎士団と眠れる美しい人

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「貴方のために、私に出来ることがあるとしたら……」  それはやっぱり、マリウスとこのまま別れることだろう。彼の幸せを願うだけ。  身体を倒し、眠るマリウスの頬に掠めるように口付けを落とす。 「好きよ、マリウス」  小さく小さく、マリウスの耳に言葉を落とす。 「さよなら」  立ち上がり、ベッドから離れてもう一度振り返り、眠る彼の姿を見つめた。  カーテンの隙間から差し込む日の光が、眠る彼の姿を美しく浮かび上がらせる。 (最後に顔を見れてよかった)  把手に手をかけ、音を立てないようそっと扉を開けると、突然バンッと音を立てて扉が閉められた。 「!?」  視界が暗く影になり、背後から扉に押さえつけられるように大きなものが覆い被さる。  耳元で深く熱い息を吐かれ、熱い肌が触れる。 「アメリア」  マリウスが扉を片手で押さえ、抱き締めるように私の腰に腕を回した。 「ま、マリウス」 「……夢かと」  肩口に顔を埋め、マリウスは呻くように声を絞り出す。その震える声にぐっと喉が詰まるように苦しくなる。 「あ、あした、領地に帰るの。だから」 「会いに来てくれたんですか」    すり、とマリウスの高い鼻が耳朶を擽る。その刺激に思わず腰に回ったマリウスの腕に縋った。 「アメリア」  直接マリウスの声が耳に吹き込まれて、じわりと視界が滲んだ。 「貴方に、酷いことを言ったから……謝りたくて」 「そんな風に思っていません」 「でも……怒らせたでしょう、あの夜。黙って去って行ったから」 「違う! あれは……っ」  マリウスは扉を押さえていた手をギュッと握りしめ、はあっと深く息を吐き出した。背中に伝わる、早鐘のようなマリウスの鼓動が私にも伝染してくるようだ。 「急いでいたんです。……貴女が、決して折れないと分かったから」 「急ぐ?」 「そうです。僕は、僕のできることをしようと思って。貴女を納得させられるように、僕は動かなければならないから」  マリウスは扉を抑えていた手で私の頤を掴み、顔を覗き込んだ。   「……もう一度言ってください」    キラキラと光る湖面のような瞳が、逃すまいと私をじっと見つめている。 「謝罪ではなく、貴女が本当に言いたかったことを」 「マリウス」 「聞かせて、アメリア」 「……だめ」 「何故です? 僕は貴女のことが好きです」 「そ、そんなのおかしいわ。貴方にはもっと相応しい人がいるもの。伯爵家の貴方に相応しい、若くて美しくて相応しい人が」 「僕を形作るのは伯爵家でも、騎士でもありません」  マリウスが声を強めた。その勢いに思わず口を噤む。   「……他人の目に自分がどう映っているのは理解しています。これまでずっと、人の視線を煩わしいと思い、注目されるのを嫌ってきた。……けれどあの夜、一人夜空のようなドレスを身に纏い、堂々と立っていた貴女に、僕はとてつもなく心惹かれたんです。人々の好奇の目も気にせず、笑顔で、美しい振舞いだと思いました。そして話せば話すほど、貴女の明るさと自由さと、人生を楽しむその姿に、……とても惹かれたんです、アメリア」  一度も目を逸らさず、湖の底に燃え滾る情熱を潜ませて、マリウスはそう言葉を紡いだ。胸の奥がじわりと熱を持つ。そんな言葉を掛けられて、いつまでも逃げられるはずがない。  このまっすぐな言葉に対して、私もまっすぐに言葉で返さなければ。    一緒にいることが無理だとしても。この先のことを考えれば離れるのが最善だと思っていても。  それでもこの気持ちだけは、嘘偽りのない私の本当の気持ち。 『いたってシンプルな問いよ。彼のことが、好きなのか否か』   「……貴方が、好きよ、マリウス」  絞り出すように呟いた私の言葉を呑み込む様に、マリウスに唇を塞がれた。  熱い唇が柔らかく食み、唇を吸う。応えるように身体をマリウスに向けて、その首にしがみ付くと、マリウスの大きな掌が背中を撫で腰を強く引き寄せて、密着する身体の熱が気持ちいい。  激しく唇を貪り、割り入ってきた舌に自ら舌を絡め、その気持ちよさに思考がどんどん溺れていく。  やがて口端から、どちらのものか分からない唾液が流れた頃、背にした扉の向こうからドオンッと太鼓の音が響き、急に我に返った。慌ててマリウスの身体を押し返すと、マリウスが逃さないと言わんばかりにぎゅっと抱き締め、肩口に顔を埋めた。  しばらくそのまま固まっていると、マリウスがはあっと息を吐きだし天を仰いだ。   「……すみません、そろそろ交代の時間で」 「ご、ごめんなさい、私の方こそ……」 「謝らないでください。……すごく、嬉しいから」  ふふ、と声を漏らしたマリウスが、目許を赤く染めて私を上目遣いで見る。  やめて、その顔は本当にマーロウみたいだわ! 「あとで、タウンハウスへ行きます」 「え、でも」 「次の交代は夜中なので遅くなりますが……必ず、行きます。話したいことがあるから」 「……分かったわ」 「ねえ、アメリア」  マリウスが甘えるように額を合わせ、金色の前髪の向こうにある瞳を煌めかせて、私の瞳を覗き込む。 「もう一度、聞かせてください」 「な、何を……」 「好きです、アメリア。僕のことをどう思っていますか?」 「そ、そんな風に強請るなんてずるいわ!」 「どうして? 聞きたいだけです」  いたずらっ子のように瞳を輝かせて、けれどほんのり赤く染めた頬は喜色に溢れている。  ああもう、私はこの顔に弱いんだわ。 「……好きよ、マリウス」 「……もう一度」 「好きよ。貴方が好き。マリウス」  そう言って今度は私からマリウスの唇に口付けを落とす。 「……っ! ず、ずるいですアメリア!」 「貴方がそんなこと言わないで!」 「そんなことをされたら、離せなくなるじゃないですか!」 「駄目よ、任務なのでしょう」 「酷い!」  ぐりぐりと肩口に額を擦りつけ駄々をこねるマリウスに、思わず笑い声が漏れる。 「もう! くすぐったいったら!」  ちゅ、ちゅっと首筋に唇を這わせるマリウスの背中を叩くと、マリウスが不服そうに顔を上げた。   「……仕方ないですね。今はここまでで」  不穏な言葉を零し身体を離したマリウスは、壁に掛けてあったジャケットとマントをさっと羽織ると、渋々、ものすごく渋々、私を馬車停まで送ってくれたのだった。
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