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五日目 夜の訪問者
領地へ持って帰るお土産を買い、明日の帰り支度も終わった頃。
最後の夜はタウンハウスでイーサンと晩餐を楽しみ、私の王都での短いようで長い滞在期間が終わった。
明日、領地へと帰るだけだ。
(マリウスは、来るのかしら)
彼のことだ、来ると言ったのだからきっと来るのだろう。
そわそわと気持ちが落ち着かない。何度も窓の外を見ては、またすぐに手元の書類に目を落とす。
(若い娘じゃあるまいし、何をそんなにソワソワしているのかしら)
じわりと顔が熱くなるのを、水差しの水を飲み落ち着かせる。
マリウスは話したいことがあると言った。それは何だろう。
これからの私たちのこと?
気持ちを伝えあったけれど、だからどうするかまでは話していない。
窓の外から、コン、と小さな音がした。
慌てて窓に近付き外を見ると、薄暗い街灯の下で、騎士団の隊服のままのマリウスが私の顔を見て、あのふにゃりとした笑顔で片手を挙げた。
*
「すみません、あまりにも遅い時間になってしまったので、呼び鈴を押すか迷ってしまって」
タウンハウスへ招き入れると、小さな声でマリウスが謝りながら頬をぽりぽりと掻いた。
「いいのよ、お疲れ様。何か飲む?」
「いいえ、もう遅いですし」
応接室に案内しながら振り返ると、じっと見つめるマリウスと目が合った。
「な、なに?」
「聞きたい事があって」
マリウスの真剣な表情に思わず立ち止まり向き合うと、マリウスは私の手を取りふっと息をひとつ吐き出した。
「……マーロウって誰ですか?」
「…………え?」
「以前、舞踏会の日に言っていたじゃないですか。マーロウに会いたいって。それは、アメリアにとってどんな人ですか? 弟とかじゃないですよね、イーサンの兄上はそんな名前じゃなかったはずだ」
「ちょ、ちょっと待って……」
マーロウ? マーロウに会いたいって、口にしたことあったかしら。
マリウスはマーロウを誰かだと思ってる?
……妬いてるの?
言葉の意味を呑み込むと、途端にじわじわと込み上げてくるおかしさと嬉しさに、思わず口を手で覆う。
「アメリア?」
「そ、それはね……っ」
不安げな表情で私を見つめるマリウスの顔が、かわいく見えて仕方ない。その髪をわしゃわしゃと撫でまわしたい衝動に駆られる。
「ま、マーロウは、かわいくて甘えん坊で、私を見つけるといつだって遠くから走って来て……っ」
「アメリア?」
「ふっ、ふふっ! 貴方に似てるの」
「僕に?」
耐えられず、ぎゅうっとマリウスの身体に抱き着くと、訳が分からないままマリウスは私の背中に手を回した。見上げると、眉根を寄せたマリウスの困惑した顔。
「私の大好きな、黄金色のマーロウ。マーロウは忠実な私の愛犬よ!」
「……え!?」
私の言葉にマリウスは一瞬間をおいて、みるみる顔を赤くした。
「愛犬って、犬? 人じゃなくて?」
「そうよ! もう! ふ、ふふっ! マリウスったら!」
身体を揺らして笑う私を抱き締めながら、マリウスは何度も「犬? 犬?」と繰り返す。それがまたおかしくて、夜中だと言うのに笑いが込み上げてくる。
「よかった……よかった。よかったです!」
「きゃ……っ」
やっと言葉を呑み込んだのか、マリウスはそう言うと私を抱き上げた。
「アメリアに婚約者とか好きな人とか、そう言う人が領地にいるのかと思っていました!」
「い、いないわよ! じゃなければ貴方とあん、な……」
自分で言ってから、かあっと顔が熱くなった。言葉を濁していると、私を持ち上げるように抱えるマリウスが下から私の顔を見上げて来た。
「あんな?」
その顔は意地悪な顔だ。この顔もずるい!
「何でもないわ!」
プイっと横を向くと、マリウスの抑えた笑い声が聞こえてくる。
「……ねえ、アメリア。イーサンはどうしました?」
「ワインで酔っ払ってもう寝てるわ」
「そうですか。さっきの明かりがついていた窓は、アメリアの部屋?」
「そう、よ」
マリウスの言葉にその顔を見ると、じっと真剣な表情で私のことを見上げている。
「部屋に、行ってもいいですか」
そんな風に許可を取るなんて、ずるいと思う。
だって、私には到底、断れるはずがないんだから。
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