一日目 夜のコンサバトリーと愛犬マーロウ

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一日目 夜のコンサバトリーと愛犬マーロウ

「きゃ……っ」 「バーセル嬢!」  夜の薄暗い庭を歩いていると石畳に足を取られた。添えていた騎士マリウスの腕に力が入り転倒はしなかったけれど。 「大丈夫ですか?」 「だ、大丈夫、慣れていなくて」 「すみません、やはり正門から回った方が……」 「違うわ、道じゃなくて靴に!」 「え?」 「こんなヒールの高い靴に慣れていないの。領地ではいつも走りやすい靴だから疲れちゃって」 「走るのですか?」 「そう。動きやすくないと草花のお世話ができないもの」 「なるほど……あの、でもとりあえず、そこのベンチに座りましょう」  マリウスは生垣の傍のベンチに私を座らせると目の前に跪いた。   「ビューロウ卿!? そんなことしないで!」 「お怪我がないかだけ確認させてください」 「本当に大丈夫よ、痛くないわ!」 「……でも、これはダメみたいです」  マリウスが視線で示した先を見ると、右足のヒールが根元から取れかかっている。 「石畳の隙間に挟まって折れたのね」 「すみません、足元に気を付けていたつもりだったんですが」 「ビューロウ卿のせいではないわ。これはもう仕方ないから……」  靴を脱いでぶら下がっているだけのヒールをグイっと引っ張ると簡単に取れた。  マリウスが驚いて目を見張る。 「ビューロウ卿、もう片方のヒールを折ってくださる?」 「え?」 「裸足で歩くよりはましだわ」 「いやでも……僕が抱えて移動してもよろしければ」 「な、何言ってるの!」  いたって真面目な顔でそう言うマリウスに思わず顔が熱くなる。  真剣な眼差しで、上目遣いで見つめてくるマリウスに慌てて脱いだもう片方の靴を押し付けた。  そんな犬みたいな瞳で見ないで欲しい! 「……分かりました、では」  マリウスはそう言うと渋々、ものすごく渋々、いとも簡単にヒールを折った。どうしてそんなに嫌そうな顔をしてるのか分からない。 「ありがとう……って、ビューロウ卿待って、自分で履けるわ!」 「大丈夫です、お気になさらず」  マリウスは私の足をそっと壊れ物を扱うように持ち上げると、ヒールを折った靴を履かせてくれた。  もう色々気になるし何が大丈夫なのか分からない。 「あ、貴方は騎士なのだから……従者のようなことまでしなくていいのよ」 「普段からしている訳ではありませんよ」  マリウスは立ち上がりにっこりと笑うと、手を差し出した。手を載せ立ち上がると、多少ドレスは引きずるけれどものすごく歩きやすい。 「どうですか?」 「とっても歩きやすいわ! 生き返った気持ち」 「ふふっ! 生き返った」 「だって本当に足が痛かったんだもの! 世の中のご令嬢は毎日こんなものを履いてすごいわね」 「……素敵な靴なのに、僕のせいで申し訳ありません」 「いいのよ、修理にちゃんと出すわ。それにこのまま裸足で帰る方が問題だし、歩くのも楽になったからこれが最善よ。ありがとう、ビューロウ卿」 「……女性のヒールを折ってお礼を言われるなんて」 「貴方くらいでしょうね」  ははっとマリウスは声を上げて笑うと、諦めたのか仕切り直すように私に笑顔を向けた。 「では、改めて行きましょうか、バーセル嬢」 「アメリアでいいわ」 「え? そ、そういう訳にはいきません!」 「あら、私みたいな田舎の男爵家の女に気を使わなくていいのよ。ちょっと今年は頑張って王都まで来ただけだから」 「やはり秋の晩餐会は初めてでしたか」 「やはり?」 「はい。僕は毎年ここの警備にあたっていますが、バ……アメリア嬢は初めてお見かけした気がして」 「呼び捨てでいいのに」  正直、二十八歳にもなって嬢、なんて呼ばれるのはかなりくすぐったい。けれどマリウスは顔を赤くしてぶんぶんと横に大きく振った。   「そういう訳には!」 「そう?」  ここで押し問答をしても彼に敬称なしで呼ばせることは難しそう。  どうせ今だけだし、ちょっとそっとしておこう……。 「参加者の顔を全員覚えてるの?」 「あの、アメリア嬢はご入場された時からとても注目を浴びていましたから」 「まあ」 「濃紺の夜空みたいなドレスに金色のストールがとても美しいと思ったんです。背の高いアメリア嬢にぴったりだと、思って」  まさか男性にドレスを評されるとは思っていなかった。変わったものを見るような男性の視線しか感じなかったから。  嬉しくてつい顔がニヤけてしまう。どうしよう、嬉しいわ! 「ふふっ、ありがとう! よかったわ、ドレスが目立っていたのは分かっていたんだけれど、いい評価をいただけて嬉しいわ」 「本当に! その、とてもお似合いです」  恐らく顔が赤いのだろうマリウスは、俯いてぽりぽりと頬を掻く。 「これはね、領地のレースを使用したドレスなの。もっと色んな人に知ってもらいたくて、今年は晩餐会に参加してみたのよ。手応えがあってよかったわ」 「お一人で王都までいらしたのですか?」 「ええ、そうよ」 「あの……パートナーは」  確かに、私くらいの年齢ともなると夫を連れているのが普通。けれど、誰も伴わず一人で参加している私が目立つのも当然かしら。   「私は独身だし婚約者もいない職業婦人よ。そう言うビューロウ卿は? 婚約者はいらっしゃるの?」 「いえ、僕はまだ」 「まあ。でも貴方ならご令嬢たちから人気でしょうね」 「そんなことは」  またぽりぽりと頬を掻く。  騎士とは言え未婚の女性と暗い庭で二人で歩いていては醜聞が悪いけれど、見るからに年が離れているのだから、そんな心配もなさそうだ。中庭を歩いている最中に挨拶を交わした他の騎士や貴族たちも、不躾な視線で見てくるとこはなかった。  二人で他愛もない話をしていると、目の前が急に明るくなり黒い木々の間からガラスのコンサバトリーが現れた。
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