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 夢を読む。  それは幼い私にとって、ごく当たり前の日常生活の一環だった。  だってそうでしょう。目が見える子供は当たり前に目の前を飛ぶ蝶々を追いかけるし、耳が聞こえる子供は歌声が聴こえれば声の主を探す。それと同じこと。  その力が視力や聴力とはまったく異質の、特異なものであることに薄々気付き始めたのは、まだ幼稚園に通っている頃だったと思う。  「先生きのうの夜、お城みたいなおっきなケーキ食べたでしょ」  「ゆうすけ君、クリスマスじゃないのにサンタさんに会ってプレゼントたくさんもらってた」  「ひなちゃんはプールで泳ぎながらお菓子食べてたね。楽しそうだった」  「あかりちゃん、すごいね。何でわかるの?」  その日目覚める前に見た夢を正確に言い当てる私を、幼い友達は褒めそやして喜んだ。だから、毎日のように誰かの夢を読んでは披露して、自分の特殊な能力をひけらかしていた。大人達が居心地悪そうに眉間に皺を寄せていることには気付かなかった。  卒園間際のことだ。  通っていた園には若い男の先生がいた。その先生が三月で退職して実家のある地方に戻るという話を聞いた。地元で親族が幼稚園を経営しているので、いずれそちらを継ぐ為の経験を関東で数年積んでいたという事情だったらしい。  「ユミ先生も一緒に行くの?」  ユミ先生はその時担任をしていた、当時四十歳になるかどうかの未婚の先生だった。退職する健太先生は二十代半ば。ユミ先生とは単なる先輩後輩の関係だ。  的外れな私の質問に、ユミ先生は目尻の皺を引き攣らせた。  「何でそんなこと聞くの?行く訳ないでしょう」  「だってユミ先生、いつも健太先生の夢みてる。こないだもはだかんぼで健太先生とくっついて遊んでた。それってケッコンするってことでしょ?」  その瞬間、ユミ先生の顔がカッと赤黒く染まった。ぱっと腕を振り上げて、平手打ちの姿勢を取った。  あ、叩かれる。  そう思った私は咄嗟にぎゅっと目を瞑った。  けれど、ユミ先生は振り上げた腕をさっと下ろし、静かに目を逸らして重い溜息を吐いた。    「…そんなことしてないわ。灯里ちゃんの夢じゃない?いい加減な作り話を本当にあったことみたいにするなんて、悪い子がすることよ。灯里ちゃんがそんな悪い子だってパパやママが知ったら、恥ずかしくて悲しい気持ちになるんじゃないかな」  大好きな両親から恥と思われるほど、悪い子だったんだ。  ショックで情けない顔をした私に、ユミ先生は追い討ちをかける。  「そんな子は、お父さんやお母さんにも要らないって言われちゃうかもしれないね」  私は傷付き、その場でわんわん泣いた。ユミ先生は私に背を向けて、さりげなくその場から去った。別の先生が何事かと駆け寄ってきたが、泣いている理由は誰にも話さなかった。  私はその時、初めて悟った。  誰かの見た夢を人に話すのは、とても悪いことなのだと。    思い返せばそれまでにも何度も、こんな張り詰めた作り笑いを浮かべ誤魔化す大人達の顔を見た気がする。  ようやく気付いた私は、それから夢の話をするのをやめた。    それから、周囲の大人達は以前より私に優しくなった。  「最近夢のお話しないのね。作り話に飽きちゃったのかな。お姉ちゃんになったね」  そんなふうに言われた事もあった。その人が先生だったか友達の母親だったかは忘れたけれど、褒めている口調だった。  やっぱり夢の話は悪い子供がすることだったんだと、幼い私は改めて思った。  多分大人たちは、安堵していたのだと思う。幼児特有の妄言だと思いながらも、私の語る夢の話はいつも、同じ夢を見ていたかのように正確だったから。  夢は現実でもないのに、そこには誰かの秘密や願望、忘れられない記憶や捻じ曲げられた欲望が潜んでいる。  そんなものを暴露されたら、誰だってたまらない気持ちになるだろう。抱えるものが多くて複雑な、大人であればあるほど。
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