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夢の話をするのはやめたけれど、夢を覗き見るのはやめなかった。
正確に言うと、やめることが出来なかったのだ。
幼い頃は今よりずっと容易く、夢が読めてしまっていた。その頃は書架が見えることも本を開く必要もなく、私の意思はまるで関係なしに軽く目が合っただけで不意に映像が流れ込んで来ていた。目が合う度に毎回必ずという訳ではない。どういう規則性なのかはさっぱりわからないけれど、唐突に、誰かの夢は私の頭の中に現れた。避けようがなかったのだ。
見えるのだから仕方ない、それだけのこと。
私にとっては罪悪感を感じたり、善悪で判断するべき問題じゃなかった。
その考えが間違いだったと気付いたのは、小学生の時だ。
ある時期から急に、母親の夢に見知らぬ男性が頻繁に現れるようになった。
夢に見知らぬ人が出て来ること自体は珍しくもなんともない。親の交流関係など知る由もないのだから、むしろ私からしたら見知らぬ人だらけだ。
最初は母の昔の恋人か、片思いしていた人か何かだと思った。だって母の夢ではいつも、その男性は恋愛対象として出て来る。
けれどあまりに急激に、頻繁に登場し始めたので、さすがに不思議に思った。母と同年代くらいの、凛として精彩を放つその人のことを、母は夢の中でミフネ君と呼んでいた。
その頃、私は小四。女の子なら大人に片足を突っ込み始める年頃だ。
写真フォルダを見せてと適当な頼み事をして母のスマホを借りて、ミフネ君の連絡先があるのを見つけた。メッセージも写真もなかったけれど、母の登録数が少ないアドレス帳に美舟さんという名前を見つけた。ミフネ君が夢に現れ始める直前に、母が地元の同窓会に行って帰って来なかった日があったことを、しばらくして思い出した。母の実家を訪れた時に、高校の卒業アルバムを調べた。夢よりもずっと若くて華奢で、あどけなくて垢抜けないミフネ君がそこにいた。ミフネ君は美舟さんではなく、三船君だった。夢で見るミフネ君の面影は、充分にあった。
母の態度はいつもと変わらなかった。ただ、以前より丹念に肌の手入れやメイクをするようになり、時々帰りが遅くなることがあった。PTAの集まりだとかパート先の飲み会だとか、言い訳はその時々で違ったけれど。
私が小学五年生になった春には、母の夢は本当にミフネ君一色になっていた。それまでは私や父、母の身近な人や芸能人などもちゃんと夢に出て来ていたけれど、一切影を潜めた。
母とミフネ君の逢瀬を見るのは、夢とはいえ不快だった。夢の中の母は、私や父の前ではまるで見せない顔をしている。どこか甘えたような、いじましくも物欲しげな女の顔。
子供の私から見た両親は、特別不仲なようには見えなかった。一緒に食卓を囲み、他愛もない話をする。ごく普通の夫婦に見えた。だからこそ余計に、母がそんな顔を他所の男の人に向けていることが、父を騙して裏切っているように思えて、耐え難かった。
それでも私は、何も知らない振りをした。何も気付いていない振りをした。
ふと気付くと、母は小娘のように頬を染めてスマホを握りしめている。そういう時の母はどこか夢の中にいるような陶然とした顔をしていて、今にも別の世界にふわふわと流されて行ってしまいそうに見えた。
こちらの世界に繋ぎ止めたい一心で、一緒に出掛ける時は必ず手を繋いだ。もうとっくに、親と手を繋がなければ歩けない年齢を超えていたのに。
私はひたすら母に笑顔を向けて、母への愛情を大袈裟に伝えた。ママ大好き、いつもありがとう、ずっと一緒にいてね。上っ面の安っぽいおべっかを吐いて擦り寄る私を、母はどんな顔をして見ていただろう。もう思い出せない。
薄氷の上を歩くような緊張感に一人苛まされれる日々は、一年近く続いた。
母は結局、私の中学校入学を前に家を出た。
父は母が出て行った理由を語らなかった。
母も私には何も語らずに、行ってしまった。
私も何も言わなかった。聞かなかった。
だって私は知っていた。
母はもう随分前から、ミフネ君との新しい生活を始めていたようなものだった。夢の中では真新しいマンションの一室でミフネ君と新婚さながらの生活を始めていたし、夢から覚めている時も心ここにあらずで、出張中の父の留守を狙って何も言わずに外泊する事さえあった。
母が私達家族に興味を失っていることは、よくわかっていた。母はミフネ君に、文字通り夢中だったのだ。
私は自分の夢読みの力を恨んだ。
大好きだった母親の心から、日に日に自分が消えていく不安と恐れ。それは幼い私の心身を、少しずつ擦り減らし削り取っていった。
知りたくなかった。
見たくなかった。
母親が誰かと恋をしている姿なんて。
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