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 部屋に着く頃には二十二時を回っていた。  明日も仕事だし手短に済ませられる話でもない。また週末にでもゆっくり機会を設けようと私は言ったのだけれど、壱己は今がいいと言ってきかなかった。  「往生際悪いぞ。話すって決めたなら勿体ぶってないでさっさと言えよ」  高慢な言い草にむっとしたけど、実際壱己の言う通りだった。この()に及んでまだ、私は秘密を曝け出すことに二の足を踏んでいた。  「…私、夢が読めるの」  「あ?何が読めるって?」  「夢。人が眠る時に見る夢。ある程度の至近距離で相手とじっと目を合わせると、その人が見た夢が読める…見えるの。その状況になると私の意志に関係なく見えてしまう。小さい頃からそう。だから見ないようにするには目を逸らすしかなくて、それでずっと、誰とも目を合わせないようにしてた」  壱己は眉間に皺を寄せて首を傾げる。説明の意味がいまいち理解出来ない、と言いたい時の顔だ。昔一緒に勉強してた頃、よく見た顔だ。  「…でも読めるったって所詮夢だろ。心が読める訳じゃあるまいし、そこまで気にする事?」  「き、気にするよ。夢って現実とリンクしてること多いし、誰だって嫌でしょ。他人に頭の中覗かれてるみたいで」  「まぁ嫌がる奴もいるだろうけど…相手にはわかるの?お前に自分の見た夢を見られてる事」  「あ、ううん。相手は気付かないみたい。私も見えるだけで話しかけたりとかは出来ないし」  ふぅん、と壱己は腕組みをして考え込んだ。  「…じゃあ別にいいんじゃないの。黙ってりゃ相手にはわかんないんだろ。言わなきゃいいだけの話じゃん」  「そんな簡単に…ね、ねぇそれより、待って。私の話、信じるの?」  こんな現実離れした話をあっさり受け入れる壱己を、私の方が信じられなかった。  「うん、そりゃまぁ。そういやまだお前と話した事ない時だったけど、昔聞いた事あるなって思い出した。お前と同じ幼稚園行ってたって女が言ってたんだよな。小さい頃は普通に友達で、夢当てクイズして遊んでたって。お前のがすげぇ当たるって言ってだけど、本当に見えてたならそりゃそうだよな」  そうか。幼稚園は地元だったし中学も普通の公立校だったから、幼児期の私を知る子は同級生の中に何人かはいた。壱己の耳に入っていても全然おかしくない。  「大体お前の想像力なんてダンゴ虫レベルじゃん。中学ん時、川柳を作れとか空想の生き物を描けとかの課題が出た時も全部俺に押し付けてたじゃん。そんなファンタジーな設定思いつかないだろ。なら事実だろうなって思うしかない」  言い方は腹立つものの、確かにそうだ。私には想像力だのクリエイティビティだのが欠如していて、本気でさっぱり思いつかないのだ。課題を押し付けたその皺寄せが、今さらこんな形で現れるとは思わなかった。  「それに正直、客観的事実かどうかはそこまで重要じゃない。お前がそれを事実だって思ってて、そのせいで生活に支障を来してるって事が問題なんだよ。幻覚や幻聴に悩まされてる人間に、気のせいだとかあり得ないって言うだけじゃ解決しないだろ?必要なのは原因の究明と解決法の模索だよ」  なるほど、そうかもしれない。合理的というか現実主義というか、壱己らしいと思った。  「でもな、繰り返しになるけど、お前の場合はそこまで気にしなくてもいいんじゃないかと俺は思う。見えちまうもんはしょうがないって割り切って、いっそ見て見ぬ振りしてりゃいいじゃん。やたらと目ぇ逸らされるよりかはその方が、お前も相手も気分いいんじゃないの」  壱己があまりにあっさり言うので、私は戸惑った。  「そうは言っても壱己だって嫌でしょう?うっかり目を合わせたら夢を見られて…」  「夢を見られるのは別に何とも。たかが夢だろ。それを気にして目を合わせてもらえない方が、俺は嫌だ」  「…何ともない訳ない!」  私は思わず声を荒げた。壱己はびっくりした顔で少し身を引く。  「壱己は知らないから。知らないからそんなに簡単に言えるの。私、小さい頃は色んな人の夢を覗いてた。秘密とか願望とか記憶とか…『たかが夢』じゃ済まないようなもの、いっぱいあるの。夢を見たせいで嫌われたこともある。そもそも私たちが拗れたのだって──」  私が壱己の夢を読んだのが原因だった。  そう言おうとしてはっと口を手で覆った。  「あぁ。あの時俺を突っぱねたのは、それのせいか。俺の夢、見たの?どんな夢だった?」  「……言わない」  言えない。  あの夢の話は、壱己にはとても出来ない。壱己にとっては触れて欲しくない記憶の断片だろうから。思い出したくもないだろうから。  私がふいっとそっぽを向くと、壱己はつまらなそうにまた「ふぅん」と言った。  「まぁいいや。あのな、灯里。否定されてもお前がキレても、俺は何度でも言うよ。お前が何を見たとしても──それはだ。夢ってのはつまり、脳が記憶を処理する作業だ。お前が言うように秘密だったり願望だったりが混ざる事もあるだろうけど、基本的には記憶…覚醒時に得た情報の断片が無作為に繋がってるだけで、現実とは別物だしそこに自分の意思はない」    壱己があまりに淡々と語るから、熱くなっていた私の頭も水をかけられたようにさっと冷えた。  「溺れてる夢を見た奴には水死願望があるのか?空飛ぶ夢を見た奴はみんな羽根を隠してんのか?違うだろ。俺が夢で誰かを刺そうが誰か他の女と寝ようが、現実で俺が誰かに刃物を突き立てる事はないし、抱きたいと思うのもお前だけだ。だから俺は見られても構わない──証明してやろうか」  避ける間もなかった。  ぱっと伸びてきた壱己の両掌が、私の頬を包んでぐっと持ち上げる。  「──駄目っ…」  「目を閉じるな」    有無を言わせない強い口調に、私は逆らえなかった。  混じりけのない黒の瞳が、照明を反射してオニキスのように艶めく。こうして壱己の目を見るのは、いつぶりだろう。私はその目に、あっさりと捉われた。  「俺の目を見ろ。夢を見てみろよ。大丈夫だ灯里。お前が今から見るのは、ただの夢──」  壱己の声が、ふつりと途切れた。  私はまた、夢に落ちる。    
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