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 勤務先はヘアケア用品の製造メーカーで、次々と新商品が発売される、市場競争の激しい業界だ。だから重要視されるのは、商品力と広告力。企画部と広報部が、社内の花形といってもいい。  「新商品は、うちで初めて製品化する商材なんだ。頭皮ケア用の美容液を企画してる。柳原君、サンプルあるかな?」    勿論です、と快活に答えて、柳原さんはテーブルの上に置いた小さなダンボール箱から透明なボトルを出した。  「フケや乾燥による痒み等を改善する医薬品寄りの商品とは違う、健康な髪を育てる土台としての頭皮をケアする美容アイテムです。一般市場ではまだ開拓途上にある商材で、定番と言える程の商品力を備えた物はさほど出回っていません。そこに()まれば大きな利益が狙えると思ってます。ただ…」  自信に満ちた口調で説明していた柳原さんの声のトーンが、そこで一気に下がった。  「ご存知の通りうちの主力商品はカラー材です。シャンプーやトリートメントの売上高構成比は社内では決して低くないけど、シェア率では大手にはとても敵わない。そんな中、頭皮専用美容液なんてコアなスポットアイテムを製品化するのはある意味冒険なんです。つまり…」  「思ったより予算を割いて貰えなかった。そこで、開発に必要なモニタリングを社内で行えないかと。美容品のモニターっていうのは、外部に頼むと結構費用がかさむんだ。長期の経過観察が必要だし、結果に偏りが出ないように使用開始時点での被験者の状態もある程度バランスを取らなきゃいけないから、選別が必要になってくる」  少し言い難そうに語尾を濁した柳原さんの後を引き継いで、諸山部長が説明を足す。  言われて思い出してみれば、時々社内のポータルサイトで、モニター募集のお知らせ、なんてものが掲載されている。私は勿論立候補した事なんてないけれど、無料で新商品を試用出来るからと、人気が高かった筈だ。  「社内で募集をかけたところ、すぐに人数は集まったんだ。ただ、さっき言った被験者の状態…頭髪の健康状態で、ダメージレベルが高い層は問題なく埋まったんだけど、良好な被験者が該当無しだったんだよ」  「それで困ってたんですけど、企画部(うち)の芦屋が、白崎さんなら大丈夫だろうって教えてくれて」  芦屋、という名前を聞いて、一瞬ぎくりとした。壱己のことだ。  「中学時代からずっと同級生なんだって?その頃から変わらない、いい状態の髪だって聞いてね。是非お願いしたいと思ったんだ」  壱己め。仕事にも対人関係にも必要最低限の労力しか割かない私のスタンスをよく知っている癖に、どうしてそんな余計なことを。  心の中で、この場にいない壱己を責めた。    「…あの、私…」  「想像してたより、ずっと綺麗だ」  業務が立て込んでいるとか、断る理由なんていくらでもでっち上げることは出来る。とにかく早急に断ろうと口を開いた私の、息継ぎの隙間にするりと潜り込んで遮ったのは、天河さんだった。  「真っ直ぐで瑞々しくて、ずっと眺めていたくなる。白崎さんが引き受けてくれたら、僕は嬉しい」  肘をついたまま、天河さんは私の髪の先端からつむじの辺りまで、悠然と視線を滑らせている。  美しいものを愛でるのは当たり前、とでも言いたげな、無邪気で明け透けで、無遠慮な視線。それでも何故か、嫌悪感は少しもなかった。もっと正直に言えば、嬉しかった。    断るのは簡単だ。  そう思っていたのに、どうしてかこの人のことは強く拒否できない。どことなく子供なような無垢な振る舞いをするせいか、無下にあしらってはいけないという気持ちになる。  天河さんは音もなく席を立ち、否とも応とも答えられずにいる私の(かたわ)らに膝をついた。  「モニタリングは三ヶ月程度で終わる。その間少しだけ、白崎さんの時間を貸して欲しい。きっともっと綺麗にするって約束するから。どうかな」  (ひざまず)いて誰かに何かを請われたのなんて初めてだった。  私を見上げる天河さんは、精緻に描かれた一枚の絵みたいに、整った微笑みを浮かべていた。
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