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物語は…
スパイスが効きながらも、まろやかな味わいが味覚の隅々まで拡がっていく。うどんとカレー、この2つがくっついて離れない理由が麺にあったのは食べてすぐに気づいた。
「如何ですか?」
「美味しいです…。これは麺がちょっと変わってますか?」
カレーから麺を掬ってみると、麺には平たい部分やそうでない部分があったりと、まちまちの太さである。
「よくカレーが絡んでくれると思います。」
「凄い工夫ですね。」
「お客様には、葡萄の上品な味わいと食事という"物語"を楽しんでもらいたい。私はそれを徹底しておりますので。」
「仕事の流儀ですか?」
水分を欲しくなるように、カレーはスパイスを効かせて辛めに味付けはしている。アフォーダンスの赴くままに、待たせていたグラスへと手が伸びて、葡萄サワーを一口。強調しすぎない甘さと果汁多めのナチュラルな味わいが世界を一瞬で塗り替える。
合う、その一言に尽きた。
「そこまでしっかりとしたモノではありませんが、強いて言えばアイデンティティのために言っているくらいですよ。」
次に、具に箸を伸ばす。よく煮込まれて小さくなった玉ねぎとは違って、ジャガイモやニンジンは大粒であった。角切りになって入っている牛肉を口に運ぶと、歯ごたえもあって肉の良さを感じる。味殺しと言われる事があるカレーで、ここまで美味しいと思えるのは偏に凄いとしか言いようが無い。
噛み切れる赤身を、葡萄サワーで流し込んだ。肉汁まで綺麗に流していって、舌をリセットしてくれるのが嬉しい。
「流儀と言うかは分かりませんが、世の中には自分のやっている事に対して様々な考えを持っている人がいます。」
「……」
グラビアの経験がある彼女からしても、その話は感覚的には分かっていた。まだ大学生の自分は、確かに見分が狭い。
「世間はグラビアだけではありません。貴女はまだ学生さんだと仰ってましたね、世の中にはまだまだ面白い事や、素晴らしい物語がありますよ。」
「そうですね、頑張ります。」
温かい料理か、それともアルコールの所為か。泣き腫らした顔の彼女はもうそこにはおらず、ほっこりした顔で唐揚げを頬張って葡萄サワーを飲んで、ナンコツの串焼きも腹に納め、2杯目の葡萄サワーも飲み干した。
「お腹が満たされたら、心の片隅にでも置いて思い出して下さい。」
手を合わせて食事の終わりを教えてくれた彼女に、店主はそれだけ言葉をかけた。
物語が終わる感覚、レジに料金をしまう時には喜んで帰ってくれた嬉しさと一緒に喪失感がこみ上げる。彼女の物語はこれから始まるのだろうか、しかし店主にその先を知る由もない。
カウンターを見ると、5杯目の葡萄サワーを飲んで酔いの回った猫は、白い顔の頬だけを赤くして寝てしまっている。思わずほっこりしてしまったが、商売である以上心を鬼にして"お客さん、お金は払って下さい"と言うために起こさなければならない。
店主の一晩の物語も、まだまだ続きそうである。
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