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4章(最終章)
ある日の夜、私は大輔さんと話をする機会を設けた。
娘にも同席してもらった。
「大輔さん」
「何でしょうか」
「本当に思い出せないのですか」
「記憶ですか」
「そうです。それ以外に何がありますか」
「すいません。思い出したいのですが、考えると頭が痛くなって、諦めてしまいます」
「頭が痛くなっても、考え続けようとは思いませんか」
「諦めたらいけませんか」
この言葉に、私の辛抱糸が切れた。
「諦めないでほしいです。むしろ諦めないで下さい。困るんです。嫌なんです」
「僕は、聖子さんや早苗ちゃんを困らせないように一生懸命やってるつもりですが、それでもだめですか」
「そうじゃないのよ、他人じゃないのに、他人と暮らしているように感じてしまうんです。先日、あなたが勤めていた会社から連絡がありました。これ以上休まれたら困るとのことです。記憶のないあなたには分からないでしょうけど、あなたは会社から解雇されたんです。世帯主のあなたが無職になるだけでも困るのに、なんでこんなことで私が悩まなきゃいけないんですか」
冷静でいたいのに、そうでいられない私がいる。
この関係が嫌で嫌で仕方なかった。
「事故にあう前のあなたは不器用で、ドジなところがあった。今のあなたと正反対。けど私は、不器用で、ドジなところを見せるあなたに会いたいの。会いたいのよ」
私はそう言いながら、大輔さんの胸を叩く。
そんな私を大輔さんがそっと抱きしめてくれた。
「すいません、聖子さんを困らせてしまって。けど本当に思い出せないんです。許して下さい」
謝罪をくれた彼に、私は何も言うことが出来なかった。
私は大輔さんから離れ、2階の部屋にこもった。
涙が止まらない。
止めたくても、止まらなかった。
そんな時、娘が部屋に入ってきた。
「お母さん」
「どうしたの」
私は涙を拭いながら、娘を見つめる。
手に何かを持っていた。
「それ何」
「これ、お父さんに見てもらおうと思って」
娘はそう言って、手に持っているものを私の前に置いた。
「アルバムじゃない」
「うん、私がスマートフォンで撮った写真なの。事故にあう前のお父さんの写真をプリントアウトしてきた。これを見て、お父さんが昔の記憶を取り戻してくれたらなって思ったの」
娘の目にも涙が浮かんでいた。
「ちょっと見てもいい」
「いいよ」
私はアルバムをそっと開く。
そこに愛する夫の姿があった。
財布を忘れて慌てている夫、自転車の鍵をなくして困っている夫、自転車を担いで歩いている写真もあった。
「早苗、よくこんな写真撮ってたわね」
「うん、この時なぜか写真を撮りたくなったんだ。こうやって写真を撮って見せたら、お父さんドジでなくなるかなと思って」
「よく撮れてる、すごいよ」
気がつけば、涙が止まっていた。
私は、夫に出会えた喜びを噛み締めている。
それと、娘なりに考えてくれた想いが、この写真に詰まっている。
無駄にしたくなかった。
「早苗、見せに行こう」
私はそう言って、娘と一緒に大輔さんのところに戻った。
「大輔さん、これを見て下さい」
私は、テーブル椅子に座って俯いている彼にアルバムを見せた。
彼はそれを1ページずつ丁寧にめくり、写真をじっと見る。
「これが昔の私なんですね」
「そうです。事故にあう前のあなたです」
彼の呟きに、私はそう答えた。
「お父さん、思い出せる」
娘が問いかけるも、彼は耳を傾けず、写真を見続ける。
思い出してほしい。
そう願いながら、私は彼の姿をじっと見る。
「これは、どこですか」
彼の問いかけに、娘が答えていた。
久しぶりに見る親子の絆、そんな風にも見えた。
「これ、お借りしても良いですか」
「いいよ、たくさん見て」
「ありがとうございます」
アルバムを抱きしめるように持って、大輔さんは寝室へ消えた。
「お母さん、これで良かったよね」
「ありがとう、早苗」
ニコッと嬉しそうに笑う娘を見て、私もニコッと笑った。
翌朝、大輔さんの姿がなかった。
畳まれた布団の上に、手紙が1枚置かれていた。
「旅に出たいと思います。写真の中に懐かしいと感じたものがありました。場所は早苗ちゃんから聞きました。行ってみたいと思います」
どこに行こうといているのか、娘に聞かなくてもすぐに分かった。
追いかけることも出来たが、あえてしなかった。
彼の考えを尊重したいからだ。
スマートフォンは持っているようだ。
私は自身のスマートフォンを手に取る。
「手紙読みました。待ってます。あなたがあなたに会えますように」
この言葉をメールで伝え、夫が必ず帰ってくることを信じて、こう呟いた。
「私より先に死なないで下さい」
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