其は、誘惑

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「それじゃあ、互いの呼び名を決めなければならないわね。契約を交わしていない悪魔と魔女が真名で呼び合うわけにもいかないでしょうし……」 『そうですね……では、私のことはアルドリックと。貴女の呼び名は、貴女がお決めになって下さい』 そうね、とアデリータは少しだけ考えて。 「じゃあ、アデリナと呼んでちょうだい」 『承知いたしました……と、恋人同士でこのように言うのもおかしいでしょうね?……では、そう……『これから宜しくお願いします』、アデリナ』 「ええ、こちらそこそ宜しくね。……アルド」 早くも自分を愛称で呼ぶアデリナに苦笑いが零れそうになるが、恋人「ごっこ」であっても、きっと彼女にとっては幸せな時間なのだろう。 アルドリックは彼女の手を取り、その指先に口付けて。 「では早速、再会の歓びを分かち合いに(しとね)へと参りましょうか?……念のためお聞きしておきますが、我々の普段の『食事』が何か、知らない訳ではないでしょうね?」 「アルプ」とは、固有名詞ではなく種族の名であり──彼らは、淫魔や夢魔と呼ばれる類の悪魔の一種だった。 「……ええ、勿論知っているわ。期待するべきなのか怯えるべきなのかはわからないけれど」 「そうですね、是非ご期待を……私でなくては満足できない身体にして差し上げますよ」 アデリータはお手柔らかに、と笑って。 「だけど、何故お母様は私を護るのに、貴方……淫魔(アルプ)と契約したのかしら?」 「ああ、……あの時は召喚の儀式も何もありませんでしたからね。『神が私を殺すなら、悪魔でも何でもいいから娘を護って』という呼び掛けに応えたのが偶々私だったというだけの話ですよ。貴女に話すことではないかもしれませんが……貴女の母君の魂は、実に食欲を(そそ)る色をしていましたからね。……尤も、貴女の魂ほどではありませんが」 アルドリックの唇から、僅かに赤い舌が覗く。 「ふふ、……貴方が私を愛した暁には、どうぞゆっくりと味わってちょうだい?他の魂では、満足できないようになってもらえれば良いのだけれど」 『……それはそれで、苦悩の種となりそうですね。まあ、選択肢の一つとして検討しておきますよ』 アルドリックは小さく笑って、アデリータの額に口付けた。 『では、魂の交わりは後の楽しみにとっておくとして……まずは肉体の、記念すべき初の交わりといきましょうか?』 「そうね、そちらはどうぞお好きなだけ……いえ、『魂が弱らない範囲で』お好きなだけ、かしら」 『ご心配なく。貴女の魂を弱らせる程の精は、私一人では吸い切れませんよ』 淫魔(アルプ)の糧である「精気」と、魔女を魔女たらしめる「魔力」は本質的には同じもので、魂が「溶け出した」ものが精気、魂を意図的に「溶かし出した」ものが魔力と呼ばれる。つまり、高位の魔女であり強大な魔力を有するアデリータは、それだけ大量の精気をも有しているということになる。 『それよりも、快楽に気が()れる心配をしたほうが宜しいのでは?見たところ、誰かと肉体の交わりを交わすのは初めてのようですし、ね。……普通我々が『食事』をする際、相手は半分眠った状態ですが……意識のある状態でとなると、麻酔無しで歯を抜くようなものですよ。……ああ、勿論伴うのは痛みではありませんが』 紅い瞳にアデリータが映り、長い指がアデリータの黒髪を掬う。 『今夜は、……長い夜を覚悟して頂きますよ?』 ──アデリータの耳許で囁かれた声は、それだけで背筋を快楽が這い上る程に、甘い響きをしていた。
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