其は、序曲

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『お味は如何ですか?』 未だ少し眠そうにしながらもハムとトマトのサンドウィッチを頬張るアデリナに問う。人間や魔女の味覚は悪魔には理解できないが、都で評判の店のレシピをそのまま真似させたのだからまあ不味くはないだろう。 「ええ、とても美味しいわ。……誰かに食事を用意してもらうというのには、まだ慣れないけれど」 ──アルドリックが「舞台装置」として使用人達を造ってから三ヶ月あまり。とはいえ、彼女が独りで過ごしてきた時間を考えれば、使用人の存在に慣れるまではまだ暫くかかるのかもしれない。 『慣れてしまえば便利なものですよ。むしろ、使い魔を一匹も造らない魔女のほうが珍しいのでは?……何か、理由がおありだったのですか?』 「そうね、強いて言えば……使い魔に雑用を任せると暇を持て余してしまうから、かしら」 魔女はその殆どが、生まれつき強大な魂を持つが故に(寿命という概念がない悪魔ほどではないにせよ)非常に長命である。その長い生をどのように過ごすかは(まさ)に十人十色だが、アデリータは怠惰に時の流れを貪るのも、他の全てを使い魔に任せて魔術の研究に心血を注ぐのも、どちらも性に合わなかった。 「手慰み程度に魔術の研究はしてきたけれど、どうしてもヒトとして生きてきた頃の習慣が抜けなかったのね」 アデリータの師匠は魔女としても指導者としても非常に優秀であり、アデリータが、(本人曰く)「手慰み」程度の研究で高位の魔女となることができたのは、本人の才能もさることながら師匠の教えによる部分も大きかった。 『成程。……今はどうです?使い魔に雑事を任せていますが、『暇を持て余している』と感じますか?』 アデリータはまさか、と笑った。貴方と過ごす時間が増えて嬉しいわ、と。 「『慣れない』というだけよ。貴方の造ってくれた『舞台』も『舞台装置』も、どれもとても素敵だわ」 血のような紅い薔薇が彩る東屋も、優美なラインを描くテーブルセットも、そしてもちろん白いパンを使ったサンドウィッチも。 「貴方はどうかしら?……私と過ごす日々が、退屈でないといいのだけれど」 『それこそ『まさか』ですよ』 アルドリックは、唇に常よりも心做(こころな)しか優しい笑みを浮かべて。 『私も長く生きてきましたが、此程楽しい時間は初めてです』 夜の「食事」は勿論だが、陽が昇っている間の「恋人ごっこ」も思いの外悪くない。これまで魔女と関わるときは、その殆どが──自分で言いたくはないが──下級の悪魔として使役される立場だった。その「魔女」、しかも高位の魔女が、自分が何かするたび礼を言い、嬉しそうに笑い、そして偽りの愛の囁きに頬を染めるのだ。はじめはただ魔女という存在を手玉に取る悦楽に浸っていたが、──いつの頃からか、彼女の喜ぶ顔を好ましいと思う自分がいた。尤も、人と人ならざるモノの恋など神話の時代から掃いて捨てるほどあるのだから、悪魔と魔女が恋に落ちたとて何ら問題があるわけではないのだが。 『……そう、楽しい時間と言えば……ヴァルプルギスの夜が近付いてきましたね。貴女は久しく参加していないと聞き及んでいますが』 「ああ、もうそんな時期なのね。……殆ど交流のない魔女達と乱痴気騒ぎをするというのにどうにも馴染めなかったのだけれど……貴方となら、久々に参加してみるのも悪くないかもしれないわ」 『それは何より。……我々の特別な夜に、貴女をエスコートする栄誉を頂けるということですね?』 「ふふ、そうね。お願いするわ、私の心臓(愛する人)」 『ええ、生涯忘れられない夜にして差し上げますよ。……そうと決まれば、貴女を誰もが振り向くような華と彩る特別なドレスを仕立てなければなりませんね?食事が終わったら、考えてみましょう。……ああ、食事を急かしているわけではありませんから、ゆっくり味わって召し上がって下さいね?』 淫魔(アルプ)のような下級悪魔が高位魔女に「従えられる」のではなく「エスコートして」ヴァルプルギスの夜に参加するというのは、誇張ではなく「栄誉」だった。──その分、エスコートされる側の魔女は下に見られるわけだが、彼女程の力を持つ魔女が相手なら他の魔女達は陰口を叩くのがせいぜいだろう。 『……私にとっても、忘れられない夜になりそうですね』 ──アルドリックは我知らず唇に笑みを浮かべながら、キッシュのパイ生地を(何故か人間式で)崩さずに食べようと奮闘しているアデリータに聞こえないよう、小さく呟いたのだった。
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