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「ここでの暮らしには慣れたか?」
いつも通り玪玪に指示されるまま身体を動かしていると、出掛けていた静龍様が帰ってきて声をかけられた。黎家に来て一週間程が経つだろうか。仕事や環境には少しずつ慣れてきたような気がする。静龍様は毎日顔を見に来ては、声をかけてくれる。その時間がいつも待ち遠しい。
「良くしてもらってます」
「そうか。美味い点心を買ってきたんだ。食べるといい」
袋包ごと手渡されて戸惑う。使用人が、主人から菓子を貰っていいのかもわからないし、きっと高価な物だと思う。
「そんな高価なもの受け取れません……」
断るだけなのに心が痛む。静龍様の真心を無駄にしているように感じるから。
「そうか。なら俺が食べることにしよう。ああ、だが困ったな」
「どうされたのですか?」
「俺一人では食べきれないようだ。一緒に食べてくれる者がいれば助かるのだが……」
とぼけたような、それでいて悪戯っ子のような表情を浮かべ、視線を向けてくる静龍様から目が逸らせなくなる。
こんな表情もするんだ……。初めてみた表情に胸が高鳴る。
「……ずるいです」
「ふっ、ほらおいで」
手を引かれて、静龍様の部屋へと向かうことになった。後ろを振り向けば、周りにいた使用人達がチラチラとこちらを伺っているのがわかる。その中に、やけに厳しい表情を浮かべている玪玪もいて、少しだけ悪いことをしている気分になった。
促されて椅子に腰掛けると、包みが広げられて、色とりどりの点心が顔を出す。見たこともない美しい彩りだ。黄に乳白色、桃色に菫のような色もある。胡桃や杏子の乗せられたそれらはどれも美味しそう。
「食わないのか?」
「静龍様が食べるんじゃ……」
「そうだったな」
花弁の乗せられた黄身色の点心を手に取って口に含んだ静龍様が、甘いな……と言葉をこぼした。僕にも食べるように勧めてくるけれど、なかなか手が出なくて戸惑ってしまう。
「ほら、口を開けろ」
「え……んむ、静龍様っ」
言われるまま口を開けると、手に持っていた点心を口に入れられて驚く。口内を満たす仄かな甘みと、羞恥心に心がざわつく。静龍様の手には食べかけの点心が持たれている。先程、静龍様も食された物だ。
「美味いか?」
「……は、い」
味なんてどこかに吹っ飛んでしまっている。初めて食べた甘味に感動するよりも、食べかけた点心が気になりすぎる。男同士、気にすることもないとわかっているのに、胸の高鳴りが止まらない。
「もっと食え」
「も、もう、自分で食べれます」
慌てて、目の前にあった点心を手に取りかぶりついた。今度は味がする。でも、先程より美味しいとは感じなかった。味がしないのに美味しいなんて変だ。
「お前を見ていると、甘やかしたくなるな」
大きな手の隙間を自身の髪が通り抜けていく。撫でられているのだと気がついて、さらに顔が赤くなった。戯れだ。気にする必要なんてない。言い聞かせるのに、鼓動は速くなっていくばかり。
「どうして僕を買ってくれたんですか……」
意識をそらすために、ずっと聞きたいと思っていたことを聞いてみる。黎家の御屋敷に来てその疑問はさらに強くなった。教養も素養もない僕を買う理由は?優しくしてくれる意図は?
どうしたって裏があるんじゃないかって探ってしまうんだ。
「俺にもわからない」
「わからない……?」
「ただ、本能で仔空のことを護らねばならないと思ったんだ」
優しく手を握られて、甲を指で撫でられる。触れられた部分からじわりと熱を宿していく感覚に、心がザワつく。
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