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慌てて手を引っ込めれば、クッと喉を鳴らしながら静龍様が笑う。くしゃりと皺がより、目尻が微かに下がった目元が好きだと思った。いつもは少しだけ怖くも感じられる男らしい顔つきが柔らかさを帯びるからだろうか。
「もしかして、仔空は……」
静龍様がなにかを問いかけようとしてきたとき、扉が叩かれる音が聴こえて、会話が途切れた。入るように静龍様が声をかけると、使用人が入ってきて、礼をし口を開く。
「静龍様、旦那様がお呼びです」
「……わかった。すぐに行く」
返事を聞いて、使用人が部屋から出ていった。
「行かなければ。また、来るといい」
「はい」
少し寂しいけれど仕方ない。話の続きはまた次の機会に聞けばいい。立ち上がると、礼をして部屋を立ち去る。持ち場に戻ると、玪玪が僕に気がついて歩み寄ってきた。
睨むような瞳に、あまり良く思われていないことはすぐに分かる。多分、玪玪は静龍様が好きなんだ。
「あまりあの方に近づかない方がいいわ」
「わかっているよ」
わかっていても、離れ難いと感じてしまう。どうしてなのかはわからないけれど……。
「静龍様は尊者なの。あなたが近づけるような方じゃない。尊者と結ばれることができるのは芳者だけなのよ」
「……うん。わかっているよ」
二度目の返事にようやく納得してくれたのか、床を掃除するように指示されて頷く。
この世には男女の性とは別に第二の性が存在する。尊者は、眉目秀麗で優秀。国を支える高臣の中でもほんのひと握りの人しか居ないほどに数が少ない。今代の皇帝陛下も尊者だという噂だ。
芳者は男女関係なく子を産むことの出来る人物のことであり、一様に華奢で可憐な見た目をしているといわれている。そして、月に一度程定期的に尊者を誘う香りを放つ。
尊者だけがその香りを感じることが出来き、香りに誘われて芳者と結ばれると、二人は番関係になるのだという。また、芳者は尊者を出産する確率が高いことから、国で大事にされている。
床を掃除しながらため息を零す。いつか静龍様も貴族の芳者と結ばれる日が来るのだ。そのいつかを想像すると、少しだけ気分が落ち込んでしまう。
僕は自分の性別がわからない。多分、普者だと当たりをつけてはいる。普者はそこかしこに居て、人口を占める割合は最も多い。芳者の香りを嗅ぎとることも出来ないし、尊者と同じくらい優秀な者は少ない。芳者は大抵、十四歳になる頃には初香期を迎えるらしい。この歳まで身体の異常を感じたことはないから、やっぱり普者なのだと思う。
また、ため息が漏れた。芳者だったなら……。一瞬、過ぎった考えを慌てて振り払う。必要以上に磨き上げた床を見つめながら、心のもやも晴れたらいいのにと思った。
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