まかみ

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 仕事を終わらせて、妾宅(きょうたく)に帰った近藤を出迎えるのは、深雪太夫ではなく妹のお孝だ。 「お帰りなさいませ、勇様!」 「あぁ」  いつもなら溌溂(はつらつ)としたお孝の笑顔を、微笑ましいものと心和ませていたのに、今日に限っては醜く、気色悪いもののように映る。  どす黒い感情が腹に渦巻いて止まらない。  止める術は血で(あがな)うしかないのだ。 「姉は?」  名を口にすることも(わずら)わしく、近藤の怒気に気づいてお孝は神妙に項垂(うなだ)れる。 「……でしたら、奥で()せっております」 「そうか」  最近の深雪太夫は調子が悪い。太夫として働いてきた無理が、ここに来て祟ってきたのかもしれない。安定した生活を手に入れた、気の緩みもあったのかもしれない。  近藤が抱けば、その翌日には体調を崩し、一日布団で伏せっている状態が増えてきた。欲求不満を妹でごまかしているものの、今回の件を踏まえてキツイお(きゅう)をすえなければ気が済まない。  バン! と、乱暴に襖を開けると、ぐったりと横たえる深雪太夫がいた。病で伏せていても化粧で顔を彩り、黒髪を油で整えて艶めいて見せている。 「あぁ、帰りましたか」  近藤が声をかける前に、深雪太夫が近藤の方に首だけを動かして言葉を紡いだ。光の加減だからだろうか、彼女の顔を彩る化粧が戦化粧(いくさげしょう)に見えて、近藤は一瞬たじろぐ。 「俺を裏切ったのか? 下手したら、賊に殺されるところだったのだぞ」  近藤の言葉の意図を悟り、深雪太夫は美貌を悲し気に曇らせた。 「裏切っておりません。ただただ、変わってしまった貴方を見て、悔しいとも、悲しいとも思っただけです。恐らく、離れて行った同志(どうし)たちも、同じ気持ちだったのでしょう。貴方は自分を慕う人々の存在を忘れて、人を頼ることすら忘れてしまった」 「……」  続く言葉が見つからず近藤が沈黙すると、彼女は瞳の縁に涙の玉を溜めて言う。 「私は勇様が好きでした。酒の席とはいえ、(こぶし)を口に入れて、自ら道化役を買って出る、優しい貴方が」 「それがどうして、このような裏切りに繋がる!」 「勇様は、こんな人じゃなかった。まるで悪い何かに憑りつかれたようで、見ていて心苦しかった。仕返しの意図も確かにありましたが、以前の貴方でしたら、駕籠に降ろされていても笑って許していたはずなのに……」  そう言って、噛み合わない会話に声を詰まらせて涙を零すと、彼女の目尻に差した赤い化粧が、涙と混じり合って頬を(つた)う。  それがまるで、血涙(けつるい)のように見えて不吉だった。 「金は用意する。近いうちに出ていけ!」  殺意は失せたものの、落とし前はつけなければならない。  乱暴に部屋を後にする近藤を背に、すすり泣く声が聞こえてくる。  まるで、近藤を憐れむような、柔らかな声音に腰どころか頭まで痛くなる。 ◆  あぁ、どうしろというのだ!  自分は確かに変わったが、変わったのは自分のせいではない。  元々近藤は佐幕攘夷派(さばくじょういは)であり、生まれ故郷の武州多摩(ぶしゅうたま)の土地柄もあって、幕府寄りの中立という立場をとっていたのだ。  幕臣への取り立ても一度は断った。池田屋での一件で、孝明天皇(こうめいてんのう)からの感謝状も受け取った。  あくまで中立の立場をとろうにも、新選組は佐幕派の会津藩の傘下であるためにままならない。  しかも次々と自分たちの前に現れるのは、尊皇派の人間たちであり、身にかかる火の粉を排除しているうちに、幕臣への道が逃げ場もなく固まってしまった。確かに武士に憧れていた時期もあったが、もはや近藤の目から見ても落ち目の幕府に、なんの魅力も感じないというのに、周囲は近藤を幕府の犬として、絶対的な忠実をささげていると信じている。  なんで、思うようにいかないっ!  なんで、いつも、皆で俺を追い詰めて苦しめる。  三顧の礼(さんこのれい)で参謀に迎えた伊東甲子太郎 (いとうかしたろう)御陵衛士(ごりょうえじ)を設立して、計画的に離反したのも記憶に新しく、怒りで気が狂いそうになる。    裏切り者は絶対許さない。  敵を全て殺し尽くして、最後に高みで(わら)うのは俺なのだ。      
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