落涙(らくるい)

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 俯いて押し黙る被告を見下ろしながら、 「ワタシからの質問は、以上です。」 颯爽とした背中を見せながら詰問を終えると、リーツは発言台から靴音を響かせつつ下りた。 「まったく・・。相変わらず彼女の論理には入り込む隙すら無いな。」 被告の弁護者は、そういいながらペンを机の上に放り投げると、そのまま黙り込んでしまった。 「反論はあるかな?。」 裁き主が、弁護者に発言を求めた。 「いえ、御座いません。」 「よろしい。ならば、王の命に代わって、裁きをいい渡す。被告は人を殺めたる咎により、明日、処す。以上だ。」 「コーン!。」 裁き主の言葉により、裁きの終了が告げられると、衛兵が槍を石畳の床に叩き付けて、乾いた音を響かせた。リーツは主に一礼すると、議場から退廷した。 「待ってくれ!。オレはやっていない!。人など殺しちゃいないんだ。」 被告は悲痛な叫びを上げたが、衛兵によって強制的に議場から連れ出された。 「あの被告、本当にやってないのでは?。」 弁護者の助手がたずねたが、 「恐らくはな。だが、秀でた論の前には、真実など無意味なのさ。さ、我々もいこう。」 そういうと、弁護者は肩を落としながら、被告の家族と出来るだけ目を会わさないようにしながら、助手と退廷した。そして、議場の外で彼女とすれ違いざまに、 「今日も見事な論理で。」 そういいながら、弁護者は帽子を取って、彼女に降参の意を示した。 「それはどうも。」 彼女は表情一つ変えず、僅かに会釈すると、背筋をピンと伸ばしながら、靴音を鳴らしつつ、石畳の廊下を去っていった。 「情状酌量の権を行使しても良かった事案だと思うんですが、何故彼女は、ああまでして人の寿命を途絶えさせようとするんですかね?。」 助手は歩きながら、弁護者にたずねた。 「それは白黒をはっきりと付けることが、彼女の価値観の根底を成しているからだろう。しかもその考えは、この国の法概念に極めて近しい。彼女のような才女が力を発揮出来るのも当然さ。さ、飯にしよう。」 そういうと、弁護者は助手の質問を遮って、近くの食堂に向かった。  リーツは自身の執務室に戻ると、書類の後片付けを行っていた。すると、 「コンコン。」 と、誰かが木戸をノックする音がした。 「ワタシだ。入るよ。」 リーツのボスが、彼女の断り無く入ってきた。 「また勝ったそうだな。」 ボスは部下の彼女が勝ったのに、表情は明るくなかった。そして、 「今回の報酬だ。」 そういうと、袋に入った金貨を無造作に彼女の机の上に置いた。彼女は整理する手も止めずに、 「有り難う御座います。」 そういうと、振り返りもせずに作業を続けた。 「ところで・・、」 ボスは退室せずに、何やら話を切り出した。 「今回の被告、何も刑にかけるまでは無かったと思うのだが。」 ボスは彼女の手柄とは逆の結論もあり得た可能性について示唆した。実のところ、ボスはリーツの痛快な裁きの勝ちと引き換えに、処された被告達が雇ったであろう、良からぬ連中から、度々脅迫を受けていた。しかし、 「いえ、長きに渡り、戦乱の後遺症で、この国の秩序は著しく低下しています。それを憂えた王の命に従うことこそが、この国に正義をもたらし、それが臣民の心の根ざしたとき、平穏な国となることでしょう。ワタシは単に、使者としてそのお手伝いをしているのです。」 そういうと、リーツは輝いた眼でボスを直視した。全く臆することの無い彼女を見て、 「ま、それはそうだがな・・。」 と、ボスは仕方無く、部屋を出ると後ろ手で木戸を閉めた。小うるさいボスがいなくなったのを確認すると、リーツはようやく椅子にもたれて、一息ついた。 「ふーっ。」 そして、引き出しの奥に仕舞ってある小箱から飴玉を一つ取り出すと、それを口に放り込んだ。そして、僅かに元気の出た彼女は、金貨の袋を鷲掴みにすると、それを鞄に押し込んで、執務室を後にした。そして帰りがけに肉屋に寄って、 「その一番いい肉をちょうだい。」 と、吊されている大きな牛の肉を指差した。 「お、リーツさん。今日も儲けましたかな?。ハハハ。」 店主はにこやかにそういうと、肉の塊を紙に包んで彼女に手渡した。彼女はそれを受け取ると、鞄の底から金貨を取り出して、それを店主に渡した。 「じゃ、どうも。」 「毎度あり。」 彼女は肉の塊を抱えながら八百屋にも立ち寄ると、幾つもの野菜を買い込んで、そのまま家路に就いた。そして、家の門扉の所まで来ると、ベルを鳴らした。すると、 「お帰りなさいませ。」 そういいながら、執事が出迎えた。 「ただいま。これ、お願い。」 リーツはそういうと、執事に肉と野菜を手渡して、そのまま家に入っていった。 「ただいまー。」 「おかえり。ママ。」 幼い男の子がリーツを出迎えると、彼女は両手を広げて彼を抱きしめた。 「今日もいい子にしてた?。」 「うん。」 「そう。じゃあ、今日は母さんがご馳走を作ってあげるわね。」 「ホント?。やったー!。」 リーツの言葉に、男の子は飛び跳ねて喜んだ。そして、彼女は男の子の頭を撫でると、そのまま台所に向かった。そして、執事が料理の準備にかかっているのを見ると、 「あ、今日はワタシが作るから。アナタは休んでてちょうだい。」 と、そう声をかけた。 「よろしいのですか?。」 「ええ。」  彼女はご機嫌で料理を始めようとした。が、その時、 「あの、実は、このような物が届いておりまして・・。」 執事は何かいい難そうにしながら、彼女に数通の手紙を手渡した。 「あら?。何かしら・・。」 封は開けられていなかったが、差出人は不明で、どれも赤い文字で彼女の名が殴り書きされていた。彼女は一番上の手紙を開けて少し目を通した。それは、紛れもない脅迫状だった。しかし、彼女は顔色一つ変えること無く、 「懲りないわね・・。まったく。」 そういうと、手紙を戻すと、それを台所の塵箱に捨てた。そして、気を取り直した彼女は、腕によりをかけて食事の支度にかかった。大きなフライパンで野菜と一緒に肉を焼きながら焦げ目を付けた。そして、大鍋にはたっぷりの湯を沸かすと、岩塩と幾つもの香辛料を放り込んだ。そして、焼き上がった肉の塊と野菜を鍋に入れて、その上から赤ワインを注ぐと、そのまま煮込み続けた。そして、時折、竃(かまど)の火の勢いを確かめながら、傍らに置いてある法律書に目を通した。彼女は、法と正義の相関性の項目を繰り返し読みながら、たまに鍋の蓋を開けては灰汁を取った。そんな地道な作業を二時間近く行った後、 「ようし、出来た!。」 と、彼女は大鍋から肉の塊を大きなフォークに刺して取り出すと、まな板の上で分厚く切った。そして、それを丁寧に大皿の上に並べると、鍋の中のスープを肉の上にかけた。台所はたちまち湯気と煮込まれたスープの香りでいっぱいになった。 「さー、出来たわよー!。」 彼女はそういうと、肉の盛られた大皿をテーブルまで運んだ。リーツの声と料理の匂いに誘われて、男の子がテーブルの所まで駆け寄ってきた。 「わー!、凄いお肉!。」 男の子は目をまん丸にしながら、ホクホクと湯気の立つ肉料理を眺めた。そして、息子と執事を椅子に座らせると、彼女は料理を取り分けて、二人の前に差し出した。 「さ、召し上がれー。」 三人は両手を組んで、感謝の祈りを捧げると、早速料理を食べ出した。リーツは二人にパンを切り分けてから、自分の分を切って、スープに浸してから口に運んだ。 「うん。美味しい。」 料理の腕には自信があったので、彼女はこの時まで味見はしなかった。何より、二人の表情を見るのが、彼女のこの上ない楽しみだった。すると、 「わー、美味しい!。」 「美味しゅうございます。」 二人はパッと明るくなった表情でそういいながら、肉料理を頬張った。そんな光景を見ながら、彼女は日々の労働によって付きまとった因縁のようなものを洗い流すべく、幸せな時間を過ごした。大きなテーブルに大きな肉料理。そして、静かに佇む大きな邸宅。先の戦乱で亡くなった主人が残してくれた遺産は、三人のささやかな暮らしには幾分持て余し気味だったが、リーツは執事の協力の下、仕事に精を出し、時には庭の草花の手入れを執事や子供と行ったりと、平穏な生活を送っていた。  翌朝、広場に昨日の判決をいい渡された被告が、後ろ手に縛られながら、衛兵によって連れ出された。相変わらず、自身の無罪を訴え続けていたらしく、その声を封じんと、哀れにも猿ぐつわがされていた。民衆は何事かと、広場に集まった。そして、一人の衛兵が、懐から巻物を取り出すと、 「王の命により、本日、人を殺めし咎により、この者をを処するものなり。」 そう宣告して、巻物を丁寧に巻くと、再び懐にしまった。すると、二人の衛兵が被告を石畳の上に跪かせた。と、その時、 「父さーん!。」 小さな男の子が、その場に駆け寄ってきた。どうやら、被告の子供らしかった。しかし、衛兵はそれを阻止すると、周りにいた民衆に、子供を抑えておくように命じた。 「父さーん!、父さーん!。」 泣き叫ぶ子供を哀れに思いつつも、定められた審判が決して覆ることが無いことを知っていた民衆は、子供がそれ以上父親に近付かないように、優しく抱きながら、その場に止まらせた。そのあまりにも非情な光景に、噎び泣く者もいた。しかし、最早、誰もどうすることも出来なかった。そして、 「シャキーン!。」 一人の衛兵が振り下ろした剣により、被告は処され、その生を終えた。そして、墓守達が戸板を運んできて、被告の亡骸を乗せて運んでいった。 「父さん、父さん、父さん・・。」 子供は父親の亡骸から離れようとはしなかった。気の毒に思った墓守達は、わざと、いつもより遅い足取りで、子供と共に墓まで歩いていった。そして、民衆も慣れた手つきで血溜まりを綺麗に洗い流すと、広場は何事も無かったかのように、いつもの光景に戻っていった。ただ、子供の泣き叫ぶ声だけは、みなの耳から離れなかった。リーツが今日の刑のことを耳にしたのは、彼女が執務室に入って、ゆっくりとお茶を楽しんでいる時のことだった。 「そう。また正義が成されたのね・・。」 そういうと、彼女は顔色一つ変えずに、お茶を口に含んだ。  彼女に依頼すれば、如何なる裁きも勝訴することが出来るという評判は、国中に響き渡った。リーツのボスの下には、何とか罪を逃れようと日参する官僚達が列を成し、依頼の手紙も引っ切りなしに届いた。ボスは、初めは上機嫌で依頼を高額で引き受けては、彼女に仕事を振っていた。しかし、 「あの、この依頼には、正義が感じられません。」 と、とある依頼を境に、彼女は全ての依頼に対してでは無く、彼女が考える正義に則している依頼にのみ応えるようになっていった。話は少し前に遡る。とある官僚が、彼女のボスの所にやって来た。 「こんにちわ。実は、リーツ弁護者の噂を聞きまして、此処をたずねてまいりました。」 そういうと、小柄の男性はマントを脱いで椅子に座った。 「こんちちわ。ワタシがリーツのボスです。で、ご依頼というのは?。」 彼が普段のトーンで話しかけると、男性は辺りをキョロキョロと見渡しながら、身を乗り出しつつ、 「実はですな、ワタシに脱税の嫌疑がかけられてまして・・。」 と、口の横に手を添えながら、ボスにしか聞こえないように小声で話した。 「ほう。それは難儀なことですな。で、貴殿はそのような嫌疑には身に覚えがないと?。」 彼のトーンに合わせて、ボスも小声で話し始めた。しかし、男性は嫌疑の核心には触れずに、 「え、ええ。いや、まあ、その、兎角、この件が邪魔で、周囲の目が煩わしくて、仕事が捗りませんでな。なので、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのリーツ弁護者に、この一件を任せて、悪評を一掃したいと思いましてな。」 男性の言葉に、ボスは顎を撫でながら、 「なるほど。解りました。では、彼女にこの話はしておきますので、後日、あらためてお越し下さい。」 「宜しくお願いします。」 ボスは取り敢えず仕事は引き受けたといった感じをワザと演出した。しかし、男性は、 「これは些少ですが・・。」 そういうと、ボスの手の中に小さな袋を手渡した。其処には数枚の金貨が忍ばせてあった。そして、男性は会釈すると、マントを羽織って立ち去った。ボスは袋をポケットの中に仕舞うと、リーツの執務室に向かった。 「コンコン。ワタシだ。」 ボスはリーツが許可する前に木戸を開けて、彼女の前に置かれている椅子に座ると、先ほど訪れた依頼人の話を彼女にした。すると、 「んー、その官僚のことなら、ワタシも聞いたことがあります。」 彼女は他の書類に目を通しながら、ボスにそういった。 「そうかね。それなら話が早い。では、この依頼、引き受けてはくれないか?。」 ボスが喜び勇んでそういうと、 「でも、それはちょっと・・。」 と、彼女は書類を机の上に置くと、ボスの方を見てそういった。 「どうしたね?。何か問題でも?。」 「はい。いい難いことですが、その方、評判が宜しくないというか、悪すぎますね・・。」 彼女はその男性に纏わる金銭面の噂を聞いていた。一官僚にしては、分不相応な報酬を得ているかのような暮らしぶりの上、裏では高利貸しもしていて、取り立ても悪辣な手段で行う、そういう人物らしかった。しかし、 「いや、彼の行状など、どうでもいい。キミのその卓越した論理力で、彼を勝たせれば、それでいい。報酬は高いぞ。ん?。」 そういうと、ボスは彼女に是非とも依頼を受けるようにいった。 「・・仕方ありません。解りました。お引き受けしましょう。ただし、」 彼女は依頼は承諾したが、言葉を続けた。 「ただし?。」 「勝訴によって、その方の素行が良くなるものではありません。仮に勝ったとして、その方が同じ過ちを犯したならば、無理に勝たせた我々の評判が落ちます。それでもかまいませんか?。」 リーツはボスの目を真っ直ぐに見て、そうたずねた。 「我々は弁護者だ。依頼人の素行など、いちいち気にしていては、仕事にはありつけん。」 そういうと、ボスは余計なことは聞きたく無いといわんばかりに、荒々しく立ち上がると、後ろでで木戸を閉めながら部屋を去った。 「ふう。やれやれ・・。」 彼女はやりかけの書類を作成し終えると、出かける用意をして執務室を出ていった。そして、其処から馬車で財政官舎に向かった。程なく馬車が官舎に着くと、彼女は衛兵に身分を証明する書類を提示し、中に通された。 「御用向きはなんですかな?。」 窓口の男性が、丁寧な物いいで彼女にたずねた。 「ワタシは弁護者をしております、リーツと申します。官僚の収支報告はこちらで一元管理していると思いますので、お手数ですが、とある官僚の書類を閲覧出来ますでしょうか?。」 と、これが職務上の訪問であることを、彼女は強調しつつ、依頼者の書類を見せるように頼んだ。 「承知しました。」 男性はそういうと、一旦奥に下がった。リーツは荘厳な官舎の積み石を眺めながら、書類を待った。数分後、一抱えもある書類の山を持って、男性が現れた。 「お待ちしました。こちらで、ここ数年の全てです。」 彼はそういうと、無造作に書類の乗った引き出しをカウンターの上に置いた。 「有り難う。」 彼女はそういうと、膨大な書類に片っ端から目を通し、気になる部分を持って来た別の用紙に書き留めると、 「終わりました。どうも、有り難う御座いました。」 と、男性に伝えた。 「え?、もう全部読んだんですか?。」 「ええ。」 驚く男性に、彼女は淡々と答えた。そして、彼女は男性に会釈すると、再び馬車に乗って、今度は依頼主の館に向かった。街中を抜けて少しいった所に、広々とした庭園が広がっていた。そして、白い門扉辺りで馬車を止めてもらうと、ネームプレートで依頼主の名を確かめた。 「なるほど・・。」 彼女は一人合点をしながら門を開けると、庭園の中を暫く歩いて、大きな戸の前辺りまで来た。そして、 「コンコン。」 とノックをし、出て来た執事に、依頼主に取り次ぐように頼んだ。此処でも暫く待たされるのかと、彼女はぼんやりと庭園の草花を眺めながら待とうかと決め込んだその時、急ぐ靴音と共に、 「やあ、わざわざ御足労頂いて、すみません。」 と、依頼主の官僚自ら、彼女を出迎えた。 「初めまして。リーツ弁護者です。」 彼女は丁寧に挨拶をした。 「ああ。よく来て下さった。ささ、中へ。」 男性はニコニコ顔で彼女を館の中へ誘った。二人が応接室に向かう道すがら、男性は彼女に世間話でもしようと、何気に話しかけた。しかし、 「すみません。ボスから伺いまして、依頼については了解しました。で、事を急ぎますので、お手数ですが、此処数年分の所得に関する書類を拝見出来ますか?。」 と、彼女は端的に用件だけを伝えた。当然、男性は露骨に嫌な顔をした。しかし、 「解りました。アナタが依頼を受けて下さるのなら、何なりと協力させてもらいますぞ。」 そういいながら、彼女を応接室に通すと、一旦退室した。彼女はズラリと並んだ煌びやかな調度品を一瞥しながら、巨大な革張りのソファーを手で撫でた。 「贅の限りを・・かあ。」 そうこうしていると、男性が小さな引き出しを持って現れた。 「お待たせしました。これが此処数年分の書類です。」 そういって、男性は巨大な大理石の机の上にそれを置いた。 「有り難う御座います。」 彼女はそういうと、僅かに置かれた書類の束を鷲掴みにすると、一気に目を通した。そして、やはり気になった箇所を持っていた別の用紙に書き写した。 「有り難う御座いました。これで数字は揃いましたので。」 そういいながら、彼女は少し膝を曲げながら会釈して、退室しようとした。 「え?、もう見終えたのですか?。」 「ええ。」 此処でも彼女は仕事が速かった。そして、少しでも引き止めて彼女の気を惹こうとする男性を他所に、彼女は馬車に乗り込むと、仕事場に戻っていった。馬車に揺られながら、片側に庭園を眺めつつ、 「どう見ても数字は合わないわね。書類の量の差でも歴然としてるし。これまで訴えられなかったのが不思議なぐらい。差し詰め、王家に袖の下を渡して延命してたんだろうけど、きっと、政変でも起きてるのかな・・。」 彼女は今日手に入れた数字から窺えるシナリオを、頭の中で組み立てた。そして、馬車が到着すると、彼女は執務室に籠もって、一人作戦を練った。ボスは時折、彼女の部屋の前に立って、何か役に立てまいかと、木戸をノックしようとしたが、そのまま静かに立ち去った。  数日後、官僚の男性が訴追され、裁きの場が設けられた。議場の向こう側には男性を訴追する弁護者の一団が、そして此方側にはリーツと依頼主の官僚、そしてボスが着席した。いつもはあまり人が訪れない議場内も、今日の噂を聞きつけた人達が、傍聴しようと議場内にひしめき合った。 「裁き主が入廷します。」 衛兵の声と共に、正面の戸が開かれ、裁き主が現れた。一同は起立してそれを迎えて、着席した。冒頭から、訴追を行う弁護者の容赦ない糾弾が始まった。議場内は男性の悪辣なる行いに時折ざわめいたが、裁き主が静粛にせぬ者は即退廷させる旨を伝えると、議場内は静まり返った。リーツは僅かに準備してきた書類に目を落としながら、相手の弁護者の発現を黙って聞いていた。そして、官僚の男性が証言台に誘われ、質問攻めに遭いながらも、老獪ないい回しで話をのらりくらりと切り抜けていった。まるで、弁護者など必要無いといわんばかりに。しかし、とある弁護者が納税書の数字について細やかに指摘していくにつれ、男性のトーンは落ち、額に汗が滲み出した。そして、答えに窮する場面が目立ち始めたその時、 「裁き主様。これより先は、依頼主も数字に明るくなかったり、記憶が不鮮明な所も御座いましょうから、ワタシが代わって答弁致します。」 そういいながら、リーツが助け船を出した。  彼女は靴音を鳴らしながら颯爽と発言台に立った。そして、 「ワタシの方から、その数字についてご説明致します。」 そういうと、彼女は先日取り寄せた納税額と所得額のそれぞれを提示し、その齟齬を明らかにした。当然、 「おー。」 と、議場内の一同が動揺した。その額の大きさも然る事ながら、被告を弁護する側の人間が、何故そのようなことをいい出すのかと、傍聴者のみならず、裁き主さえ動揺を隠せなかった。すると、 「では、リーツ弁護者。アナタは被告の罪状を追認するということで宜しいのかな?。」 裁き主がそうたずねると、彼女はケロッとした表情で、 「はい。依頼人である被告が所得を個人で所有するか隠していれば、そうなります。ですが、彼はワタシにこの数字をハッキリと提示しました。それは、彼にはそうするだけの明確な理由と自身があるからです。」 彼女の発言に、議場内は再び響めいた。 「それは、どのような理由かな?。」 「はい。彼は官僚という職務を全うする傍ら、多くの者達を雇用し、働く機会を提供しております。その業種は多岐にわたり、実の多くの人達が職を得ることによって、安心して暮らしていける、そういう共同体を複数設立しております。ですので、今回露わになった数字は、そのそれぞれの施設に支払う予定の蓄え金であり、設備や給与によって、全て支払われるもので御座います。」 彼女の発言は、さらなる響めきを呼び起こした。そして、依頼人の男性さえも、何ということをいうのだという目で、彼女を見つめた。そして、彼女はさらに続けた。 「従って、彼がまるで守銭奴のように思われたのは、実はこのためだったのです。つまりは、少しでも多くの人々に自身の財を分け与えるべく、日々懸命に資産を増やし、来るべき日に備えていたのです。」 発言を終えると、彼女は裁き主を真っ直ぐに見て微笑んだ。 「被告人、今の弁護者の説明に、間違いはありませんか?。」 裁き主は被告に確認した。彼はおどおどしながらも、 「は、はい。間違い御座いません。」 そういうより他は無かった。そして、彼女は発言台から下りると、被告の男性の横を通り際に、 「これでアナタの嫌疑は晴れるでしょう。そして、アナタのことを快く思っていなかった人達の目も、全て変わるでしょう。このまま、脱税の罪が確定すれば、アナタは即日、処されますからね。」 そういいながら、彼の震える手の上に、そっと手を置いて微笑んだ。そして、全ての審理を終え、裁き主が、 「判決。被告は無罪。然るべき期日までに全ての支払いを終えて、その収支を申告するように。以上。」 そう判決をいい渡すと、衛兵が槍の柄で床を叩いた。 「コーン!。」 その音を合図に、裁きの終了が告げられると、傍聴席にいた人達は一斉に元被告の周りに駆け寄った。 「嗚呼、官僚様!。そういうことだったのですね。感謝します!。」 「有り難う御座います!。」 「有り難う御座います!。」 彼の周りには、これまで長い間、搾取され続けていたであろう面々が、手の平を返したように、感謝の言葉を並び立てて、彼を讃えた。リーツはその様子を微笑ましく眺めながら、議場を後にした。すると、彼の罪を立件しようとした相手の弁護者達が彼女の後を追っていき、 「いやあ、何という見事な弁護だ。こんな痛快なのは見た事がない。」 「本当に。仮に彼が脱税をしていたとしても、このような判決では、蔵を開放して財を投げ打つしかないですからな!。」 「はっはっはっ。下手に税の徴収が行われて、無駄に裏金になるよりも、此方の方が余程いい!。」 口々にそういいながら、彼女に賞賛の声を上げた。しかし、彼女は冷静沈着な表情を崩さず、 「ワタシは依頼主の望み通りに、弁護をして差し上げただけですわ。では、失礼。」 そういうと、彼女は颯爽と彼らの元を去った。その遥か後に、傍聴者に揉みくちゃにされながらも、官僚の男性はようやく嫌疑とみんなから解放されて、議場を飛び出した。 「ふう、やれやれ・・。」 傍らにいたお付きの者が、 「よう御座いましたな。あのまま刑が確定されれば、危うく命を落とす所でした。」 そういって、男性の無罪を共に喜ぼうとした。しかし、 「何をぬかすか!。ワタシにとっては財産こそが全て。命も同然、いや、それ以上だ!。それを、あろうことか、あの女め、いけしゃあしゃあと好き放題、議場でいいやがって・・。」 彼の目は落胆と怒りと、そして、どす黒い憎しみに満ちていた。  裁きを終え、執務室に戻ったリーツは、ボスの出迎えを受けた。 「おお、リーツ。聞いたぞ。何とも凄い勝ち方をしたそうだな。」 ボスは今回の勝訴で得られる報酬のことで頭がいっぱいだった。しかし、 「ですが、今回の判決で、彼は資産の三分の二以上を失います。それを善行であると、彼が理解し、そして、悔い改めることがあれば、決して高い支払いでは無いでしょう。ですが・・。」 彼女はそういうと、口を閉ざして執務室に入っていった。  その一件以来、彼女は本当に正義がそこにあると、自身が判断出来る依頼しか受けなくなった。高い報酬を得て財を成したので、勝てる裁きしか受けないのだろうと、心ない声も容赦なく浴びせられることもあったが、それでも彼女は気に留めず、ひたすら自分の考える正義に則した仕事ぶりを貫いた。優れた仕事に対する評価と、彼女の才女なるが故のやっかみ半分な批判を、彼女自身は淡々と受け止めつつ、家に帰ると子供の世話と執事との屋敷や庭の手入れに汗を流すことで、心の疲れを癒やしていた。  それから月日は流れ、以前にリーツによる勝訴とは逆に、敗訴になった弁護者の元に、一人の依頼人が訪れた。それは若い少年だった。 「すいません。弁護を依頼したいのですが?。」 「あ、はい。どのようなご依頼ですかな?。」 助手が対応すると、その少年は依頼内容を切り出した。 「今から数年前、ボクの父は殺人の咎で、広場で処されました。しかし、父は無実です。そのことの審理をお願いしたくて、今日うかがいました。」 その話を聞いて、助手は少年の顔をようく見た。 「・・・そうですか。では、少しお待ちを。」 彼は少年の顔に見覚えがあった。しかし、あの時の凄惨な光景を思い出して動揺する姿を見せまいと、彼は平然を装って、弁護者に取り次いだ。 「あの子供が・・か?。」 「はい。恐らく。」 弁護者は助手に確認すると、少年の前に現れた。 「こんにちは。話は聞きました。それで、依頼というのは?。」 「はい。あの時、父は、無実にもかかわらず、刑が確定し、翌日処されました。」 「我々の力が至らなかったばかりに・・、」 弁護者は敗訴の原因が自分にもあることを、長年抱え込んではいたが、彼に会うまで、そのことは心の奥底に仕舞っていた。すると、 「いえ。アナタ方は、父のために懸命に弁護をして下さった。それでも父が処されたのは、運命だったと、そう考えるより他はありませんし、ボクは自分にそういい聞かせてきました。ですが、父は決して人など殺めてはいない。その疑いを晴らせないまま逝ってしまった父は、さぞ無念だったろうと思います。ですので、ボクが代わって、父の無念を晴らそうと思い、今回、依頼に来ました。」 そういうと、少年は皹(あかぎれ)腫れ上がった手で、小さな袋を取り出した。 「これがボクの貯めた全財産です。」 そういいながら、僅かな金貨を取り出した。 「あの日以来、母は気がふれてしまい、家の働き手はボクだけになりました。なので、ボクは必死に働いて、何とか母と二人で今日までやって来ました。」 そう語りながら中空を見つめる少年の目は、世の理不尽に翻弄されながらも、決して魂の大事な部分を失うまいと、必死に抗ってきた者のそれであった。幼気な少年に、世はこうも残酷なものなのかと、弁護者は心打たれた。そして、自身のあの時の至らなさに対する負い目も手伝って、 「解りました。その依頼、お引き受けしましょう。」 と、採算度外視で、少年の依頼を快諾した。 「有り難う御座います。ボクに出来ることは何でもします。どうか宜しくお願いします。」 少年はホッとした表情を浮かべると、一礼して彼らの元を去った。 「因縁の再開・・・かあ。」 弁護者はそう呟くと、助手にお茶を入れるよう頼んだ。そして、かつて行った裁きに関する書棚の前に立つと、 「うーん、随分前の件だからなあ・・。あ、これこれ。」 そういうと、弁護者はかつて敗訴した件の書類を見つけ出した。それを机の上に置くと、彼は丁寧に書類に目を通した。 「うーん、確かにあの時、被告にかけられていた嫌疑は、不十分ではあったんだよなあ・・。」 書類に目を通しながら、弁護者は、あの裁きが確たる証拠によってでは無く、当時担当していた相手の弁護者であるリーツの手腕によって、有罪が確定された印象を、次第に思い出していった。幸い、彼女の発言内容は、助手によって一語一句漏らさず、記録に残されていた。弁護者はそれを穴が空くぐらいに目を通した。 「うーん、やはり彼女の論理は、完璧だなあ・・。全く矛盾が無い。よくも証拠に乏しいのに、これだけの論が立てられたものだなあ。」 と、記録文を目で追っていると、 「ん?。」 彼はあることに気付いた。と、其処へ、 「お茶が入りました。」 と、助手がお茶を差し出した所、 「おい、出かけるぞ。」 といいながら、弁護人は上着を羽織った。 「は?。でも、お茶が・・。」 「おっと、そうだったな。すまん。」 そういうと、弁護者は折角のお茶と心遣いを台無しにしないように、ゆっくりと半分ほど味わった。そして再び、助手に出かける準備をするように促した。 「で、どちらへ?。」 「うん。さっき受けた依頼の調査にね。」 そうこうしているうちに、二人はかつてそこで犯行がなされたとされる現場に到着した。 「記録によると、被害者はこの階段を上ろうとした所を、後ろからいきなり 刺されたとなっていた。おい、ちょっと階段を少し上った所で止まってくれないか?。」 弁護者は助手に指示すると、彼を止まらせて、少し離れて彼を見た。  弁護者は口元に手を当てて、助手と周りの位置関係をつぶさに観察した。 「階段は壁の右側に設置されているから、建物の左から灯す明かりからは影になってるな。」 そういいながら、弁護者は助手に近付いていった。そして、狭い階段では、助手の右側にしか可動範囲が無いのを確認しながら、 「となると、当然、被害者の右後方からしか刺せないな。そして刺し傷は右後背部下から肝臓に向かって一刺し。」 弁護者は右手の人差し指と中指を立てて、それを刃物に見立てると、弁護者の右後背部下に押し当てた。 「刃物が下から上に向けてってのは、手練れの仕業ですね。」 「どうして?。」 助手の気付きに、弁護者がたずねた。 「以前、飲み屋での喧嘩を何度か見たんですが、慌てる素人ほど刃物を上から振りかざします。ですが、明らかに慣れてるヤツは、刃物をサッと取り出すと、下から刺そうとします。その方が、血が止まらなくなるんだとか。」 「なるほど・・。」 弁護者は助手の説明と当時記載された書類の内容が一致するのに合点がいった。ただ、 「ん?、待てよ。被告は確か、左利きじゃ無かったか?。」 そういうと、弁護者は書類から抜粋したメモをズボンのポケットから取り出して確認した。 「やはりな。となると、状況証拠から考えても、被告が犯人であった可能性は極めて薄いってことか。よし、ご苦労さん。」 弁護者は助手を労うと、二人は階段を降りて、次の目的地に向かった。当時の取調官が書き記した被告の供述書に出て来る人物を、一軒一軒訪ね歩いた。そうするうちに、弁護者は被告のもう一つの顔を知ることとなった。 「それは間違い無いのですか?。」 「ええ。この辺りじゃ、ちょっとした有名人でしたよ。普段は靴職人でしたが、それにしては分不相応に豪華な家に住んでいた。それが高利貸しってモンですわ。ま、彼も雇われで取り立て人の頭(かしら)になってただけですがね。それでも羽振りは良かったですね。」 当時からこの辺りに住む男性が、弁護者の質問に饒舌に答えてくれた。 「ふむ、なるほど。で、彼の雇い主というのは?。」 「え、そいつは、ちょっと・・。」 しかし、弁護者がさらなる質問をすると、彼は途端に口を閉ざした。すると、弁護者はポケットから金貨を一枚取りだして、 「ただてとは申しません。」 そういうと、その金貨を男性に手渡して、そっと握らせた。 「ま、年数も経ってますしね。ほら、例の財産を持ってかれた官僚殿がおりましたでしょ?。彼です。」 「あの、リーツ女子が弁護した?。」 弁護者は目を丸くして男性にたずねた。男性は黙って首を縦に振った。 「解りました。ご協力、感謝します。あ、勿論、アナタから伺ったということは一切口外しませんので。」 そういうと、弁護者は男性に礼をいって、その場を去った。 「ちょっと厄介な匂いがして来ましたね。」 助手が少し心配そうな顔でそういうと、 「うーん、これは思ったより、奥が深そうだな・・。」 と、弁護者は唸りながらも、今度ばかりは真実に近付こうという決意の火を、心の中に灯らせた。そして、被告人のかつての配下にあった取り立て人を見つけ出しては、少しずつ情報を集めていった。そして、最も探すのに手こずった人物に、二人はようやく会うことが出来た。それはとある山林の奥深くにある山小屋だった。辺りには生活感が漂い、誰かがまだ暮らしているらしかった。しかし、戸をノックしても、誰も出て来る様子は無かった。 「留守か、それとも、我々に気付いて行方を眩ましたか・・。」 弁護者がそう呟いていると、山道の方から斧を担いだ男が下りてきた。 「オマエら、何者だ?。」 男は斧を右手に持ちながら身構えた。すると、 「アナタ、右利きですね?。」 弁護者は少し及び腰になりながらも、ハッキリとした声でたずねた。 「だったら、何だ?。」 「ワタシは、かつてアナタの雇い主だった人物を弁護した者です。残念ながら、ワタシの力が及ばずに、彼は敗訴になって処されましたが。」 厳めしい男の問いに、弁護者は事実を淡々と答えた。すると、 「はっはっはっ。アンタがあの時の弁護者か!。そうかそうか。」 そういいながら、男は斧を持つ手を下げると、急に穏やかな表情になった。 「オマエらは、オレを捕まえに来た訳では無いようだな。」 「ええ。我々はただの弁護者と助手ですから。」 「で、何が聞きたい?。」 男がそういうと、 「真実をです。」 「真実か・・。」 弁護者の言葉を、男は噛みしめるように復唱しながら、 「ようし。オマエらが来るようでは、此処もじきに知れ渡る。潮時ついでに何でも話してやろう。」 男の言葉を聞き、様子を見て、どうやら本当のことを語ってくれるようだと確信した。そして、弁護者は自身が今進めている捜査についての質問を、率直に男にぶつけた。すると、 「ああ、間違い無い。やったのはオレだ。」 男はアッサリと自供した。  恐らくは自分たちが彼を捕まえないと解って、安堵と同時に全てを語り始めたのだろうと、弁護者も推測はした。しかし、自身の有罪をこうも容易く喋ってしまう理由が、弁護者には理解出来なかった。 「あの、理由を聞いてもいいですか?。」 「ああ。ヤツがオレに命じたからさ。彼をやれってな。」 「で、その理由は?。」 「商売敵だったからさ。彼も高利貸しで、ヤツの雇い主がそれを快く思って無かったみたいだからな。」 弁護者は口元に手を当てながら、慎重にたずねた。 「で、その雇い主というのは・・、」 すると、男は事も無さげに、 「官僚様さ。」 またもや男はアッサリと答えた。そして、弁護者がたずねるが早いか、 「野郎、自分では手を下さねえくせに、ヤツに商売敵を消すように命じ、そしてその依頼がオレに回ってきた。オレは汚れ仕事専門だから、金さえ貰やあ、誰だってやる。だが、あの野郎、ご丁寧にオレまで消そうとしやがった。だからオレは身を隠した。そして、野郎はその罪をヤツに着せた。そういうことだ。」 淡々と事実を語ってサッパリした顔の男とは逆に、話の全容を聞いた弁護者の顔は次第に曇っていった。無垢なる依頼者の少年に、この真実をどう伝えるべきか。そして何より、この事件の真の首謀者を裁きにかけることが、果たして可能なのかと。件の官僚は、今や慈善家としてその名を轟かせているだけではなく、王家の財務顧問として、確固たる地位を築いている。そんな彼を起訴して裁こうなど、とても不可能だろうと弁護者は思った。 「さて、オレはぼちぼち消えるとするか。最後に土産話を一つ。ヤツは嵌められて捕まる前に、こっそり手に入れた官僚様の裏帳簿をオレに手渡していった。で、オレも自分が狙われてることを知って、そいつを財政官舎に投函してやったって訳さ。で、例の女性弁護者が名調子で、野郎の財産を奪い取ってくれた。ま、真犯人はオレだが、彼女はこの件に纏わる連中に天誅を食らわしたって訳さ。じゃあな。」 そういうと、男は小屋に戻って、最低限の荷造りをすると、それを斧にくくりつけて、小屋を去っていった。二人は暫く小屋の前に立ち尽くしていたが、 「で、どうします?。これから。」 助手は弁護者にたずねた。 「うーん、彼の言葉に嘘は無さそうだな。だが、もし全てが天誅ならば・・、」 弁護者がそういいながら口元に手を当てつつ、腕組みをしたその時、 「パーン!。」 と、山中に乾いた銃声が鳴り響いた。 「あの音は?。」 「まさか・・、」 二人は山道を避けながら、静かに山林を縫って、銃声の鳴った方に向かって歩いていった。すると、 「やはりか。」 弁護者は小声で呟いた。林の隙間から窺えるその先には、先ほど荷造りを終えて小屋を去ったばかりの男が倒れていた。そして、その側には、男の荷物を物色する男達の姿があった。 「ヤツら、一体何を?。」 「シーッ!。」 助手は小声で話しかけたが、弁護者はそれを遮った。そして、男達が目当てのものを見つけられずに小屋の方に向かったのを見て、 「今だ。いくぞ。」 と、弁護者は男達とは反対側に逃げるようにいった。そして、暫く山林を駆けていき、少し開けた所に出て、二人はようやく一息ついた。 「はーっ、はーっ。もうダメだ・・。」 「ふーっ。恐らくは官僚の手の者だろうな。彼らの来た方向から察するに、我々を付けてきた訳では無さそうだ。我々と接触をしたこともまだ知られてないとすると、まだ少しだけ時間はありそうだ。よし、急ぐぞ。」 弁護者はまだ息の整っていない助手に拍車をかけると、急いで街に戻った。そしてようやく、二人は仕事部屋辺りまでやって来た。弁護者は周囲を慎重に見回し、誰も張り込んでいないのを確認すると、サッと戸を開けて中に入って、直ぐさまカギを閉めた。 「お茶を頼む。」 弁護者は助手にそういうと、棚から書類の幾つか取りだして、それをつぶさに見始めた。 「お茶が入りました。」 助手はお茶に茶菓子を添えて、弁護者の机にそっと置いた。 「有り難う。」 彼は菓子を頬張り、それをお茶で飲み込むと、書類に目を通し続けた。そして、 「あった!。」 弁護者は依頼主の少年の父が裁かれた記録の中から、彼が犯人であると、リーツに情報をもたらした人物の名を見つけた。そして、別の書棚から感両者名簿一覧を取り出すと、その名が無いかを照合した。かなり時間を要する作業ではあったが、これが最後の頼みの綱と思いながら、彼は真剣に小さな文字と闘った。そして、 「よし!。これだ!。」 そこにはリーツ弁護者が脱税容疑を晴らした官僚に仕える秘書の名が記されていた。 「そういう絡繰りかあ・・。」 弁護者は口元を手で押さえながら、背もたれにもたれた。そして、かなり昔の事件にも関わらず、自分たちの動きをまるで察しているかのように動く連中について考えた。 「嘱託殺人の隠蔽だけなら、可哀想だが少年の父と、今日撃たれた彼を消すだけで十分なはず。しかしそれならば、こんなに年月をかける必要が無い。なのに、今に至って全てを実行したということは・・、」 弁護者はお茶のカップを机に手を伸ばしたが、それを止めた。そして、急に何かを思いついた。 「彼女が危ない!。」 弁護者は慌てて何かを書くと、それを封筒に入れて胸ポケットに仕舞った。そして、上着を羽織ると、再び出かける用意をした。そして、 「いいか。このコインを渡しておく。ワタシから少し離れて、後ろ歩きたまえ。そして、誰かが背後から近づいて来そうなら、地面にこのコインを落とすんだ。」 彼はそういうと、助手にコインを手渡して、そっと戸を開けると、誰もいないのを確認して先に執務室を出た。それから少し遅れて、助手もそっと部屋を出て、戸を閉めしなに、紙の切れ端を間に挟んでおいた。弁護者は助手の少し先の方を歩き、時折止まっては周囲を見渡した。そして暫く歩くと、リーツの執務室のある建物に着いた。 「コンコン。」 彼は戸をノックした。 「はい。」 と、中からボスが戸を開けて出て来た。 「どちら様かな?。」 「はい。ワタシはリーツ弁護者と同様に、弁護者をしている者です。折り入って、彼女とお話したいことが御座いまして。」 そういうと、彼は手紙の入った小さな封筒と、金貨を一枚差し出した。ボスはカウンターに置かれた金貨をサッと仕舞うと、手紙を受け取って、 「解りました。少々お待ちを・・。」 そういいながら、奥へと消えていった。そして、取り次いでもらっている間に、助手も彼に合流した。 「今のところ、誰もついて来てはいませんでした。」 と、助手が弁護者に耳打ちしていると、 「お待たせしました。彼女がお会いしたいといっております。」 そういいながら、ボスが再び現れた。弁護者はボスに感謝の意を伝えると、奥へ通された。そして、彼女の執務室の前に来ると、 「コンコン。」 と、戸をノックした。 「どうぞ。」 聞き覚えのある声が中からした。 「失礼します。」 戸を開けながら、弁護者は挨拶を述べた。 「こんにちは。しばらくぶりですわね。」 「ええ。随分前にお会いして以来ですね。」 リーツは座ったまま挨拶をした。そして、 「手紙、拝見しました。」 と、彼女は時間を惜しむように、早速本題に入った。 「本来であれば、依頼者からの話は守秘義務に基づき、話すべきでは無いのですが・・、」 そういいながら、弁護者は数年前に互いが弁護者として行った裁きについての話や、刑に処された被告の子供が自分に再調査の依頼をして来た件、そして、彼の調査で、真犯人がいるであろうという旨を、彼女に伝えた。しかし、その犯人と接触したことと、その彼が消されたことについては触れなかった。彼はリーツが勝訴した内容とは真逆の真実を突き付けられたことで、口を閉ざすかもと、そう考えていた。しかし、彼女は予想に反して、 「ええ。恐らく、そうだろうとは思ってました。」 と、淡々と答えた。 「ご存じだったのですか?。」 「いえ。知っていた訳ではありません。ですが、情報がもたらされました。」 彼女も、彼が守秘義務を破ってまで話したことを受けてえ、自ら打ち明け話を始めた。 「それは、官僚の秘書から・・ですね?。」 「ええ。よくご存じで。」 「仕事ですからね。これでも。」 弁護者は謙遜がてら、そういった。そして、 「嘱託殺人は現行犯と同罪。しかし証拠は無い。だから、真犯人を後に回して、先に指示を出した方に判決が下るようにした。ですね?。」 彼がそういうと、彼女は彼の方を見て、 「概ね、そうです。ですが、我々のような者に情報をもたらすということは、必ず裏があります。だから、ワタシは密かにその秘書が仕える官僚のことを調べました。」 「そして、巨悪の尻尾を掴んだ。そんなところですかね?。」 弁護者の問いに、彼女は静かに頷いた。そして、 「恐らくは口封じ・・。そんな匂いはしましたわ。」 彼女がそういうと、 「なるほど。そこまで察しておられましたか。ならば、話のついでにもう一つ。」 そういいながら、弁護者は真犯人が真実を語ったこと、そして、その彼が今になって消されたことを、彼女に伝えた。 「罪を犯したる者には、それ相応の報いが訪れた。そういうことでしょう。ですが、最大の難敵がまだ残っています。当時のアナタに手をかけるのはマズいと、彼は思っていたのでしょう。有名人過ぎましたからね。そして今、ワタシが過去をほじくり返す動きを察知して、彼は知りたる者の粛正を一気に加速させた。アナタは彼から財を合法的に奪い取り、それを人々に還元した。あれほど周到に関係者を消すような人物です。恐らく、アナタの身にも、程なく危険が及ぶでしょう。」 彼は真剣な表情で彼女を見つけた。しかし、 「そうね。彼には善人に生まれ変わる機会を与えたつもりだったけど、それだけでは彼の贖罪には、どうやらならなかったようですわね。」 と、彼の心配を他所に、彼女は平然とした顔でそう答えた。  その落ち着き払った様子を見て、彼はあまりにも不思議に感じた。そして、 「逃げないのですか?。」 と、一言たずねた。 「逃げるって、何処へ?。」 「彼の手の者が、アナタの口を封じにやって来るのは時間の問題・・、」 弁護者がそういいかけたとき、 「我々は、口が商売の元です。それを封じることなど、出来ないでしょう。」 彼女はキッパリとそう答えた。 「アナタは本気で正義が自身を救うとでも思ってるんですか?。それは幻想です。アナタは人より優れた、いや、卓越した論理の持ち主です。その技が、時として事実を曲げることも可能だったでしょう。ですが、今やあの官僚は、王家を背景にした化け物です。どんな手を使ってくるか解りません。それでもいいんですか?。」 彼は心配のあまり、ムキになりながら語気を強めた。しかし、 「我々が正義を信じなくて、誰がそれを信用するようになります?。例え、世が、政府が、そして王朝が理不尽極まりなくとも、正義を貫く者がいなくては、人間社会に秩序など、到底樹立は出来ません。お心遣いは感謝します。ごきげんよう。」 彼女はそういうと、弁護者を戸の所まで誘った。彼は裁きの場以外でも、彼女にコテンパンにされた気分だった。 「解りました。どうか、お気を付けて。」 彼は勝ち負けの問題とは離れた、一人間の表情で、彼女にそう声をかけた。 「有り難う。本当に。どうか、アナタもお気を付けて。」 そういうと、リーツは膝を曲げて深々と頭を下げた。弁護者は別れの挨拶をすると、彼女の執務室を後にした。そして、 「帰るぞ。」 と、待っていた助手に声をかけると、再び後ろの方を離れて歩くように伝えた。彼女に対する心配と、議論の高揚感、そして疲労感とが混ざって、彼は少しボーッとした様子で街中を歩いていた。と、その時、 「チャリーン!。」 と、コインが地面に落ちる音がした。しかし、集中力を欠いていた彼の耳には、それは届かなかった。そして、あっという間に彼は斜め後ろからやって来た二人の男に両腕を掴まれた。 「弁護者の方ですね?。話があります。」 そういうと、彼は二人に抱えられながら、路地裏まで拉致された。彼は抵抗を試みたが、屈強な男二人は微動だにしなかった。すると、 「解った解った。降参だ。で、用件は?。」 彼はあっさり諦めると、両手を挙げて二人にたずねた。 「来てもらおう。こっちだ。」 そういうと、二人のうちの一人が彼を横付けにしてある馬車の中に誘った。 「ご機嫌よう。弁護者殿。」 馬車の中には、脱税容疑を真逃れた、例の官僚が座っていた。 「これは、どーも。」 弁護者はぶっきら棒に挨拶をした。 「キミは何やら、昔のことを漁っているようだね。まあ、仕事だから、それは構わない。ですが、無用な用を増やす必要も無いでしょう。」 官僚の言葉に、彼は全てを察したかのように、 「ワタシにこの件から手を引け・・と?。」 彼がそういうと、官僚はにこやかな顔で、 「まあ、それは懸命な判断ではあるが、そうでは無い。間もなく、リーツ女子は捕まる。謀反の罪でな。」 「謀反?。彼女が?。」 彼は耳を疑った。さっきまで何者をも恐れず、真の正義を声高に述べていた彼女が、そんなことを企むはずも無いと。しかし、 「いや、それが、起こすのだよ。彼女は。そして、その弁護を、キミが担当する。彼女の犯行に関しては、全て手はずが整っている。後は、キミがそのことを追認すれば、それでいい。」 「ワタシに用意された筋書き通りに負けて、彼女を有罪にしろと?。」 彼は如何にも馬鹿げた依頼だと、そっぽを向いた。すると、 「ワタシとて、手荒なまねはしたくない。それどころか、ほれ、この通り。」 そういいながら、官僚は傍らに置いてある宝箱を持ち出すと、その蓋を開けた。と、途端に、窓から差し込む光が宝箱の中身を照らして、車内は山吹色に輝いた。それは、見たことも無い量の金貨だった。 「これは前金です。段取り通り、裁きが終わった後には、後金と、その後のキミの生活の一切の保証が待っている。どうだね?。」 全く、理不尽かつ悪辣なる申し出だった。しかし、それを飲みさえすれば、今後の彼の幸せは、約束されたも同然だった。すると、彼はその眩し過ぎる宝箱の蓋を自らの手で閉じて、 「解りました。その依頼、お受けしましょう。」 と、淡々と答えた。官僚は、彼が賢明な判断をしたことへの感謝を込めて、握手をしようと右手を差し出した。しかし、彼は上着を直す振りをして、 「では、ワタシはこれで。」 と、自然と握手を拒否しながら、ずっしりと重い金貨の袋を持って馬車を降りていった。そして、路地の向こうで遠巻きに此方の様子を窺っていた助手を見つけると、彼は首を横に振って、 「近付くな。」 と合図を送った。それを見て、助手はその場から一足先に立ち去った。そして、解放された弁護者が路地裏から出ていくと、表通りが何やら騒ぎになっていた。彼はその方向を見た。すると、沢山の衛兵がリーツのいる建物を包囲していた。そして、何と後ろ手に縛られたリーツが衛兵に引きずられながら連行される、まさにその瞬間だった。  彼女は民衆の見守る中、衛兵にせき立てられるようにして連行されていった。しかし、その姿勢は凛々しく、まるで覚悟の上の状況だといわんばかりの表情であった。そして、路地を出た所から見つめる弁護者と目が合うと、彼女は彼を真っ直ぐに見つめて、静かに頷いた。そして、衛兵に取り囲まれながら、連れ去られていった。その様子を眉間に皺を寄せながら見ていた弁護者は、重い袋を片手にしながら、口元に手を当てていた。 「例の官僚がワタシに依頼をして来たからには、暫くは無事でいられるな。」 そう考えながら、彼は自身の執務室に戻っていった。途中、彼はバーに立ち寄ると、カウンター席に立ちながら、 「ビールを一杯。」 そう注文して、ようやく一息ついた。と、其処へ、 「いよいよ大変なことになりましたな。」 と、助手が隣に現れた。弁護者はもう一杯ビールを注文すると、 「まあな。ワタシの運命も、どうやらこの辺りかも知れないな。」 そういって、カンターに置かれたグラスの一つを助手に手渡した。そして、 「今までご苦労様だった。今生の別れに乾杯といこう。」 弁護者はそういうと、あっけらかんとした顔をして助手とグラスを軽くぶつけて乾杯をした。しかし、助手の面持ちは暗かった。弁護者はグラスを一気に仰ぐと、 「さ、退職金だ。受け取りたまえ。」 そういうと、彼は金貨の入った袋を無造作にカウンターに置いた。 「これは?。」 「依頼金だ。明日から始まる裁きのな。」 「お受けになったんですか?。」 「ああ。だが、裁きが終わる頃には、ワタシも消されるだろう。だから、持っていても仕方が無い。」 そういうと、弁護者は二杯目のグラスを仰いだ。助手は周囲を気にしながら、袋の中をそっと覗いた。そして、 「これは!。こんなに凄い量の金貨は、今まで一度も見た事がない!。」 そう小声でいいながら、驚きを隠せない様子だった。と、 「おい!、今、何ていった?。」 「いえ、ですから、こんな量の金貨は今まで見たことも無いと・・。」 弁護者は助手の言葉を二度聞きして、目を見開いた。 「キミは天才だ!。いや、神よりの使者だ!。」 そういうと、弁護者は慌ててビールの支払いを済ませると、 「いいか。明日の裁きまで、キミがこれを持っていてくれたまえ。そして、これを持って、傍聴席で裁きを見ていてくれ。」 そういうと、弁護者はそそくさと店を出ていった。そして、そのまま真っ直ぐ、大通りを歩いて執務室に戻った。玄関には戸に夾んであった紙の切れ端が落ちていたが、彼は気にも留めなかった。そして、彼は部屋に入ると、自身に関する過去数年分の所得と納税に関する書類をかき集めて、机の上に広げた。そして、口元に手を当てながら、 「うん。間違い無い。」 と、数字を確かめつつ、一人頷いた。それが終わると、今度は便箋を取り出し、簡単に手紙をしたためると、それを封筒に入れて執務室を出た。 「あ、キミ、ちょっと・・。」 と、目の前を通り過ぎる郵便屋を呼び止めると、金貨を一枚渡して、 「済まんが、これは急ぎなんだ。よろしく頼む。」 そういって、速達の依頼をした。その頃には、ビールの酔いが回っていて、弁護者はご機嫌だった。そして彼は執務室に戻ると、 「さて、全ての財は無くなったし、最後の眠りに就くとするか・・。」 そういうと、着替えもせずにベッドに横たわって、そのまま眠りに落ちた。  翌朝、弁護者は目覚めると、昨日机の上に広げた書類を鞄の中に突っ込んで、そのまま執務室を出た。すると、 「おはようございます。」 と、彼を迎える馬車が一台止まっていた。 「おやおや。念の入ったことを。ご苦労さん。」 彼は馬車が官僚が差し向けたものだと察すると、そのまま馬車に乗り込んだ。今日の裁きの前に、不穏な動きをしないように命じられていたであろう部下達が、ピッタリと彼に寄り添って、彼の様子を窺った。しかし、彼は朝日の当たる馬車の中が心地良かったらしく、腕組みをしながら眠ってしまった。そして、暫く揺られていると、 「着きました。」 と、議場に到着したことを知らされた。弁護者は鞄を持って馬車を降りると、ゆっくりと議場に入っていった。 「少し早く来すぎたかな・・。」 そういいながら、議場の高い天上を眺めていると、反対の戸から大弁護団がぞろぞろと議場に入ってきた。その後、疎らだった傍聴席も次第に埋まっていき、ついには議場が満席になった。弁護者は自分の席に着こうと、そちらの方向に歩いていくと、そのすぐ近くに助手が座っていた。助手は弁護者に目配せをすると、彼は黙って頷いた。そして、傍聴席の一番末席には、リーツの息子と執事が身を隠すようにしながら、心配そうな表情で発言台を眺めていた。そして、一番最後にやって来た官僚が、裁き主のすぐ横に陣取った。と、 「バーン!。」 と正面の大きな戸が開かれると、衛兵に連れられながら、リーツが議場に入ってきた。そして、被告席に座らされると、その周りを衛兵が囲んだ。やがて、裁き主が議場に現れ、 「これより、裁きを行う。」 と声を発すると、衛兵が槍の柄で、石畳の床を叩いた。 「コーン!。」  裁きが始まると、大弁護団が彼女の罪状を読み上げようとした。と、その時、 「皇帝陛下の、おなーりーっ!。」 議場の外で番をしていた衛兵が急にそういうと、正面の戸が開かれ、国王が現れた。裁き主以下、議場内は響めいた。そして、直ぐさま全員、起立した。裁き主は慌てて席から降りると、陛下の元に歩み寄り、 「ご機嫌麗しゅう。陛下、何故此方へ?。」 と、恐る恐るたずねた。すると、 「うむ。何やら、国家の存亡に関わる、面白い裁きが見られると聞いてな。朕も、是非拝見しようと思って、参ったのだ。」 国王はにこやかにそういうと、弁護者の方を見つめた。彼が手紙の差出人であることを、どうやら察しているようだった。弁護者は、国王が足を運んでくれたことに、感謝の意を込めて一礼した。裁き主は陛下のために席を用意させると、裁きを再開した。 「では、被告、リーツに関する罪状を。」 裁き主がそういうと、大弁護団は次々に発言台に立ち、彼女が企てていたとされる謀反の全容について読み上げた。優秀なる王室の弁護者達が総出で考えたであろうシナリオは、まるで彼女が国家転覆を試みようとしている悪人であるかのように描かれていた。その話に、傍聴席は時折響めいた。しかし、リーツは顔色一つ変えず、裁きのゆく末を見守った。そして、 「では、リーツの弁護者。発言を。」 裁き主がそういうと、弁護者は発言台に立った。 「先の罪状を、アナタは認めますかな?。」 裁き主は弁護者にたずねた。すると、 「えー、申し上げます。先の弁護者による、リーツ女子の謀反の企てに関する罪状ですが、とてもでは無いですが、認めるものではありません。」 彼の発言に、議場内は響めいた。そして何より、官僚は目を剥いて彼を睨んだ。しかし、 「あ、ご静粛に。発言はまだ途中です。」 と、彼は議場内を宥めた。そして、 「ですが、彼女が謀反を企てたという証拠は、何一つありません。そして同時に、謀反を企てていないという証拠も、何一つありません。従って、無いものを無いと証明するのは、不可能です。」 彼の荒唐無稽な発言に、議場内はまた響めいた。すると、今度は裁き主が場内を静粛にさせた。 「発言は以上ですかな?。」 裁き主は弁護者に確認した。 「あ、まだあります。本来ならば、自身の弁護を、この国でも最も優秀なる弁護者であるリーツ女子自身で行うのが最善なはずですが、法の運命により、それは叶いません。従って、真に力不足ではありますが、ワタシが代わってその任に預かることとなりましたことを、深くお詫び申し上げます。」 弁護者はそういうと、リーツに向かって頭を下げた。そして、 「裁き主殿。これは異例な事ではありますが、判決の出ていない現時点では、彼女は咎人と定まった訳では御座いません。ですので、もしこれが今生の別れとなるならば、この国のために尽くしてきた彼女の最後の言葉を、是非とも伺いたく存じます。いかがでしょう?、皇帝陛下。」 弁護者はそう締めくくると、国王を真っ直ぐに見た。極めて異例な事態に、裁き主も蝋梅した。すると、 「よろしい。許可する。」 と、国王は寛大な措置を行うよう、裁き主に命じた。 「陛下のお言葉により、異例ではあるが、今回に限り、リーツ被告の発言を許可する。」 裁き主はそういうと、リーツを指名した。すると、彼女は被告席を立つと、発言台に上った。そして、 「ワタシは弁護者リーツです。発言をお許し頂き、感謝します。」 と、国王と裁き主に礼を述べた。そして、 「ワタシは多くの裁きにおいて、弁護を担当してまいりました。そして、その行為が、人々の人生を決定付ける、大事なものであることも十分に理解した上で、真実に対して忠実に、そして、正義を信じて、それを全うすべく、今日まで行ってまいりました。ですが、残念ながら、必ずしも正義が勝ち、世が穏やかに向かう訳でも無いのだということを、ワタシは今、痛感しております。それは恐らく、ワタシの弁護によって、報われぬ思いのまま死んでいった者達の怨念がそうさせている、今はそのように理解しています。今日の判決によって、我が身が如何様にされようとも、それは構いません。ワタシはワタシの正義を貫いて、その定めに従うつもりです。」 そういうと、リーツは傍聴席の末席を真っ直ぐに見つめた。と、その時、どのような状況においても颯爽と、そして凜としていた彼女の頬を、一筋の光る物が伝った。そして彼女は、人目を憚らず嗚咽した。 「・・・被告は下がってよろしい。」 彼女の涙に心打たれた裁き主も、言葉を詰まらせながらそういった。それを聞いて、リーツはゆっくりと発言台から下りてきた。すると、弁護者が歩み寄って、彼女の手を取って下りるのを助けた。 「有り難う。」 彼女が感謝の意を彼に伝えると、彼は力強く彼女の手をギュッと握った。ハッとなった彼女は彼を見た。すると、彼は澄み切った眼で彼女を見つめると、力強く頷いた。そして、 「では、これより判決をいい渡す。」 と、裁き主がそういいかけたとき、 「裁き主殿。済みません。」 そういいながら、弁護者が発言した。 「何事かね?。」 「先ほど、ワタシが示せるものは何も無いと、そう申しましたが、うっかり忘れてました。一つだけですが、物的証拠が御座います。」 彼がそういうと、議場内はこれまでに無い騒々しさになった。異例ずくめの裁きに、裁き主もすっかり段取りを忘れてしまっていた。国王も、果たして何が始まるのだろうと、興味津々で、身を乗り出しながら状況を見守っていた。そして、弁護者は助手のところに歩み寄ると、 「例のものを。」 そういって、金貨の入った袋を受け取った。そして、自身の席に置かれた鞄を持つと、発言台に上がっていった。 「えー、今ワタシが手にしているのは、昨日、そちらに居られる官僚殿から受け取った、金貨でございます。彼は、今日の裁きでワタシが彼女の罪状を全て追認して、裁きに負けるように依頼しました。そして、これがその報酬です。」 そういうと、弁護者は発言台の上に大量の金貨をぶちまけた。 「ジャラジャラジャラーッ!。」 たちまち、議場中央は山吹色の光を放った。 「嘘だ!。そんなのは出鱈目だ!。謀反の片棒を担ぐ、そやつのでっち上げだ!。」 狼狽した官僚は大声で罵った。すると、 「あ、それと、裁き主殿。此処に、しがないワタシの数年に及ぶ所得と納税に関する書類が全てあります。ご精査下さい。このような負け裁きしか行えないワタシのような弁護者に、一体、どうすれば、これだけの金貨を稼ぐことが出来ましょうか?。もしご存じなら、後学のため、是非お教え頂きたい。」 そういうと、弁護者は書類の束を持って、裁き主の前にそれを差し出した。すると、裁き主は両横にいた補佐の者と三人で、書類に目を通した。その間に、弁護者は発言台に戻ると、 「国王陛下、この金貨は、ワタシを買収すべく、支払われたものであると、先にも述べた通りでございます。そして、それに纏わる話といいますのが・・、」 そういうと、弁護者は官僚が部下に命じて嘱託殺人を行わせたこと、そして、それに関わった者の口を封じるために、労を策して消し去ったこと、そして、その仕上げとして、リーツを謀反の首謀者として、自身の脱税の罪を逃れさせたのと引き換えに、資産の多くを失った腹いせを企てていたことを、全て話した。途中、官僚が大声で口を挟もうとしたが、国王は衛兵に命じて、彼を黙らせつつ、弁護者の話を聞いた。そして、 「以上が、ワタシの知り得る全てです。さて、此処に今、真実を述べたる者と、偽りに塗り固められたる者の両者が、首を揃えております。もし、リーツ女子の謀反が本当だとお考えなら、ワタシは彼女と同罪です。その場合、我々はこの国の法に従い、粛々と刑に処されましょう。ですが、もし、我々の行いに正義をお認めになる部分が些少でも御座いましたら、今一度、ご再考頂きたく存じます。」 そういうと、弁護者は発言台から下りて、石畳に跪いた。そして、その頃には、場内は静まり返っていた。すると、国王は徐に立ち上がると、裁き主のところへいき、 「発言をしても、構わぬかな?。」 と、裁き主に許可を求めた。裁き主は席を国王に譲った。 「今の裁き、大変、興味深く傍聴させてもらった。偽らざる者は、いつの世も潔い。翻って、偽りし者は、いつの世も業に苛まれる。嗚呼、朕は危うく魔の巣窟で、雲りし眼のまま、真実を違え、世を誤った道へ誘う所であった。皆の者、許せよ。」 国王はそういうと、冠り物を外すと、議場内の皆に詫びた。そして、 「裁きに口を挟むことは、朕とて越権行為である。裁き主よ、弁護者の申し立てや如何に?。」 と、国王は書類を精査する裁き主達を見た。すると、裁き主は国王を見上げて、静かに頷いた。 「宜しい。では、席をお返しする。裁きを続けるが良い。」 そういうと、国王は元いた席に戻っていった。代わって、裁き主が再び着席すると、 「国王陛下の命により、判決をいい渡す。被告リーツ。其方の謀反を企てたる罪状は、偽りであると、そう判断される。よって、其方は無罪。」 と、そういい渡した。それを聞いて、傍聴席の末席にいた二人は歓喜の声を上げて抱き合った。 「そして、此処に至る全ての企てを、悪辣なる手段で完遂しようと画策した官僚殿、其方の罪は国家のみならず、臣民に正義の何たるかを忘れさせようとさえした。この罪、決して軽からず。よって、其方を即刻、刑に処す。以上。」 裁き主がそういうと、リーツを囲んでいた衛兵はみな、官僚を取り囲んで、そのまま連行した。そして、 「コーン!。」 戸の前に立つ衛兵の柄が、裁きの終了を告げた。 国王はリーツと弁護者の元に歩み寄った。二人は頭を垂れて、国王の前に跪いた。 「その者達。これまでこの国に正義が失われぬよう、懸命に努力されたことを、心より感謝する。そしてこれからも、引き続き、臣民が安寧に暮らせる世に向かうべく、引き続き裁きの場を支えていってくれたまえ。」 そういうと、国王は再び冠り物を頭に乗せると、静かに議場を去った。そして、国王が去った後、二人は立ち上がって、互いを見つめた。 「何て感謝していいのか・・、」 リーツがそういうと、 「キミは正義を貫き、そして正義を勝ち取った。ま、オレは弁護者廃業だな・・。」 と、彼は照れくさそうにそういいながら、書類の後始末を始めた。 「どうしうて?。どうして廃業なの?。」 「だって、安月給を世に晒した負け続きの弁護者なぞに、誰が依頼に来るかよ。」 そういいながら、助手と共に議場を去ろうとした。と、 「お待ち下さい。」 そういいながら、裁き主の補佐が手に袋を持って駆け寄ってきた。 「これは、アナタが提示した証拠の金貨です。全ての裁きを終えた今、これは其方の手にいくのが適切であろうと、陛下と裁き主が、そう申しております。」 それを聞いて弁護者は、 「そうですか。解りました。では。」 そういうと、裁き主は袋を受け取ると、リーツの方を向いて、 「では、失礼。」 と、挨拶をしながら議場を後にした。そして、戸口付近に来ると、一人の少年が弁護者の元に歩み寄ってきた。父の無罪を信じていた、あの少年だった。 「聞いていたのかい?。」 弁護者は、一瞬、しまったという顔をした。しかし、彼は傍聴席には入れず、外で聞き耳を立てていたのだった。 「はい。ですが、この戸が厚すぎて、よくは聞こえませんでした。」 「そうか。裁きは全て終わったよ。ちょっと複雑な事情があってね。キミの依頼には上手くは応えられなかった。ゴメンよ。」 そういうと、弁護者は少年の頭を撫でながら、 「はい、これ。これでお母さんをしっかりと看てあげなさい。」 と、持っていた金貨の袋をまるまる少年に手渡した。 「よろしいのですか?。」 助手が弁護者にたずねた。 「ああ。元はといえば、少年の父が稼いだのを、あの官僚野郎がせしめてた金だ。だったら、それは少年が受け取るのが筋ってもんだろ。にしても、キミへの退職金が無くなって、済まないね。」 彼はさばさばした顔でそういうと、助手は何もいわずににっこりと微笑んだ。そして、二人で議場を後にした。その様子を、リーツは微笑ましく、何時までも眺めていた。そして、彼女の傍らには、息子と執事が寄り添っていた。 「母さん。どうして笑っているの?。」 息子は彼女にたずねた。 「ん?、それはね、本当の正義というのを、今、目にしたからよ。」 そういうと、三人は議場を後にした。
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