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雲雀の鳴くころ
雲雀の鳴く声がする。
肌を包む暖かな空気を感じ、今朝も目覚めたことに安堵した。今は何時なのだろう?
「あなた、起きてくださいな 」
あぁ、側にいたのか。
返事をしたいが声がでない。声どころか手も動かす事が出来ない。
私ももう、年貢の納め時ということか。
医者に末期の癌だと告げられたのは1年前。余命3ヶ月と言われたが思ったよりも持った方だろう。
病は歳老いた身体を、思うより緩やかに、しかし確実に蝕んでいった。
「今日も良いお天気ですよ 」
春の日差しのような、柔らかな妻の声。
白い病室の四角い窓の外には、晴れやかな青空が広がっているのだろう。
不思議と心は落ち着いている。
長い人生、色々な事があった。しきたりも何も知らない私を支えてくれた妻には感謝の念しかない。
今迄、共に生きてくれてありがとう……と。
そしてまた思い出す。ずっと忘れることの出来ない、初めて私が愛した女性のことを。彼女は妻の姉で、私の婚約者だった。
彼女、琴葉は旧家の跡取り娘で、とても私などに釣り合う女性では無かった。
画家であった私が逗留先の村で彼女に出逢えたのは、運命だったのだろう。
『絵を描いてらっしゃるの? 』
風に靡く艶やかな黒髪を、ほっそりとした真白な指で耳に掛ける仕草1つで、いとも簡単に琴葉は私を恋に落とした。
遠い青空を高く飛ぶ雲雀。だが、琴葉は私の元に下りて来てくれた。
彼女もどうしてもと私を望んでくれ、当主である彼女の父と家人は、私が彼女の家に入ることで、私と彼女の結婚を認めてくれた。
思えば、あの頃が私にとって1番幸福だったのだと思う。
その幸せが砕け散ったのは、彼女が普段1人では行かない山で命を散らせたと聞いた時だった。崖から足を滑らせたのだという。
私は彼女の亡き骸を抱きながら、人目も憚らず泣いた。あまりに突然で、彼女を失った事が信じられなかった。
そんな私に、『姉』という大事な人を亡くした共通の苦しみを持つ妻は寄り添ってくれた。私達は、傷を舐め合いながら慰め合った。
そして、ようやく立ち上がれる様になり、この村を去ろうとした時、当主に琴葉の妹である妻との結婚を勧められた。
1度は断ったが、妻に『姉が愛したこの村を一緒に守ってください 』と請われた。私は、次の跡取りとなる妻を、琴葉を失って傷ついている同志を見捨てる事は出来なかった。
それにもう私には、琴葉以上に愛する女性は現れないと知っていたからだ。
愛とは違う、別の想いで私は妻と一緒になった。
「……ハ… 」
「……っ?!あなたっ、何か仰いましたか!」
頭が朦朧とする。最期の時が近付いているのだろう。
「コト……ハ…… 」
「あなたっ!あな……、って……ま……か…… 」
妻が何か言っている。もう殆ど聞こえない。
私達は琴葉のために生きてきた。私達を繋げていたのはずっと琴葉だった。
村も、一族の事業も守った。子どもも男子を2人もうけて、立派に成人させた。もう、いいだろう?
すうっと呼吸が楽になる。次第に私を取り巻く全てが闇に包まれていった。
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