Ⅵ.皇帝

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Ⅵ.皇帝

 エルドアートの皇帝は従兄弟を目の前にして、面白そうに口元を緩ませた。 「皇帝の妹を公の場できっぱり振るとはたいしたものだ」 「わざと夜会など用意しなくても、ずっとお気持ちはお伝えしていたはずですが」 「あの子はなかなか諦めが悪くてな。これでようやく、隣国に嫁がせることが出来る」  皇帝は、先日の騒ぎを思い出していた。  常勝将軍にのぼせ上がった皇妹が、結婚できなければ死ぬと騒ぎ立て、誰の言葉も聞き入れない。そこで、わざわざ夜会を催した。着飾った皇妹の前に、見事なフィビュラを身につけた将軍が挨拶にやってくる。宝石好きな皇妹がフィビュラを褒めると、将軍はにこやかに微笑んだ。 「すぐに羽ばたこうとする小鳥から、日夜目が離せずにおります。その瞳の美しさを我が身にも付けたいと思い、職人に無理を申しました。昼も夜も、この輝く青の瞳に焦がれ続けるばかりです」  その言葉が何を示すかわからぬほど、皇妹は愚かではない。彼女の瞳は美しいが、緑であって青ではなかった。 「そ、それはずいぶん大切になさっておいでなのね」  何とか震えをこらえて絞り出した言葉に、将軍は軽やかに答えた。 「ええ、我が城の奥で風にも当てぬように大事にしておりますが、姿を見られぬ日が続くと胸が張り裂けそうです」  それまで女の影一つないと噂された将軍の言葉に、辺りは騒然となった。皇妹は、少し気分が悪いからと席を立ち、貴族たちの口は瞬く間に噂を広めた。  ――常勝将軍には風にも当てぬ想い人がいる。あの皇妹殿下が目にも入っていなかったとは。  自尊心の高い皇妹が将軍との噂でもちきりの宮廷にいられるわけもない。隣国との縁談は急速に進んだ。皇帝は思い出し笑いをしながら言った。 「其方に、あんな言葉が言えるとは思わなかった。人を口説けるような口を持ち合わせていたとはな。それで、この度の戦の褒賞は、敗国の騎士一人でいいと?」 「御意にございます」 「好きにするがいい、其方の働きにはいつも満足している」 「御厚意に深く感謝申し上げます」  部屋を辞そうとした将軍の背に、皇帝が声をかけた。 「そういえば、リンツァの王族は皆、美しい青の瞳を持っていたな、そのフィビュラの蒼玉のような」  西方諸国を束ねていたリンツァの王族は、輝くような青の瞳の一族だ。王の子だけに伝わるという、美しい青。 「あの国には、後宮がない。王妃以外の王の子は皆、臣下に預けるそうだが」 「もはや亡き国の話でございます。全ての王族は息絶えました」 「……そうだな。其方の元にいるのは」 「敗国の騎士……いえ、奴隷が一人にございます」 「奴隷の身分のままでよいのか? 望めばいつでもこの国の民としよう」  将軍は答えなかった。  扉が閉まったあとで、皇帝の傍らに控えた宰相がぽつりと漏らす。 「将軍ともあろう者が、奴隷の身分の者を側近くに侍らせるとは」 「……飛び立ってしまうからな」 「は?」 「自由になる身分を与えたら、二度と自分の元には戻らぬと思っているのだろう」
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