Ⅰ.敗戦

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Ⅰ.敗戦

「王子、お早く!」 「嫌だ! セラ! お前も一緒に!」 「敵は今、殿下のお命を狙ってじきに離宮まで来るはずです。私は後から参ります」 「約束だ! 必ず。かならず……セラヴィ!」  幼い王子の瞳に涙が零れるのを見ながら、私は何度も頷いた。床に開いた抜け道に、嫌がる王子を無理やり押し込むと、先に入った部下が王子の体をしっかりと抱き留める。死んでも王子を守り抜けと言いつけて、重い石の扉を塞いだ。更にその上に床板を乗せる。何百年もの間、いざという時に王族を逃がしてきた道は、城を囲む森の外まで続いているという。どうか無事に逃げおおせてくれと祈るばかりだ。  自分の名を最後まで叫び続けた王子の言葉を耳に残し、私は部屋に火を放った。ぱちぱちと音がして、煙が立ち込める部屋から走り出す。  離宮の外に出れば宵闇の空は赤く染まり、林の向こうにある王宮が紅蓮の炎を上げて燃えている。この離宮にまで敵兵が押しよせるのは、もうすぐだ。  どこからか、地鳴りのように勝利を告げる声が轟く。あれは名だたる者の首を取ったと喜ぶ声だ。怒りで目の前が赤く染まる。陛下たちの御身はどうなったのか。  敵が王宮近くまで攻め込んだ時、陛下たちは覚悟を決めておられた。勇猛な王太子殿下は最後まで兵を率いて戦うと仰っていた。近衞隊長だった兄は、自分は陛下たちの御供をする、お前は第二王子を守れと言った。  ――そうだ、今は嘆く時ではない。私の王子の後を追わなければならない。  硬質な月の明かりが目に映る。私は甲冑の音を響かせながら、目の前に広がる暗い森の中に身を投じた。
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