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「ちょ、ちょっとストップ、やめ、やめてっ。やめてってば、ちょっと、くすぐったいって」
暗闇の中から出現した犬が、しっぽをふりふりしながらひたすら顔を舐めてくる。私はくすぐったくて身をよじった。すると犬のうしろから足音がゆっくりと近づいてくる。ライトが顔に照射されて網膜が焼かれた。逆光で相手の顔が見えない。
その人物がリードをくいっと引っ張ると、私に向けられていたペロペロ攻撃がようやく止んだ。そのすきに立ち上がり、ヘビのように地面でのたうち回っている継実に手を差し伸べる。彼女は私の手を取って、足腰の弱いお年寄りのようによろよろと立ち上がる。
「七森……お前、何やってんの……?」
「葉山君……?」
低い男の声だった。背が高いことだけはわかる。だが表情は暗くてよくわからなかった。
口ぶりからするとどうやら継実の知り合いらしい。
「ヒナ、この人は、葉山コスモ君。同じ部活動に所属している同級生」
「コスモ?」
変な名前、と言いそうになったところで、両手で口をふさいだ。危ない。今は被疑者の立場なので、火に油を注ぎかねない言動は控えるべきだ。
「私有地」って看板には書いてあったけど、この人がこの土地の所有者ってことでいいんだろうか。
「葉山君、この子は私の妹。ヒナミ」
コスモの顔は暗くてよく見えなかったが、急な紹介にどう反応したらいいか困っていることだけは何となく伝わった。そりゃそうだろう。今の状況は、人んちの庭に勝手に入り込んで泥遊びをしているのとほとんど同じである。家主に見つかって自己紹介を始めるのはいろいろおかしい。
「有刺鉄線をちょんぎったのはお前らか?」
「私が、そそのかしたの」
「質問の答えになってねぇ。とりあえず、トンネルから出るぞ」
コスモを先頭にして、三人と一匹はトンネルの出口へ向かって歩き出した。ちなみに例の囁き声は止んでない。しかも奥へ進めば進むほど、少しずつボリュームが大きくなっているような気がする。私は身がすくむ思いだったが、コスモは臆することなくずんずん前に進んでいく。
やがてトンネルの出口に到達し、そのまま外へ出た。出口の近くに金属製のラックがあって、一番上の段にアンテナを伸ばした状態のラジオが置いてあった。電源は入れっぱなしのようで、ニュースキャスターが淡々と明日の天気を読み上げている。
「ラジオ?」
「ああ、コウモリ除けに効果があるって聞いたから、本当かどうか実験してんの」
コスモは黒色の大きなリュックを背負っていた。彼はリュックの側面の小さなポケットに手を入れ、中から単三電池を取り出した。ラックのラジオを取り上げ、背面の電池入れの蓋を開けると、慣れた手つきで電池を入れ替える。そして再び電源を入れてもとの場所に戻した。
「見たところあんまり効果ないなあ。そろそろ止めるかな」
コウモリという生物は、自ら発した超音波の反響によって物体の距離・方向・大きさなどを知るという、エコーロケーションなる特殊能力を持っているらしい。ラジオが受信する高周波の電波がその邪魔になるとかで、コウモリ除けになるんだとか。なるほど、つまり囁き声のような音の正体はトンネルの出口付近に設置されたラジオのことだったのだ。
改めて葉山コスモに向き直る。月明かりもなく暗いことに変わりないが、トンネルの中よりかはいくらかマシだった。
やはり背の高い男だった。百八十センチはあるだろう。線は細いが、痩せているというわけではない。外国の俳優みたいに顔の凹凸がはっきりしており、普通にイケメンだがちょっと強面だ。目つきが悪く、薄い唇は証明写真のように固く結ばれている。
彼が背負っている黒色のリュックには、横に長い黒色のケースが括りつけられていた。右手には犬のリード、左手には荷物を提げている。左手の荷物もリュックに括りつけられているケースと同様、横に長くて太い。長さは一メートル程度、太さは三、四十センチくらい。何が入っているのだろう。楽器ケースのようにも見えるし、縦にしたらゴルフクラブのケースのようにも見える。
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