第一章 囁きの片道トンネル

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 彼の鋭い視線がずぶずぶと顔面を貫いていることに気づき、私ははっとした。何か言え、と顔に書いてある。急にいたたまれない気持ちになり、私は思いきり腰を曲げた。 「その……勝手に入ってごめんなさい。有刺鉄線も、切っちゃって……」 「まあいいよ。だいぶ古くなってきていたから、そろそろ新調しようと思っていたところだし。取り締まったところでお互い得がないだろ」  優し気な言葉が返ってきてほっとする。 「と、言いたいところだが」  コスモの発した冷たい言葉で、抱いていた安堵の気持ちは一瞬で消し飛んだ。 「壊した鉄線のぶんは働いてもらう。これ、持て」  コスモはリュックを下ろし、括りつけられていたケースを取り外してそれを私に押し付けてくる。私は手に持っていたカメラの電源を切り、それをリュックにしまってからケースを受け取った。思っていた以上に質量があって、思わずよろけてしまう。 「お、重っ」  五キロ以上はあるだろう。こんなのよく持ち歩くな。  彼は、ケースを外して少し軽くなったリュックを継実に渡した。彼女は何も言わずにそれを背負ったが、よっぽど重いのか身体がふらついている。 「目的地までの荷物持ちでお前らの犯罪には目をつむってやる。最初に言っておくが、ここから結構歩くからな。覚悟しておけ。行くぞ、イオ」  イオはコスモのかけ声とともに元気よく歩き出した。いや、走り出した。一部の装備の運搬を委託して身軽になったコスモは、軽やかな足取りでその後についていく。私たち姉妹も、千鳥足になりながらもその背中の後を追った。  元気いっぱいの犬は好奇心旺盛のようで、気になる草むらをかきわけたり、虫を追いかけ回したりと忙しそうだ。トンネルの中にいるときは暗くてわからなかったが、犬の犬種はよく見たら柴犬である。まさか、と思う。 「ね、ねえ、その犬って」 「こいつか? イオっていうんだ。木星の第一衛星」 「へぇ……。ねぇ、もしかして拾ったんじゃない?」 「ん? よくわかったな」 「あのね――」  私は歩きながら早口に事情を説明した。  ある女の子が飼っていた犬、サリーちゃんがこのトンネル付近で失踪したこと。その子はサリーちゃんを探しにトンネルの中に入ったが、赤い光を見てその場から逃げ出してしまったこと。本州に引っ越してしまったその子の代わりに同級生の子たちが探索を引き継いだが、見つからなかったこと。もしかしたら、その犬がサリーちゃんかもしれないこと。 「なるほどね」  話を聞いたコスモは納得したように頷いた。 「確かに、先月と先々月の新月の日に、ここのフェンスを俺が開けてる。赤い光っていうのは、たぶんコレだな」  コスモは手に持っていたライトのスイッチを押した。すると白っぽかった光が赤色に切り替わる。 「当時のことはあまり憶えていないけど、赤色に切り替えたままトンネルで使っていたんだろうな。これから行く場所では、あえて赤色のライトを使うんだよ。白色光は人間の目には明るすぎて観測の邪魔になるから」 「観測?」 「じきにわかる」  結局彼は「イオ=サリー」疑惑についてのコメントはしないまま、すたすたと前を歩いていく。状況から考えてその可能性は高そうだが、もしかしたらイオがかわいくて気に入ってしまい、返したくないのかもしれない。
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