第一章 囁きの片道トンネル

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 荷ほどきが一段落したところで、シャワーを浴びるためにお風呂場に入った。汗でべとべとになった身体をお湯で清めつつ、鏡を見る。華奢で子どもっぽい体つきの女がじっとこちらを見ていた。高校生になったら勝手にナイスバディになるもんだと思っていたが、いつまで経っても成長期が訪れる気配はない。  セミロングの髪が水で濡れて海藻みたいになっている。丸みを帯びたフェイスラインが気に入らない。同じ血を引いた姉妹なのに顔の造形は姉とは全く似ていなかった。  濡れた身体をタオルで拭き、学校指定のジャージを着て脱衣所を出た。すると居間にいた継実がこちらに近寄ってきて、おもむろにスマホを差し出してくる。スマホの画面には近所の蕎麦屋のメニュー表が表示されていた。出前をとるらしい。 「引っ越し蕎麦ってわけね。私、エビ天そばの大盛り。冷たいやつがいい。それからだし巻き卵もつけて」  商品はそれから三十分後に届いた。  配達員から受け取った品をテーブルに並べ、私たちは早速手を合わせた。汁を吸って重たくなった海老天を箸で持ち上げ、豪快にかぶりつく。美味しすぎてあっという間に一尾分の海老天が胃の中に消えた。  しっぽまで食べようかと悩んでいるときに何やら継実の視線を感じ、私は箸を止めた。 「どうしたの?」 「ちょっとヒナに相談したいことがあるの」 「相談したいこと? 珍しいね、何?」  私が先を促すと、彼女はぽそぽそと話し始めた。私は蕎麦をずるずるとすすりながら耳を傾ける。 「家庭教師のバイトでね――」  家庭教師のバイトで受け持っている、小学五年生の(おさむ)君という男の子からちょっと不思議な相談を持ちかけられたらしい。  修君の話によると、クラスメートの藤原(ふじわら)さんという女の子が飼っていた犬が、先月初旬に、とあるトンネルの近くで失踪したそうだ。名前はサリー、犬種は柴犬だという。  ある日藤原さんが学校から帰ると、庭のポールに繋がれていたはずのサリーがいない。脱走を疑い近場を探したところ、古びたトンネルの近くにサリーのネームタグが落ちていた。藤原さんはこの先でサリーが待っているだろうと思いトンネルを進んだそうだが、そこで奇妙な赤い光を目撃し、恐れをなして逃げたらしい。  藤原さんは翌日の日中に再び現場を訪れたが、トンネルの入り口に設けられていたフェンスが閉まっており、中に入れなかったという。  親の仕事の都合で本州へ引っ越すことが決まっていた藤原さんは、泣く泣くサリーを置いて家を離れることとなった。その際に修君含むクラスの友達に「私の代わりにサリーを探して」と依頼した。藤原さんの願いを聞いた同級生たちがその後約一か月半、トンネル付近を探索したが結局見つからず、学校では「これだけ探しても見つからないとなると、神隠しではないか」とちょっとした騒ぎになっているらしかった。  継実は、先週の授業のときに修君から柴犬を見かけなかったか、もしくは失踪について心当たりがないか聞かれたそうだ。心当たりのなかった継実は正直にわからないと答えたらしいのだが、可能であれば力になってあげたいという。 「ヒナ、こういうオカルトじみた話、得意でしょう?」  長い説明を終えたあと、継実がそう言った。 「得意というか、好きではあるけど……。話が戻るけどさ、赤い光って、どんな? もっと詳しく聞いてもいい?」  あっという間に蕎麦を平らげて、サイドメニューのだし巻き卵に箸を伸ばしながら私は尋ねた。 「又聞きだから詳しくはわからない。やっぱり、気になる?」  私も今年で十七歳。超常現象や心霊現象といった類のものに逐一反応して勝手に興奮していた小学生のときと比べたら、多少成長して現実を見られるようにはなった。とはいえ、「赤い光」が絡むとなると少し事情が変わる。「近づいてきた」っていう表現が私の追い求めているものと異なる気もするけれど、生物が失踪している現状を考えると無視はできない。  もっともサリーとやらの失踪先に心当たりはないし、探し出せる自信なんてもっとない。私よりも警察に相談した方がいくらかマシだろう。 「気にはなるよ、もちろん。でもね、オカルト調査歴十年以上の私から言わせてもらうと、そう簡単に超常現象なんてお目にかかれないよ。調査が不十分の可能性はあるね」  夏休みは宿題が忙しくて心霊スポット巡りが全然できなかったし、それでサリーが見つかる保証はないけれど、久しぶりに現地調査に行くのも悪くない。  私はトンネルの場所を尋ねた。だが場所をメモした紙を引っ越し作業のときになくしてしまったそうで、また今度聞いておくねと継実は答えた。    食事のあと、二人でゲームをした。ひたすらゾンビを撃ち殺すという猟奇的なゲームを楽しんだあと、継実はベッドに寝そべり、私は寝袋の中に身を入れて横たわった。だがいつもと環境が違うせいか、すぐに寝付けなかった。それは継実も同じだったらしく、ベッドの上で芋虫みたいにごそごそ動いている。  私はスマホをいじって時間を潰した。  しばらくすると眠気が襲ってきて、ふわ、とあくびが漏れる。 「ねぇお姉ちゃん」  私はスマホの電源を落とし、寝袋の内側で寝返りを打ちながら話しかけた。返事はなかったが続けた。 「記憶、戻したいの?」  荷ほどきのときに目にした本のことがどうしても忘れられなくて、気づいたら私はそう尋ねていた。継実はごそごそと音を立てながら寝返りし、うっすらとまぶたを持ち上げる。生気を失った人形のような目が、じぃっとこっちを見ていた。 「ごめん、見ちゃった」 「昔読んだ本を処分していないだけだよ」  求めていたアンサーではなかったので、私は「もし戻せるなら戻したい?」と追撃する。しかし十秒経っても質問の答えは返ってこない。しばらく沈黙に耳を傾けていると、やがてすうすうとかわいらしい寝息が聞こえてきた。  私は諦めて目を閉じる。眠りはすぐに訪れた。
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