第一章 囁きの片道トンネル

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 こめかみに流れる汗を手で拭いつつ、私は息をついた。住宅が視界から消えて久しい。いくら愛犬の行方を探すためとはいえ、よくもまあこんなところまで足を運んだものだ。  トンネルの入り口には網状のフェンスが設けられている。フェンスには大きな南京錠がかかっており、先に進めないようになっていた。  フェンスでは入り口の半円を全て覆えておらず、上部に若干の隙間が空いていたが、有刺鉄線が張られているため乗り越えるのは無理だろう。フェンスの脇には「私有地につき立ち入り禁止」と書かれた錆だらけの看板が立っていた。その隣には「ヒグマ出没注意」の貼り紙もある。  昨晩インターネットを使って調べたところ、このトンネルは心霊スポットとして最近話題になっているらしい。一説によると、トンネルの工事中に事故で亡くなった作業員の死体が壁の中に埋められているとか、いないとか。その亡霊がトンネルに入った者を冥界へと引きずりこむという。  一度入ったら二度と元の世界に帰って来られなくなるという言い伝えから、「片道トンネル」という俗称までつけられているようだ。この類の話は昔からそれなりに調べてきたはずだけれど、近所にまだこんなそれっぽい場所が残っていたなんて知らなかった。 「もー、どうやって入るのさっ」  がちゃがちゃとフェンスを揺さぶるが、当然中には入れそうにない。今は冥界への扉は開かれていないということなのだろうか。  地面にちょうどいい大きさの乾いた石を見つけて、そこに腰かけた。  スマホを取り出して、マップアプリを起動させる。うまいこと電波を拾ってくれたようで、現在位置にピンが立つ。メニューの「航空写真」を選択して表示させ、上空からの様子を確認した。  トンネルの長さはおそらく五十メートル程度。トンネルの先は山道が続いているだけだが、出口の数百メートル先に半径三メートル程度の円形の領域があるのを発見する。なんだろう、何かの建造物だろうか。 「ねえ」 「わぁ! びっくりしたぁ」  突然声をかけられたせいで心臓が跳ねる。あまりにも画面に集中していたので、いつの間にか目の前に男の子が立っていることに全く気付かなかった。 背丈は自分よりも少し低いくらい。ノースリーブのシャツに短パン、履いているのはビーチサンダルという、いかにも夏らしい涼し気な恰好だ。肌はあんパンの表面みたいに真っ黒に焼けている。  まだ幼さは残るものの、活発で負けん気が強そうだと思わせる顔つきの少年だった。穢れのない両目がこちらをじっと捉えて離さない。 「驚きすぎだろ。この辺りで、犬を見なかった?」  変声期も迎えていない少年の声が、そんなことを言う。 「犬?」 「うん。柴犬。こんくらいの」  彼は両手で空中に楕円の形を描き、中型犬くらいの大きさを表現する。 「本州に引っ越した同級生のお願いで、失踪した柴犬を探してるんだよ」  今の一言で、私と彼が同じ目的でここを訪れていることを理解する。奇遇すぎて私は一瞬自分の耳を疑った。 「なんだ、じゃあ君もこのトンネルに飲み込まれたって噂のワンちゃんを探しているのね?」 「……君も?」  彼は怪訝そうな表情を浮かべた。クラスの友達しか知らないはずのことを、見も知らない女子高生が知っていたら怪訝に思うのも無理はないだろう。
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