第一章 囁きの片道トンネル

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「囁き声?」 「トンネルに入ったときに奥の方から音が聞こえてきたんだよ。なんかこう、誰かが囁いているような。誰かいるのかって聞いたんだけど、返事がなくてさ。ちょっと不気味だったな、アレは」  火の玉のような赤い光に、囁き声か。いかにもそれらしいフレーズを耳にして私は思わずにんまりする。これまで何年にもわたってオカルト調査をしてきたけれど、生の人間からこんなにそれっぽい怪現象の証言が得られるのも珍しい。これは当たりの予感がする。 「それにしても君は怖くないの? トンネルを通過したら戻ってこられないっていう噂もあるけど」  そう尋ねると彼は嘆息し、呆れたような表情を浮かべた。薄い唇がへの字に曲がっている。 「帰ってこられないって、現実的に考えてそんなことあるわけないじゃん。犬だってたぶん、たまたまフェンスが開いているときに中に入っちゃって、タイミング悪く鍵を閉められて戻ってこられなくなっているだけだと思うよ」 「あんた子どものくせにリアリストね」  逆にフェンスが開きさえすれば、探している犬は見つかると考えているらしい。だからこの少年は定期的にトンネルを訪れてフェンスの状況を確認しているということだろう。理屈はわかるが、とはいえ二か月弱の間それを継続するって楽ではないだろうに。 「こんなに頑張ってワンちゃんを探しているあたり、もしかして君はその藤原さんのことが好きなんじゃないか?」 「うん」  恥ずかしげもなく、堂々と即答する少年。 「め、めちゃくちゃ素直だな、少年」 「少年って、そんな大して違わないだろ、年齢」 「わ、私、高校生だから!」 「うそくさ。せいぜい中学生だろ」  な、生意気な。 「中学生だったらどのみち私の方が先輩でしょーが!」 「オレ、学年でマウント取るような人、尊敬できないんだよね」 「む、むきーっ」  悔しがる私に蔑むような目を向け、少年は「じゃあ、大人なんだったら、オレのぶんのアイスも買ってよ」と調子のいいことを言い出した。なんだか納得できないが、ここで断るのも悔しいので再入店して一番安いチョコレートのアイスを買ってやった。  商品を手渡したのち、私は少年に別れの言葉を告げてバス停に向かった。しかしどうやら帰る方向が同じらしく、アイスを口にくわえたまま私のあとをついてくる。「食べ歩きは止めなさい」と注意したが聞く耳を持たない。  バス停で時刻表を確認すると、次のバスが来るまであと十二分程度かかるみたいだった。ベンチに腰かけると、少年は「じゃあな」と言ってバス停から遠ざかっていく。二メートルくらい歩いたところで彼は振り返り、こう言った。 「オレ、芦原(あしわら)っていうんだ。本当は知らない人に名前を教えちゃいけないって言われているんだけど、お前は悪そうじゃないから。レアは出なかったけど、カードとアイスももらったし」 「ふふん。これで私があんたより大人ってわかったでしょ! 私は七森雛実(ななもりひなみ)。特別に、ヒナミお姉ちゃんって呼んでもいいよ」 「わかった。じゃあな、ヒナミ」 「よっ」  呼び捨てかよ!
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