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『すぐに行く。もう少し待ってて』
いつになく頼もしい歩の声に、心の底から安堵した。もう大丈夫だろう。
私は身体を芋虫のように動かして、仏間で横たわっている高坂に近寄った。両足を使って彼女を仰向けにさせ、胸辺りに額を押し付けて揺さぶってみる。息はしているようだが、全く目を覚まさなかった。
何がどうなってこの状況になったのかがわからないが、考える気力も失せていた。お菓子好きに悪い人はいない。きっと高坂先輩も悪い人じゃないはずだった。そう信じたかった。
高坂の隣で丸くなって、ひたすら助けを待った。怖かった。いつ石島が目覚めて、あんなことやこんなことをされるかと考えたらぞっとした。あとちょっと。あとちょっとだけ。そのまま眠っていて。
そんなふうに切実に祈りをささげる私をあざ笑うように、次の瞬間けたたましい着信メロディが鳴り響いた。それは、少し前に公開されたばかりのアニメ映画の主題歌だった。音は高坂の方から聞こえてくる。
音に反応するように、気を失っていた石島の身体がもぞもぞと動いた。彼は上体を起こし、現状を確認するかのように辺りをきょろきょろと見渡す。そしてゆっくりと立ち上がった。頭突きを食らった頭をさすりながらこちらに近寄ってくる。
「やってくれたな」
「んー! んー! んー!」
声を上げようとしたが、テープで口を塞がれている以上何も発することができない。
胸倉をつかまれ、つまさきが辛うじて畳に触れるくらいまでの高さに持ち上げられた。彼の両眼がたった数センチ先で怒りに燃えていた。
「んっ!」
ごちん、と思いきり額に頭突きされ、強烈な痛みがほとばしる。そしてそのまま思いきり床に放り出された。
「ぶっ殺してやる」
石島はそんなふうに殺害予告をするなり、脇腹辺りを容赦なく蹴っ飛ばしてくる。私は身体を折りたたんで可能な限り表面積を小さくし、攻撃に耐えた。すると今度はかかとで何度も背中を踏みつけてくる。辛い痛みが背中に生じ、声にならない悲鳴が口の中で響いた。
ひとしきり踏みつけられたあと、背中にずしりと重量がのしかかる。そして間髪入れずに頭をぼこぼこと殴られた。
「お前にわかるか」
石島が殴りながら言う。
「お前に、俺の気持ちが、わかるかって聞いてんだよっ! ある日突然、才能と、これまでの努力を奪われて、急にどん底に突き落とされた人間の気持ちがお前にわかるか。死ぬほど積み上げた時間が一瞬で消えてしまった俺の絶望がわかるか。俺よりも下手くそなやつが試合に使われて、それを外で指をくわえて見ていることしかできない俺の悔しさがわかるか。わかるわけねえよなぁ? わかってたまるかよっ!」
私は奥歯を噛みしめてひたすら耐えた。
石島の気持ちなんてわかるわけがない。きっと石島も選手生命を絶たれて絶望したのだろう。でも、でもきっとお前よりもお兄ちゃんのほうがすごい。お兄ちゃんは乗り越えた。どん底に突き落とされても食いしばって耐えた。前を向いてる。お前より、ずっとずっとすごい人を、私は知ってるっ。そう言い返したかったけれど、ガムテープで口が塞がれているせいで言葉が出てこない。
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