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畳みかけるような暴力で気を失いかけたその瞬間、玄関の方でばりん、とガラスが割れる音がした。その数秒後に千尋が部屋の中に飛び込んでくる。その両目にはかつてないほどの怒りの炎が灯っていた。千尋は猛烈なスピードで石島との距離を詰め、華麗な回し蹴りを相手の顔面に炸裂させる。ばき、と嫌な音がして石島は身体をのけ反らせた。その一発で鼻血が噴き出して、畳の上にぼたぼたとその飛沫が散った。
千尋と目が合う。その両目に灯る感情はいつの間にか怒りから悲哀に変わっている。彼女の表情は、まるで小さな子どもが泣くのを必死にこらえているときのそれに似ていた。
石島はよろよろと立ち上がり、千尋と対峙した。千尋は再び石島の方に視線を投げる。
「東堂センパイ、どういうつもりっすか。こんなことしてたら、あんたもやばいでしょ」
「石島、私たちはもう終わりだ」
「はぁ?」
「もう、限界だ。終わらせてくれ」
「勝手に終わらせてんじゃねえよ!」
なにやら因縁がありそうな二人がにらみ合っているときに、遅れて歩が部屋に入ってきた。彼は私を見つけると、血相を変えてこちらに近づいてくる。
「イチカ、助けにきたよ」
歩の手によって、口に貼りついていたテープがべりべりとはがされた。口の周りがひりひりして涙目になる。
「歩……」
「うん?」
「歩ぅ」
「うん、聞こえてるよ」
数時間ぶりに言葉を取り返したものの、目の前にいる幼馴染の名前を呼ぶので精いっぱいだった。両目から涙がぼろぼろと出てきて、水中で目を開けているかのように視界がにじむ。
歩はリュックの中からはさみを取り出して、私の両手足の自由を奪っていたテープを次々に切断した。数時間ぶりに自由を取り戻した私は、思わず歩に抱き着いて泣き叫ぶ。涙は決壊したダムのようにあふれてきて止まらなかった。
「よく頑張ったね」
涙は止まるどころか勢いを増して、歩のモスグリーンのシャツを湿らせた。
怖かった。とにかく怖かった。殺されるかと思った。初めて死ぬかと思った。本物の恐怖の味を知った。怖いものなんてこの世に一つもないと思っていたのに、自分がいかに非力で危なっかしいことをしていたかを知った。
安堵して力が抜けたせいか、私はその数分後に事の結末を知ることなく意識を失った。目覚めたのは、翌日の昼過ぎだった。
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