仮面夫婦のふりをする

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 真っ白なドレスにはビーズとパール、花のコサージュがたっぷりと縫い付けられて豪奢だ。流れる赤い髪は血のように赤く、フラム国の王家の血筋を思わせた。 「……すまないね、フレーシア。つらい思いをさせて」 「いいえ。お父様。火山を鎮めるためには、この婚姻が必要なのでしょう? 私以外に嫁入りできる人がいないじゃありませんか」 「だが……相手は冷血なヴリズンだ。本当にどうしようもなかったら、神殿に逃げなさい。すぐにでも連れ戻すから」 「大丈夫ですったら」  まだ結婚適齢期よりは幼いものの、それでもフレーシアは結婚しなければならなかった。  ドレスを重いと感じるのは、気持ちの重さの問題か。花束を抱えて、ズルズルとドレスの裾を引きずりながらも、フレーシアは背筋を伸ばして歩いていた。 ****  フラム国は鉄と鍛冶技術で栄えた国であり、王家も男女関係なく剣技を鍛えられる。自国の培った技術でつくられた剣や槍を宣伝するために必要なことであった。 「はあ……!」  かくいうフレーシアも、学園都市では騎士の家系の男子に混ざって、剣技の練習ばかりしていた。  長くて赤い髪をひとつにまとめ、騎士として鍛えた男子たちに負けずおとらずの剣技を披露する。  最後のひとりとの鍛錬も終えたフレーシアは、「ふうっ」と息を吐きながら、更衣室へと向かっていった。  学園都市は永世中立都市であり、どの国の出身者も等しく学びが得られるようにと、表立っての揉め事は全面的に禁止されていたが、ダンスや礼儀作法よりも剣技や武術を優先させるフラム国の息女は、フレーシアも含めて学園都市では浮いていた。 「私たち、野蛮なんですって」 「ひどいこと言うのね。国のものを他国に宣伝をするのなんて、王侯貴族の義務ですのに」 「まあ、私たちはまだましなのかもしれないですけどね」  そう言って彼女たちは中庭を眺めた。  中庭では鮮やかな花が咲き誇っているが、一か所だけひどく殺風景に見える人々がいた。  色素のない髪、透けるほどに白い肌。目は青く、アンデッドだと言われたらそのまま信じてしまいそうな学生……ヴリズン国の者たちであった。  あの国は火山の麓でフラム国の反対側に陣取りながらも、知識と氷結の国として知られ、火山の熱を利用して生活するフラム国とは逆に、火山を克服するために魔法と魔道具を究めている国として知られていた。  火山の扱いが真逆なフラム国とヴリズン国はたびたび小競り合いをし、時には戦争を行い、今は冷戦状態ではあるが、互いに和解する気がないという極めて緊張感のある関係を維持し続けていた。  フラム国民はヴリズン国民を「幽霊」と揶揄し、ヴリズン国民はフラム国民を「脳筋」と陰口を叩く。  もちろん学園都市では表立っての言い合いすら禁じられているため、見かけるたびにボソリと言うのが精いっぱいであった。  そんな中、フレーシアはひと際顔の綺麗な学生に目を留めていた。  神経質そうなヴリズン国民たちの中でも、ひと際品があり、表情のない青年であったが、魔法研究のために猫背気味のヴリズン学生の中では比較的綺麗な背筋をしていた。 「あの人……」 「あら、あの人ヴリズンの王族よ?」 「でも……」  フレーシアはフラム国の王女であり、一番下なために特に継ぐものはないが、王家同士の付き合いは一応している。冷戦中なのだから、互いに互いのことを刺激しないようにするのは当然であった。  しかし彼は見たことがなかった。  それに彼女の友人たちがこっそりと教える。 「元々は先々代の王弟陛下の血筋だったのが、氷結魔法が優秀だからってことで、王家に迎えられたんですって。あの国、あれで実力主義だから」 「なるほど、だから会ったことなかったのね」  ヴリズン国の王家は、氷結魔法の使い手を最大に優遇する国民性がある。元々火山の熱に逆らって結界を張り続け、その維持のために魔法を発展させた国なのだから。  特に氷結魔法は、温度を奪う、水分を凍らせる、凍った状態を一定時間維持させると、三段階に分けた魔法を一瞬で行わなければならないため、それの一流の使い手は大概他の魔法においても才能を発揮させるのだ。  だからこそ、フレーシアはそんな彼に興味を示していた。 ****  ヴリズン国の人々は、基本的に表情が乏しい。  しかし乏しいのにはそれなりに理由がある。彼らは常に難しい理論の魔法を行使維持しているため、どうしても顔の筋肉が引きつるのだ。  そのせいで学園都市でもヴリズン国は「寡黙な人々」「上から目線」と気味悪がられていたが、皆集まってはのんびりとしゃべっていた。  国は常に魔法の発展と維持を第一優先にしているため、婚活は学園都市にいるときでなかったらできなかったのだ。 「ここで働いているメイドさんにやっとデートの誘い了承してもらえたんだ」  無表情だが、見る人によっては嬉しそうな顔をしているのはスネーウの同郷の友達だった。 「よかったな」 「うん。頑張るよ。でもスネーウは婚活なんてできるのか?」  彼は王族とは言えども、先々代で既に枝分かれしてしまい、火山付近で結界の研究をしながら一生を終えるだろうと思っていたのだから、自分の氷結魔法を見た王城からの使者が手紙を書いたことで、そのまんま養子に出されるなんて思ってもみなかった。  彼は治政をしなければならないのだったら、国と結婚しなくてはいけないのだから。 「さあ。多分国が用意するんだと思う」 「ふうん」  しかし、ヴリズン国の女性は細かいし、他国民はヴリズン国の人々を陰険だと思っている。  政略結婚するにしても、夫婦生活なんて送るのは無理じゃなかろうか。スネーウはそんなことを思っていたら。  通り過ぎた先に赤い髪が流れているのが見えた。  ……敵国であるはずのフラム国の姫のフレーシアが、派手にころんでいた。  学園都市では冷戦状態の国同士であったとしても、揉め事を起こしてはならない。彼女の取り巻きに見つかったら大変なことになるからと、そのまま通り過ぎるか迷ったが「いったあ……」とうめき声を上げる彼女の声を聞いて、とうとうスネーウは声をかけてしまった。 「なに? こけたの?」 「こけたと言いますか、廊下の敷石にけつまずきました」 「それはこけたんじゃないの。見せて」 「はい……」  彼女はフラム国ではありえないほどに派手に体を動かして剣技を振るっているのだから、自国では「野蛮姫」と揶揄されている。末姫なせいか甘やかされて育ったのだろうと思っていたが、存外わがままも言わないし、ヴリズン国の人々に対しても眺めているだけで派手な陰口は叩かない程度には礼節をわきまえている娘であった。  制服の下から伸びている脚はスラリとしていて、綺麗な筋肉が載っている。そして、しっかりと血が出ていた。  この廊下から医務室間では時間がかかる。それに気付き、スネーウは「失礼。触って大丈夫?」と尋ねると、素直にフレーシアは頷いた。  それで彼女の膝に触れると、彼女の傷口に触る触らないギリギリまで掌をかざしはじめた。  途端に温かい光が溢れてきて、みるみる傷口が塞がった。 「……結構血が流れてたはずなのに」 「傷口を清めて、怪我の治りを促進させたから。それでも不安だったら、医務室で診てもらって」 「待って。それってつまり、消毒と治療を一瞬で行ったってこと!? それってすごいじゃない!」  そうフレーシアに言われ、少なからずスネーウは驚いた。基本的に魔法は一回使ってそれを「すごい」「奇跡だ」と騒がれてしまうのが普通であり、わざわざなにをやってそこまですごかったかを解説する人がいなかったのだ。  スネーウがフレーシアに惹かれ、フレーシアがスネーウに恋に落ちたのは、間違いなくこのときであった。 ****  そうは言えども、ふたりは王族であり、互いの影響力をよく理解していた。いきなり冷戦状態の国の王子と王女が仲睦まじくしていたら、互いの国にどう作用するかわからず、ふたりがこっそりと会うようになったのは、学園都市の中でも人がほとんど来ない庭園であった。 「あら。あなたの国の方々が感情が表に出ないのって、てっきり感情を面に出してはいけないのかと思っていたけれど」 「単純に魔法の行使が難しいから、顔に力を込めているだけ。魔法は行使するのは一瞬でも、だいたい細かい作業を最低三つは挟んで行っているから」 「なるほど……氷結ってひと言で言っても、対象の温度を下げて、固形化させて、維持させるから……で合ってる?」 「合ってるよ。君の国こそ、もっと実力行使の国かと思っていたけれど」 「あら。うちの国は国をあげて商売をしているんだから、販路や宣伝ができないとうちの国貧乏になっちゃうわ」  互いにしゃべればしゃべるほど、それぞれの思い込みや偏見が雪解けのように消えていき、互いへの理解や想いが深まる。  最初は一緒にベンチに座っているだけだったのが、どんどん座る距離は狭まり、とうとう肩を引っ付け、手を繋ぐようになるまで、そこまで長くはなかった。  だが、王位継承権を持ってしまった王子に、王族の末姫。それぞれ自分勝手に動いていいものかわからず、ふたりとも手を繋いでもそれ以上のことはなにもできず、ただ寄り添っているだけだった。  そんな中、唐突だった。  ふたりとも、急に国から呼び戻しがかかったのだ。 「……婚姻のために、国に帰って来なさいって」 「うん? 君も……?」 「詳細はなにも書いてないけれど……」 「……自分も同じだ」 「……スネーウも、結婚してしまうの?」 「国のためって。詳細はなにも書いてない」  それにとうとう耐え切れなくなり、フレーシアは泣きはじめた。普段は気丈で朗らかな彼女が、取り乱してわんわんと声を上げて泣くのは、スネーウも初めて見た。  それに対してスネーウはなんの表情も出てこない。これがなにも知らない人であったのなら薄情だと罵るだろうが、既に彼の人となりを知っているフレーシアは、彼が途方に暮れているとわかってしまった。 「最後にキスして」 「……それだけでいいの?」 「私はそれひとつで生きられるから。お願い」  フレーシアの懇願に対して、スネーウは彼女を見てから、前髪を梳いて額にキスを落とした。それに彼女はむくれる。 「……私にくれる情けはないの?」 「君を苦しめたくないんだ。相手がいい人かもしれない。相手を好きになるかもしれない。そのときに後悔してほしくはないから」  スネーウはフレーシアの手をきゅっと握った。 「君の初恋を得られた。自分にはそれで充分だ」  こうして、幼い恋は儚く終わりを迎えた──はずだった。 ****  スネーウが帰国すると、既にヴリズン国は騒然としていた。  婚姻のために浮かれた空気はなく、どちらかというと災害のためにざわめいているような肌の粟立つ感覚がある。 「これはいったい?」 「お帰りなさいませ、殿下……バザルトゥ火山が噴火したのです」 「…………っ!」  この大陸の中でもっとも大きな火山は、一度噴火すれば麓の街はたちまち流される。 「幸いにも、ヴリズン国側は結界のおかげで死者は出ませんでしたが、それでも街が飲まれてしまったがため、避難民を多数抱えております」 「そうか……それと自分が帰国を促された理由はあるのか?」 「現在、バザルトゥ火山の噴火を鎮める手段を計測しましたが、我々だけでは不可能だからです。我々ヴリズン国民は氷結魔法で成り立った国ではありますが、火山をただやみくもに冷やして固めてしまっても無意味です。そのため、火に親和性の高い魔力を持った方を王族に招き入れて、火山を宥めなければなりません」 「……それは、うちの国にはいないのでは?」 「ええ、ヴリズン国の国民には火に親和性の高い魔力の方はおられませんが……フラム国にはおられます」 「……フラム国は、鍛冶師以外はほとんど魔法を行使する国柄ではなかったはずだが」 「殿下、魔力というのは、なにも魔法が使える使えないであるなしは決まりません。かの国は魔法を使う必要がないから、体内に魔力を溜め込んでおりますから……ちょうど今、フラム国との休戦条約を結び、その魔力の持ち主を王太子妃に招く準備をしております」  スネーウは胸が痛んだ。  自国のためにも、どうしてもフレーシアの国の者を妃に招かないといけない。 (それがフレーシアだったらよかったのに)  しかしこの婚姻は、いわば人身御供であり、普通であったのなら、その婚姻を取り付けることはない。おそらくは王族に魔力のある者を招き入れて行うことになるだろう。  彼女と同じ赤い髪の、彼女の国民を妃に招き、愛せるだろうか。スネーウには自信がなかった。 ****  婚姻のために、ヴリズン国の神殿に向かうことになった。  既に噴火のせいでフラム国側は大惨事になり、救援活動でそれどころではなく、どうしても魔力防御で固められたヴリズン国側で行う必要があったのだ。  赤い髪、白いドレス、金色の瞳。  白い婚姻衣装に身を包んだスネーウは、彼女を見て、日頃の無表情が嘘のように崩れたのだった。 「……フレーシア?」 「はい、婚姻に参りました。殿下」 「……その呼び方は辞めて欲しい。スネーウと呼んで」 「でも……私たち、表立って仲良くして大丈夫なんでしょうか?」  この二国は、噴火対策のために一旦休戦状態に持ち込めただけで、和解した訳でもないし、互いの国同士の偏見が消えた訳でもない。  表立って仲良くすれば、互いの国民の神経を逆撫でしないだろうか。  それにスネーウは、再び無表情になって「ん……」と喉を鳴らした。 「……仮面夫婦になれと?」 「仮面夫婦でも、夫婦ですよ」  フレーシアは朗らかに笑った。そしていじらしく言う。 「……あなたとの婚姻が駄目になるほうが、私は嫌です」 「……わかった」  スネーウはフレーシアの頭のベールを取ると、唇を重ねた。  国のための結婚だが、愛がある。王族に結婚の事情がない中、ふたりは運がいいほうなのだ。  これから何十年もかけて、どうにか仮面夫婦である必要を解消しないといけないし、火山を鎮める儀式もしなければならない。  問題が山積みな中、ただ愛ひとつだけでふたりは立ち向かわないといけなかった。 <了>
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