鮮紅のノルン ~子種を下さい、と彼女は言った~(仮)

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 ふらなさんを居間のソファに座らせ、テレビの電源を点けてから、俺は私服に着替えて、念の為にと生活必需品のあれこれを身に着けた。彼女を待たせてしまったが、仕方がない。  再び冷蔵庫の扉に手を掛けて、思わず指が止まってしまった。  もう何も出てこないよな。  奇妙な感覚や気配はないから大丈夫、と言いたいが、あの時だって妙な気配はなかった。そう、開けた途端に彼女の頭突きが鳩尾を直撃した。  振り切るように、思い切って開けた。少し乱暴気味に開かれた先には、見慣れた冷蔵庫の中が広がっていた。  ……そうだよな。あんな事何度も起こるわけないもんな。  つい溜息が漏れてしまう。と、いかんいかん。  飲物以外何もないな……昨日買っておけばよかった。 「ふらなさん。水と牛乳とオレンジジュース、どれがいいー?」 「あ? え、えーと……み、水でお願いします」 「わかったー」  さっきの勢いとは一転、たどたどしい返答。  さっきといえば、ふらなさんの姿を思い出して、また俺の要所へと血が集まり始める。別の事を考えよう。あとちゃんと謝ろう。  考えるべき事は色々ある。  まず第一に、未来から来たと言う話は本当なのか。  そして、その……俺の子種が欲しいという話は、どういうことなのか。  なにより、彼女は何者なのか。   「あッ!」  ぼさっとしていた!  ふらなさんの分を溢れさせてしまった! コップから零れた水が、置台を濡らしていく。 「しまった……」 「先輩? 何かありましたか?」 「大丈夫、大丈夫だから。何でもないよー」  迂闊だった。傍らに置いてあった台拭き用の布巾を取り、拭き取っていく。不幸中の幸いか、量が量のため、床に零れる事は無かった。  拭き終わってからも、疑問が消える事は無かったけれど。  気を取り直して、二人分の飲み物をお盆に乗せて居間へと戻ると、ふらなさんはソファに膝を抱えたまま座り、大人しく待ってくれていた。  なんだか丸くなった猫みたいでちょっと可愛い。朝の旅番組に興味津々なご様子。 「旅に興味があるの?」  お互いの飲み物をテーブルの上に置いておく。彼女は画面に釘付けのまま、頷いた。 「この時代って色々な物が選べるんですね……飲み物だけじゃなくて、他の物も、事も、色々……」  色々な物が選べる、か。俺はオレンジジュースを一口飲んだ。  確かに、俺は何気なく飲物の好みについて聞いたつもりだった。でも彼女にとっては特別な事だったのかもしれない。  ふらなさんの眼は画面の中のタレントや街の光景を映しながら、心はどこを見て、何を想っているのだろう。 「ふらなさん。色々あるみたいだけど、済んだらこの街から色々案内するよ」  なんでか、自然と提案していた。ふらなさんの横顔に、何が見えたのか。俺にも解らない。解らないまま、口から突いて出ていた。  そんな場合ではないのは解っている、のだが。   「……ありがとうございます。先輩。もしも、ふらなが全てを終えられたら……その時はお願いします」  やがて、ふらなさんは水に気付いたのか、「いただきます、先輩」と言って飲み始めた。目がキラキラ輝いている。  コップを空にして、一息つくふらなさん。 「御馳走さまでした」 「ああ、お粗末さまでした。それで……ふらなさん」 「はい。私は、鋼一さんと、ご家族、未来の家族をお守りに参りました。その為の装備も持ってきました」 「守るって言うと……誰から? もしくは何から?」 「あまり多くの事は聞かされていません。未来の事を明かし過ぎるのも、時間に影響を及ぼしてしまうので……ただ、厄介なサイボーグの凶手が送り込まれたという説明は受けました。私は全身全霊でそいつから鋼一さんをお守りする、恒久的なボディガードだと思っていただいて結構です」 「いつ襲ってくるとか、そういうのは解らないの?」 「すみません、正確な時刻も場所も特定できていないのが現状です。ただ、この街のどこかで、この2~3日以内には間違いなく来ているか、もしくは現れます。というのも、時間跳躍には”ズレ”が発生するんです。例えるなら、高い場所から水滴を落として、鋼一さんの額に命中させるようなものです。未来といっても、時間の仕組みを完璧に把握できたわけではありませんから」  ……ふーむ。  なるほど。腑に落ちない所はあるが一旦納得する。  まず、ふらなさんは、だ。SF映画やら小説やらのように俺を殺しに来たとかそういうわけじゃないようだ。彼女から尖った雰囲気やら、ざらつく空気は感じられなかったから、今すぐ、俺や家族に危害を加えるって線はなさそうだ。あと、何らかの運命でなく、殺意を持った何者かに狙われているという事も理解は出来た。昔見た映画だったか、運命とか事象そのものに襲われたら対処は格段に難しくなる。とはいえ、命を狙われてる事には変わりないから、背筋に一筋の冷感が走る。  ……しかし、守りに来たって事はだ、もう一つ俺の中で些細な疑問が湧き上がる。 「その……子種っていうのは?」  女の子にこんな事を訊ねるのは恥ずかしい、だけど訊かないわけにはいかない。どんなささやかな疑問も解消しておきたい。彼女が信用に足ると決まったわけじゃない。 「あ、あれは……未来への保険です。 最悪の場合、ふらなが産んで、育てるために! 藤堂の血筋を絶やさないために、行うのです!」 「血筋って……俺の一族って未来で何かやらかすの?」 「あ!」  ふらなさんがしまった、という表情でフリーズする。  何も仕掛けたわけじゃないのに……。 「ち、違います! 先生が言ってたんです! 『生まれた以上、不要な人間なんてものは誰にも決められない』って! ふらなもその考えは素晴らしいと思って、だから、お守りするために時間を飛び越えてまいりました!! ネタバレじゃありません、最後は自分で決めました! 信じてください!!」  しどろもどろになり、訊いてもいない事をまくし立てる少女。慌てるあまり、スーツ姿の胸がふるんふるん揺れている。  心の片隅で雑念が色めくのを感じてはいるが、それよりも、得心した。 「ふらなさんは……いい人だな」 「ひえっ!? な、なんでですか!?」 「そういうところが、かな。色々迷惑をかけると思うけど、これからよろしく頼むよ」  何はともあれ、利き腕たる右手を差し出す。未来に握手って文化はあるのだろうか、解らないが、察してくれると思う。  果たして、ややあって平静を取り戻したふらなさんも、おずおずと右手を差し出した。握られた手から、スーツ越しとは思えない、暖かなぬくもりが伝わってきた。  ふらなさんがぎこちなく微笑んでいて、気の抜けるような太い音と、それよりも小さ目な音が、一緒に鳴った。 「……お腹、減りましたね」  どうやら、内臓が本格的に目覚めたみたいね。  そして冷蔵庫の中には、何もない。となれば答えは一つ。俺にとっても、ふらなさんにとっても、この街の地理を実際に知ってもらうには丁度いい。 「そうだな、何か買いに」  言葉を継ぐ前に、ふらなさんが血相を変えて飛び掛かってきた。視界が彼女で埋まり、爆音とともに何も聞こえなくなり、何も見えなくなった。  
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