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そして翌朝。
学び舎に赴く直前、セクスティリウスにアウレンティウスより使者が訪れたの。
それは私を、アウレンティウス家で開催される勉強会に招待したいというものだった。
きちんと体裁の整った、正式な書簡。紙も墨も上質なものが使われているのはひと目で分かったわ。
お父様はそれに至極ご満悦だった。
女の私相手に、多大な財力を持つアウレンティウスが下手に出ているのが好ましかったのね。
そして私がお父様の言いつけ通りに行動し、さらに成果を上げていることにも満足したのでしょう……。
――……私は、そんなつもりであの二人と友達になったんじゃないわ。
内心ではそう思っていたけれど、顔に出さないよう、細心の注意を払った。
「アウレンティウスの小倅とは懇意にしているのか」
「はい」
「明日の昼からとは急なことだ……聞いているか」
「伺っておりました。しかし私を招待できるかどうかは、家の方針次第とのことでしたから……」
無難にそう答えておいたわ。
私が出しゃばることをお父様は好まれない。だから、行きたいだなんて言ってはいけなかった。
「この勉強会とはどういったものだ」
「私もまだ参加したことがございませんから、存じ上げないのです」
「ふむ……他には誰か参加するのか」
「それも存じ上げませんわ。ただ、特に親しい方だけを招く会だと……」
正式な書簡を使者に託し届けさせたということは、私との縁を望んでいると受け取られて当然のことで、きっとクルトはそれを分かってこうしてきたのだと思ったから、そのように答えたわ。
「ふん……」
お父様の返事はそれだけ。
そうしてしばらく書簡を眺めてから、控えていた奴隷に返事を書くよう指示した。
「行ってこい。お前がしなければならないことは分かっているな」
「勿論、心得ております」
殿方に気に入られるよう、淑女らしく致しますと含め答えると、満足したように頷いたお父様。行けと私に手を振って、その後はもう、視線も寄越さなかった。
それから学び舎に行くと、アラタとクルトはいつもの時間にやって来て、私に「おはよう」と挨拶した。
そのあとは、いたっていつも通り。
授業を受けて、また明日と挨拶して、秘密基地にも寄らずに帰ってしまった。
どこかで招待の理由を聞けるのかと思っていたのに拍子抜けした私は、しょうがなく家に帰ったのだけど……。
戻ったらすでに、湯浴みの準備が整えられていたわ。
全身だけでなく髪も洗い、香油まで使われたのには驚いてしまった。
衣服も礼装用に改め、うっすらと化粧もされ、最後は薔薇水を口に含み体の中までを清める徹底ぶり。
まるでお姉様が嫁ぐ時の準備みたいで、内心こんなにおおごとなの? と思いながら、お父様がどれほどアウレンティウスを意識しているのかを理解した。
私たち貴族は後続の上位平民を見下しているけれど、現状で力を持ち、権力を強めているのは上位平民ですものね。とくにアウレンティウスは財力のある家だから、侮られるわけにはいかない。私の身だしなみひとつにも気が抜けないのでしょう。
準備が整い、クルトの家に赴こうとしていたら、また使者が到着したと知らせを受けた。
なんの使者かしら? と、思っていたら、私の迎えと聞いて驚いたわ。慌てて出向いてみると、きちんとした身なりの使者が、輿を伴って訪れていたものだから、さらに唖然としてしまった。
奴隷四人が担ぐ、帳を備えた立派な輿で、本来私みたいな子供が乗るものではなかったもの。
「お嬢様のお迎えにあがりました」
さあどうぞと示され、少し迷ったけれど、従うことにした。
これだけのことを子供の私にするなんてと思ったけれど、断ればクルトの面目を潰してしまうかもしれないし……。
お父様は外出中だったから、母様に勉強会へ出かける旨を伝えて供の奴隷を一人連れていくと、使者は私だけを輿に乗せ、出発を指示した。
使者の方は輿の横につき、私の奴隷はその後方に従った。そして前後を二人の護衛と思しき私兵が挟む。
その物々しさに内心では恐れ慄いていたのだけど、怖がっているなんて知られてしまってはいけないし、必死で表情を取り繕っていた。
準備ができると、使者の方は輿の帳をおろして私を隠してから、奴隷に進むよう指示。奴隷らは慣れた動作で輿を揺らさぬよう立ち上がり、大通りへと進んでいった。
視界が隠されて風景は見えなくなったけれど、内心ではホッとしていたわ。
周りの人に注目されて気が気じゃなかったし、高くて怖かったし……。
大通りは喧騒に満ちていた。
道端の屋台の呼び込みや道行く人の話し声が重なって、見えないけれどたいへん賑わっている様子はうかがえたの。
その混み具合に、輿なんかが通ったら邪魔になってしまうのじゃないかしらと気になったけれど、中が見えなくても輿を利用するのは裕福な家庭の要人だけ。いつもなら道を譲らない荒くれ者たちも、輿の前は遮らないと決めているよう。私の乗る輿はゆっくりと同じ速度で進んでいったわ。
そのまま揺られてどれくらい経ったでしょう。不意に輿が不規則に揺れてから、ゆっくりと降ろされる感覚がして。
「ようこそ、セクスティリア嬢」
聞き慣れた声がそう言い帳を掻き分けて顔を覗かせた時、正直ホッとしてしまったの。
「クァルトゥス様……お招きありがとう存じます」
けれど、私を見たクルトはなぜか、動きを止めてしまったわ。
視線が私に張りついていて、驚きのあまりに大きく瞳を見開いているものだから、私もしかして、どこか着崩れしてしまっていたかしらと慌ててしまった。
「ご、ごめんなさい。そんなにおかしい?」
鏡がないから分からないわ……。
「い、いや……その、凄く、その……」
言い淀むクルトに、よっぽどおかしな部分があるのだと思った。
焦って髪に手をやると、クルトの後方から私の奴隷がひょこりと顔を覗かせたものだから。
「ねぇ、どこが崩れてしまっている?」
「あっ、ち、違うよ。別にどこも、おかしくはないよ。本当に!」
慌ててクルトはそう弁明して、私から視線を逸らしながら、スッと手を差し出した。
「ど、どうぞ……」
クルトの態度は気になったものの、その手を借りて輿を降りたわ。
輿があったのは、大通り沿いの前庭前。クルトの後方にも大勢の使用人や奴隷が控えていて、私がこの家の賓客扱いなのだと改めて理解した。
「すぐ中へ」
そう言ったクルトが私を見ようとしないものだから、私も怖気づいてしまっていたのだけど、これ以上クルトを問い詰めるわけにもいかなくて、そのまま背中についていくことにしたの。
招かれた玄関広間はとても広かった。
中央には列柱で囲われた貯水鉢。鉢底には色とりどりの青いタイルで水の波紋が描かれていて、まるで水面が二重に重なっているように見え、とても幻想的。
壁に描かれている壁画は緑と小鳥。そして色とりどりの花々。天窓から降りそそぐ陽光で、中庭にいるかのような解放感だった。
もっとしっかり見てみたかったのだけど、クルトはどんどん先に進んでしまって……私も慌てて足を急がせたわ。その後ろからさらに奴隷が小走りでついて来ていたのだけど、途中でハッと気がついたクルトは足を止め、引き返してきた。
「ご、ごめん。気がつかなくて。えっと……僕の私室に向かうのだけどね、あそこは高価で貴重な品を多く管理しているから、客人でもなかなか招かないんだ。だから奴隷の君は、そちらの小部屋で待っていて」
クルトが示したのは、来客用に整えられた部屋だったわ。
――奴隷を、ここに? ……奴隷よ?
そう思ったけれど、クルトがそう言うのだし……と、奴隷に従うよう指示したわ。
その子は戸惑ったものの、言われるままその部屋に足を向けた。
「私物を持たせているのだけど……」
「必要ないよ。要るものは僕が家の者に用意させるから」
さすが、アウレンティウスね……。
「じゃぁ、行こう、サクラ」
サクラと呼ばれてハッとしたのだけど、見ればアウレンティウスの奴隷も遠くに控え、もう私たちの近くに人影はなかった。
そのままクルトの後ろをついて歩いたわ。執務室を横目に通り過ぎて、廊下を進むと本当の中庭が見えてきた。
その広さに圧倒されながら、柱廊廊下を進み、神棚前で小さく祈りを捧げ、さらに奥へと進んだ。
大広間の方に向かっているのかしら……。
貴重なものが多いと言っていたものね。一人息子であるクルトも、その貴重な品々も、家の一番奥で厳重に守られているのかも。
そう思っていたのだけれど、廊下の端で足を止めたクルトは、シッと指を唇の前に。そうして私の手を握って、柱の間から、外壁側へと身を滑り込ませ……。
外壁前には細く続く隙間があったわ。
「ごめん、せっかく着飾ってくれているのに……衣服を汚してしまったら、僕が弁償する。でもここを抜けないと、裏道に出れないんだ」
「……クルトの部屋に向かっているのよね?」
なぜ裏道に出なければならないの? と、不思議に思ったわ。だけどクルトは、少しばつの悪そうな顔で視線を逸らし……。
「僕の部屋は、ここの二階にもあるよ。でも今僕が向かってる部屋は、この屋敷の外にある、もうひとつの僕の屋敷のこと」
「もうひとつ?」
「僕の趣味の研究所なんだ。収集品も増えすぎたし、僕の部屋だけでは手狭でね。それで父に用意してもらった」
屋敷の裏道にはまた輿が用意されていたわ。
先程の使者と輿……。彼らは私たちを見ると、まるで示し合わせたように動いた。
「さ、お早く」
「うん」
今度は二人で輿に乗り込んで、また帳が下ろされ、私たちを覆い隠してしまったわ。
一人で乗っていた時よりは手狭になったけれど、一人の時よりは不安ではなかった。けれどクルトは落ち着かなげに視線を落として俯いたまま。
「ねぇ、言いたいことがあるならはっきり言ってちょうだい」
いい加減気分を害してきていたから、つい思っていたことをそのまま、言葉に出してしまったのだけど。
「若様はお嬢様が美しくて直視できないんですよ」
帳の外から飛び込んだ、使者の笑いを含んだ声に、クルトは慌てて顔を上げたわ。
「イザイア!」
「あ、図星でしたか。失礼しました」
全然失礼したなんて思ってないような、軽い謝罪。
帳越しで顔は見えないけれど、声はやはり軽く笑っていた。
そして私の前のクルトは、顔を真っ赤にして帳の向こうを睨んでいるものだから……。
私も途端に恥ずかしくなってしまったの。
「ご、ごめん……。その、凄く、綺麗だと、思ったんだよ? そしたらなんだか、途端に言葉が詰まってしまって……不快にさせてしまったなら、謝るよ」
「いえ……私もやりすぎかとは思ったの。でも、家の立場的なものが色々あって……」
友達の家に招かれるだけでこんなに着飾って、場違いだったわね。
「ち、違うよ! そういうことじゃなくっ」
「若様は社交辞令なら平気でお綺麗ですねと言えるんですが」
「っ、イザイア!」
またもや帳の外から飛んできた言葉に、私はもう、顔が上げられなかったわ。
世辞ではなく、本心から綺麗だって、そう思ってくれたということよね?
肩が振れるほど近くに座るクルトこそが、綺麗で凛々しい学び舎の人気者なのに。
「れ、練習するよ。ちゃんと、正しいことを伝えられるように……」
「い、いえ……気にしないで。あ、ありがとう……」
居た堪れない気持ちのまま、二人で俯いて、輿に揺られて時を過ごした。
そしてまたしばらく経ち……使者が誰かと言葉を交わすのが聞こえ、するとクルトが「着いたよ」と、私に言ったの。
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