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私は由緒正しきセクスティリウス家の、価値ある娘でなければいけない。
私の生まれたセクスティリウス家というのは、我が祖国において上位五家に含まれる、由緒正しき屈指の有力貴族。
建国当初存在していた王からも、厚く信頼を得ていたそう。
それゆえ我らの先つ祖は領土のうちで最も重要なこの一帯を担う任を賜り、ここに城塞都市ムルスを建都。そのまま守りの要として、元老院議員となりこの地を統べているのだと、お父様は酔うたび私に言うわ。
だからこの家に生まれた私は、セクスティリウス家の名に恥じぬ娘として、それに相応しい教養を備え、振る舞いをし、然るべき相手に嫁ぎ、他家へ渡ってからもセクスティリウスのために動く者でなくてはならない。
そうならなければ私に価値は無いのですって。
ですから学び舎から帰ってからが、私の本当の教養を磨く、学習の時間。
「手が下がっておりますよ」
「はいっ」
「四半拍遅れておりますわ。足の運びもっと早く!」
「はいっ」
舞の鍛錬は好き。
体を動かすことが好きなの。でも、同じ体を使うことでも所作の鍛錬は嫌いだったわ。ゆっくりと嫋やかに見えることを求められる所作は、時間がかかるし細かいし、やりたかったことの半分もできやしないんですもの。
そのうえ本当は、やりたいことは全て奴隷に指示して行うのが正しい貴族で、自ら動くなんてやってはいけない。
所作を磨かなければならないのに、実際に使ってはいけないだなんて、それじゃこの時間になんの意味があるというの?
幼い時にそう問うたら、その思想からすでに間違っているのだと、お父様は激怒したわ……。
それ以来、私の行動を逐一奴隷に報告させて、後で叱責されるようになったの。
だから私は常に、お父様の監視下に置かれている。
お父様は私の教育に、一切手を抜くつもりはないのよ。
セクスティリウスに妥協などというものは存在しないのですって。
そうやって、女の身の私に過ぎた教育を施してくださることを、私は有り難く思わなくてはいけない……。
女の私は、お父様の言うことが全て正しいとし、従わなければいけなくて、できない者を淑女とは言わないの。
……でも私は、未だ淑女になりきれないでいた。
努力はしてるつもりだし、そうあろうともしてるの。でもつい、余計なことを考えてしまう。
由緒正しき屈指の有力貴族なんて言っていても、封じられたこの地は、国の端っこの辺境地。
魔物の巣食う樹海を近くに持つだけの、首都から遠く離れた片田舎。
隣国すら遠くて、特産品も特に無い。強いて特徴と言うなら、首都に負けない規模の闘技場を持ち、数多の剣闘士団を有す軍事都市であることくらい。ここの一体どこが国で最も重要な地なのでしょう……って。
そんなふうに考えること自体が間違っていると、分かっているの。
お父様がそう言うのだから、そうであると理解し、それを真理としなければいけない。なのに私は、余計なことを考えてしまう。
セクスティリウス家が、本当に王族との所縁があった血なのか疑ってしまうのも、私のできが悪いからなのでしょう……。
本当の淑女なら、誇りを抱きこそすれそんな気持ち、欠片だって芽生えはしないのでしょうから。
「セクスティリア」
「はい、お父様」
「もう一度初めから」
「はい……お父様」
淑女教育は、月に一度。
成果を見るためにお父様自らが、私の講師をしてくださるわ。
由緒正しきセクスティリウス家の男児は、十二歳を迎えたら三年間、この地を離れる。
首都の本家で、洗練された最先端教育を受けるの。
これは、この地に封じられた貴族の中でも、我が家だけの特別待遇。筆頭貴族であるがゆえなのですって。
しかし私はあろうことか女で生まれてきてしまったから、その特別な教育が受けられない……。
けれどセクスティリウス家の者に教養が無いなんて許されない。だからお父様が自ら私を淑女に育ててくださるの。
今は弟が二人生まれたからいいけれど、幼い頃は女に生まれたことを毎日のようになじられたわ。
役に立たないと、いつも怒られた……。
私が女であるから婿養子を取るしかない。由緒正しきセクスティリウスに、余計な思想を持ち込ませることになってしまうって。
けれどようやっと六年前、この家にも待望の男児が生まれて、私には別の使い道ができた。
そこから私は、他家との交渉材料として使い物になるよう、完璧な淑女となることを求められるようになったの。
「速い! 歩幅もまた開いてきているではないか!」
「申し訳ございません」
「もう一度だ!」
「はい、お父様……」
儚く可憐に見えるよう、弱く従順に見えるよう、振る舞うことを徹底されるこの時間……。
それは怖くて、辛い、一番苦手な講義の時間だった。
だんだんとイライラしてくるお父様が、怖くて仕方がなかった。
それで余計に緊張して、動作がぎこちなくなって、また怒られて……。
そのうち、怒り狂ったお父様の鞭が振るわれるの。
私にではなく、私の身の回りの世話をする奴隷たちに。
私の横に立たせた奴隷を、私の代わりに鞭で叩く。
その鋭い音と、必死で殺した悲鳴が、私の耳にも突き刺さるの。
自分が叩かれる方がマシだといつも思うのよ?
でも、私の肌は将来夫となる方のために使えるものでなくてはならないから、傷をつけるなどあってはならない。そして私を淑女にできない、私の身の回りの者たちの働きが悪いのがいけない。
だから鞭を振るうのですって。
恐怖を押し殺して、私は必死で演じるの。
お父様の、理想の淑女を。
少しでも短くこの講義の時間を終えるために、全力で。
首都の淑女の誰よりも、淑女らしくなければいけない。
お招きしたお客様が、こぞって私を欲するよう。お父様の選んだ特別な方に、必ず気に入られるよう、振る舞える淑女にならなければいけない。
名誉はあっても辺境のこんな田舎では、お父様の力は活かされない。常々そう思ってらっしゃるのよ。
だからお父様は、首都の有力者との強い絆を欲しているのだと思う。
そのための手札に私はならなければいけない。
数少ないその機会を、必ずものにできなければいけない。
完璧な淑女となることは、女に生まれてしまった私がセクスティリウス家にできる数少ない貢献。それはそれは名誉なことなのですって。
だけど私は出来損ないだから……思ってしまう。
苦しいって……。
全部放り捨てて、ここから逃げ去ってしまいたいって。
好きでこの家に生まれたんじゃないわ。私が性別を選べたならば、男になっていたわよ! ……って。
でもそんなことを叫んだって無意味だわ。余計奴隷たちを痛めつけることにしかならない。
それは嫌。
人が叩かれる音なんて、悲鳴なんて、聞きたくない。
だから未熟な私にできるのは、ただひたすら、お父様の理想の淑女を目指すことだけだった。
完璧な淑女となれば、少なくともこの家からは抜け出せる。
この狭く苦しい鳥籠の中から、次の鳥籠へと移ることができるの。
所詮……鳥籠の中だなんて、思っては駄目。
この国での貴族女性の価値は、淑女であり、血を繋げる名誉を誇ることだけ。
それがどんなに苦しくても皆がそうしてる。セクスティリウス家の価値ある娘であるはずの私が、それをできないなんてあってはならない。
窮屈だったわ。
だから余計に眩しかったのかもしれない。
血筋になんて拘らず、立場なんて気にしないで振る舞える、あの人が。
「まだまだだな。だが仕方ない……。明後日は接待がある。お前の拙い舞でも見てくださる寛容なお客様だ。今のお前の最大限でもてなせ。粗相などあってはならないと、分かっているな?」
いつか私も、何もかもを振り捨てて、てあんなふうにできたなら……。
「はい、お父様。精一杯、努めさせていただきます」
でも、私には無理だって、分かってる……。
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