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そしてその日にはもうひとつ――私にとって、大きな出来事があったのよ。
またここに来ることを約束して、密会は解散となったのだけど……。
その約束を守るためにはひとつ、ふたりには言えなかった問題があった。
私の連れている奴隷は、私の監視役でもある。お父様の目が、常に私を見張っているということを。
「……無理よね」
お父様は私が淑女であり続けることを望んでいらっしゃるもの。だからアラタの考え方を受け入れるはずがなかったわ。
もしこのことを奴隷が知れば、間違いなくお父様に報告されてしまう。
下手なことをすれば、アラタやクルトに害が及ぶ可能性だってあったのよ。
とくにアラタは平民ですもの。お父様の匙加減ひとつで、命だって取られかねない。
そんなことに巻き込めない。
楽しかったわ。だからなおのこと、私はもうここに来てはいけない。
ふたりには嘘をつくことになってしまうけれど、これっきり……そうすべきなのは明らかだった。
「……」
せっかく得た友達を、自ら捨てなければいけないのは、とても苦しく、辛く、悲しいことで、胸を引き裂かれる思いだったけれど、そこでさらなる問題に気がついてしまった。
「……あ、私ったら……っ!」
私、何も言わず奴隷を置いてきたままだった……ってことに!
慌てて元の場所に戻ると、泣きそうな顔の奴隷が、私を必死で探していたわ。
目が合った彼女は、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
私はアラタたちと話すことに夢中で、自分がどうしてひとりだったかということを、すっかり失念してしまっていたの。
なぜ忘れていられたのかしら……こんな重要なこと!
そう思ったけれど遅いわよね。必死で奴隷にどう言い訳しようかって悩んでいたら……。
「助かった。ありがとうな、届けてくれて」
「え?」
後ろからの声に振り返ると、そこにはさっき別れたはずのアラタが立っていたわ。そして彼はさらに声を張り上げたの。
「悪いな、でも叱らないでやってくれよ。せクすてィりあ様は、俺の落としものを届けに来てくれただけなんだ」
何を言っているのかしら? って、思ったけれど――奴隷に対して、私がその場を離れた理由を述べてくれているのだって、すぐに理解したわ。
駆け寄ってきた奴隷は、私の身を確認し、衣服の乱れや怪我がないことにホッと息を吐いた。
そうして私を背後に庇い、アラタとの間に立ったのだけど――。
その後どう言葉を続けていいか、迷ったのね。私たちはふたりして、アラタに言うべき次の言葉を詰まらせてしまった。
すると、アラタはまた、大人びた顔でフッと笑ったの。
「あんた……こいつから目を離したとあっちゃ、叱責されんだろ?」
そう言われた奴隷は、表情を強張らせた。けど――。
「なら黙っとけよ、分かりゃしないから」
そう続けられ、驚いたのでしょう。とっさに私の顔を見たの。
「あんたの主人は優しいから、貸しのひとつくらい作っておいて損はねぇよ」
ポンと奴隷の肩を叩き、チラリと私に目配せしてから「そんじゃな」って、アラタは足取り軽く帰っていった。
実際、先に忘れ物をしてしまったのも、それに慌てて私から目を離してしまったのもこの奴隷本人で、それをまずは叱責される立場だったわ。
きっと家に帰れば、鞭打ち一度では済まされない。
それで私も、アラタの言葉を少し考えてみたの……。
「……私、何も困ってないわ。だから、あなたは忘れ物なんてしていないし、私から目を離してもいない……。今日帰りが遅くなったのは、学友の殿方の、忘れ物を届けていたから。これでどうかしら?」
殿方に好かれるように行動すべしと、お父様に言われているもの。
だからこれは、誰も叱責されたりしないわよね。
私の言葉に奴隷は、びっくりしたように目を見開いたけれど、慌てて頷いた。
同意がとれたと判断した私は、内心ホッとしつつ笑ってみせたわ。
「お互い頑張ったから疲れたわね。帰りましょう」
そう促して、何ごともなかったふりをして、街を半分熱に浮かされたような頭で歩いた。
昼時を大きく過ぎてしまった街は、いつもとはずいぶん様子が違っていて、少し怖く感じていた屋台通りも、人通りが少なくなって静かだった。
でもそんな変化すらさして意識にのぼらないくらい、私の頭は三人で過ごした楽しい時間のことと、別れ際のアラタのことでいっぱいだったの。
――アラタは、きっと全部分かっていたのね。
私が困ってしまうだろうことも、二人との時間を諦めようとすることも。
全部分かっていて、私が咎められることのないようにしてくれた。逃げ道を与えてくれたんだわ。
アラタは、私にあんなふうにしなくても良かったはずよ。
平民の彼は一番立場が弱い。一番力を持たないはずなのに。
一歩間違えれば、自らを危険に晒すことになったことも、聡明な彼には分かっていたはず。
その危険を冒してまで、私のために、動いてくれたんだわ。
そうまでしてくれた彼との約束を、嘘にしたくなかった。
せめて、もう一回。
ちゃんとお礼と、来れない理由を伝える時間をなんとか見つけ出そうと、固く決意したの。
そうして家に戻ったけれど……確かに、言わなければ分からないことだったよう。
誰にも咎められず、気にもされなかったものだから、あの秘密基地のひとときは、私の中だけの秘密となった。
だから私は、何日もかけて一生懸命考えたわ。
お父様の監視を逃れる方法を。
そしてとうとう、それを見つけたの。
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