三話 秘密基地

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 そしてその日にはもうひとつ――私にとって、大きな出来事があったのよ。    またここに来ることを約束して、密会は解散となったのだけど……。  その約束を守るためにはひとつ、ふたりには言えなかった問題があった。  私の連れている奴隷は、私の監視役でもある。お父様の目が、常に私を見張っているということを。 「……無理よね」  お父様は私が淑女であり続けることを望んでいらっしゃるもの。だからアラタの考え方を受け入れるはずがなかったわ。  もしこのことを奴隷が知れば、間違いなくお父様に報告されてしまう。  下手なことをすれば、アラタやクルトに害が及ぶ可能性だってあったのよ。  とくにアラタは平民ですもの。お父様の匙加減ひとつで、命だって取られかねない。  そんなことに巻き込めない。  楽しかったわ。だからなおのこと、私はもうここに来てはいけない。  ふたりには嘘をつくことになってしまうけれど、これっきり……そうすべきなのは明らかだった。 「……」  せっかく得た友達を、自ら捨てなければいけないのは、とても苦しく、辛く、悲しいことで、胸を引き裂かれる思いだったけれど、そこでさらなる問題に気がついてしまった。 「……あ、私ったら……っ!」  私、何も言わず奴隷を置いてきたままだった……ってことに!  慌てて元の場所に戻ると、泣きそうな顔の奴隷が、私を必死で探していたわ。  目が合った彼女は、慌ててこちらに駆け寄ってきた。  私はアラタたちと話すことに夢中で、自分がどうしてひとりだったかということを、すっかり失念してしまっていたの。  なぜ忘れていられたのかしら……こんな重要なこと!  そう思ったけれど遅いわよね。必死で奴隷にどう言い訳しようかって悩んでいたら……。 「助かった。ありがとうな、届けてくれて」 「え?」  後ろからの声に振り返ると、そこにはさっき別れたはずのアラタが立っていたわ。そして彼はさらに声を張り上げたの。 「悪いな、でも叱らないでやってくれよ。せクすてィりあ様は、俺の落としものを届けに来てくれただけなんだ」  何を言っているのかしら? って、思ったけれど――奴隷に対して、私がその場を離れた理由を述べてくれているのだって、すぐに理解したわ。  駆け寄ってきた奴隷は、私の身を確認し、衣服の乱れや怪我がないことにホッと息を吐いた。  そうして私を背後に庇い、アラタとの間に立ったのだけど――。  その後どう言葉を続けていいか、迷ったのね。私たちはふたりして、アラタに言うべき次の言葉を詰まらせてしまった。  すると、アラタはまた、大人びた顔でフッと笑ったの。 「あんた……こいつから目を離したとあっちゃ、叱責されんだろ?」  そう言われた奴隷は、表情を強張らせた。けど――。 「なら黙っとけよ、分かりゃしないから」  そう続けられ、驚いたのでしょう。とっさに私の顔を見たの。 「あんたの主人は優しいから、貸しのひとつくらい作っておいて損はねぇよ」  ポンと奴隷の肩を叩き、チラリと私に目配せしてから「そんじゃな」って、アラタは足取り軽く帰っていった。  実際、先に忘れ物をしてしまったのも、それに慌てて私から目を離してしまったのもこの奴隷本人で、それをまずは叱責される立場だったわ。  きっと家に帰れば、鞭打ち一度では済まされない。  それで私も、アラタの言葉を少し考えてみたの……。 「……私、何も困ってないわ。だから、あなたは忘れ物なんてしていないし、私から目を離してもいない……。今日帰りが遅くなったのは、学友の殿方の、忘れ物を届けていたから。これでどうかしら?」  殿方に好かれるように行動すべしと、お父様に言われているもの。  だからこれは、誰も叱責されたりしないわよね。  私の言葉に奴隷は、びっくりしたように目を見開いたけれど、慌てて頷いた。  同意がとれたと判断した私は、内心ホッとしつつ笑ってみせたわ。 「お互い頑張ったから疲れたわね。帰りましょう」  そう促して、何ごともなかったふりをして、街を半分熱に浮かされたような頭で歩いた。  昼時を大きく過ぎてしまった街は、いつもとはずいぶん様子が違っていて、少し怖く感じていた屋台通りも、人通りが少なくなって静かだった。  でもそんな変化すらさして意識にのぼらないくらい、私の頭は三人で過ごした楽しい時間のことと、別れ際のアラタのことでいっぱいだったの。  ――アラタは、きっと全部分かっていたのね。  私が困ってしまうだろうことも、二人との時間を諦めようとすることも。  全部分かっていて、私が咎められることのないようにしてくれた。逃げ道を与えてくれたんだわ。  アラタは、私にあんなふうにしなくても良かったはずよ。  平民の彼は一番立場が弱い。一番力を持たないはずなのに。  一歩間違えれば、自らを危険に晒すことになったことも、聡明な彼には分かっていたはず。  その危険を冒してまで、私のために、動いてくれたんだわ。  そうまでしてくれた彼との約束を、嘘にしたくなかった。  せめて、もう一回。  ちゃんとお礼と、来れない理由を伝える時間をなんとか見つけ出そうと、固く決意したの。    そうして家に戻ったけれど……確かに、言わなければ分からないことだったよう。  誰にも咎められず、気にもされなかったものだから、あの秘密基地のひとときは、私の中だけの秘密となった。  だから私は、何日もかけて一生懸命考えたわ。  お父様の監視を逃れる方法を。    そしてとうとう、それを見つけたの。
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