ダメダメな俺のことを、死ぬほど好きでいてくれるメイドさん

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ダメダメな俺のことを、死ぬほど好きでいてくれるメイドさん

 入江燈次(いりえ とうじ)は前の晩、女に振られた。彼が女に振られるのはいつものことだった。それにも関わらず彼はひどく落ちこみ、熱を出して寝こんでいる。これもいつものことだ。彼は金持ちである。その上とても優れた顔立ちをしている。24歳、清々しさの中に理知が垣間見える年齢だ。しかし性格に難がある。そのため女にすぐに振られる。  彼が生きがいとしているのは、人の悪口を言うことである。大衆文学の酷評も趣味のひとつだ。人の悪口を言いまくって、勝手にひとりで興奮して、熱を出して寝こむこともある。身体が弱いくせにというか、弱いからというか、性格がねじれている。勝てると思った相手であれば、強い者にも噛みつく度胸を持つ。が、自分では敵わないと思った相手には媚びることもある。特に女に対してはみっともない。女の足にすがりついて許しを乞うことも多々。自分の恋愛対象となる女に関しては、自分と同等か、あるいはそれ以上の身分でなければ気が済まない。世間からの評価を常に意識している。ナルシストである。  今回も大金持ちの美女に玉砕し、落胆のあまり熱を出している。自室のベッドで横になり、うんうん唸る燈次。俺が振られるのは俺を評価しない社会のせいだとぼやく。どんどん発展して人間という生物全体を悪く言う。かと思うと次は急に悪口の範囲が狭まって、今度は自分自身に向かう。舌鋒鋭い者は、どうやら自分自身への悪罵も容赦がないらしい。また毒舌家には、意外と傷つきやすいという特徴がある。自己卑下のせいでさらに憂鬱になり、病状も悪化する。  ベッドの脇には、この家に住みこみで働いているメイドがいる。20歳の女の子である。名前は「さと」。さとは燈次のひたいの汗を拭いてやったり、パイ包みのシチューを崩して彼の口に運んでやったりと、甲斐甲斐しく世話を焼く。真面目で仕事熱心な性格である。そして燈次の無意味なぼやきにもいちいち反応する。特に自己嫌悪から発生した言葉にはもらさず励ましの言葉をかけている。 「俺なんてただの、地を這うしか能のない醜悪な芋虫だ。誰もが忌み嫌うウジ虫だ。吐瀉物にばかり好んでたかる汚い蠅だ」 「そんなことありません。私は燈次さまを心の底から尊敬しております」 「嘘だ。俺ごときを好きな人間などひとりもいない。もしいたらそいつは内臓が全部腐っている。骨という骨が豚の糞でできている」 「私は燈次さまを本当にお慕いしております。そして私の身体は内臓も骨も正常です」 「今の俺は嘘なんてほしくないんだよ。ああ、一度でいいから女に『死ぬほど好きだ』と言われたかった!」 「私は燈次さまをそれほどの想いで見ております」 「え?」 「私は燈次さまのことを、死ぬほど愛しておりますよ」 「死ぬほど愛している、だって!」  燈次はその言葉でベッドから跳ね起きた。彼は目の前が一気に明るくなったのを感じた。内側からどんどんと元気が湧いてくる。  さとはいつも職務に忠実である。だから燈次の嘆きに対し、求められている言葉をそのまま返しただけかもしれない。つまりはビジネストークだった可能性も高い。だが今の燈次に、その点に気づく余裕は一切なかった。彼は「さとは俺に恋をしている」と信じて疑わなかった。  失恋したばかりの人間は愚かである。著しい思考力の低下に見舞われがちだ。燈次もその例に違わなかった。  前述の通り燈次はすぐ女に振られる。顔立ちで寄って来る女はよくいるが、たいていは2~3ヶ月も一緒にいれば彼の本性に愛想をつかす。一方のさとは、入江家にもう2年も勤めている。それほど長く、しかもずっと一緒にいる女性から、好きだと打ち明けられたのは初めてだった。燈次は病気でなければベッドをトランポリン代わりにして飛びはねかった。  燈次は気持ちを抑えられなくなった。彼はベッドの傍の机から紙とペンを取り出し、即興の詩を書いた。そしてさとに手渡した。 「これは今急に思いついた詩なのだが、読んでくれ。そして感じたことをそのまま教えてくれたまえ。できれば賞に応募したいと思っている。だから嘘などついてはならないぞ」  本当に賞に応募しようと思っていたわけではない。これはさとに、詩をじっくり読んでほしいがための口実だった。だがさとはこの言葉を額面通り受け取ったようだ。さとは目をぐっと見開いて詩を読み始めた。  彼の書いた詩は、以下のようなものだった。  -----------------------------------------------   男は自分の影を見下ろして歩いた   真正面に輝く月が彼をはっきりと照らしていた   笑顔を忘れた彼はふと真上を見た   ガラス玉のような月が男を優しく見下ろしている   素晴らしい光景だった。感動で胸が震えた。   君に会いたくなった   ダイヤモンド・ダストの夜だった  -----------------------------------------------  彼女は「わあ」や「おお~」という感動の声を上げながら読んでいた。燈次は得意げだった。さとは素直な性格だ。ありのままの感動を彼にぶつけてくれるに違いない。ちなみにだがこの詩、縦読みで「君が好きだ」と読める仕かけがある。そこに気づくかどうかが彼の一番気になる部分だった。彼は期待で心臓を躍らせた。さとは紙から目を上げ、瞳を輝かせながら言った。 「不思議な魅力がある詩です」 「どこがどう不思議だったのかね?」 「お月さまがたくさんあるところです」 「月がたくさん?」  予想もしなかった言葉に燈次はぎくりとした。そのような描写は覚えがない。 「真正面に月があるって言っているのに、次は真上にあるって言ってますね。お月さまがふたつあるってことですよね。あ、もしかして、最初の行で影を見ながら歩くって言っているということは、後ろにも月があるということでしょうか。わあ、みっつもある!」  狙って書いたわけではなかった。ただの燈次のミスだった。さとは鋭い指摘をしたなどと思っていないようだ。実に無邪気に感想を語っている。それがかえって、燈次を恥ずかしさの底に叩きおとした。燈次は突然さとの手から原稿を奪い、ビリビリに引き裂いてしまった。 「何をなさるのですか、燈次さま!」 「うるさいっ! お前なんかもう嫌いだっ。出ていけ! もう二度と俺の前に姿を現すな! 馬鹿垂れめ!」  燈次は狼狽するさとの腕を掴み、強引に部屋の外へ引っ張っていった。鍵をかけて入れなくした。そして燈次は布団を被り、恥ずかしさと惨めさで激しく身を悶えさせた。  燈次はしばらくの間自室に引きこもった。体調は悪化したが、絶対にさとを自分の部屋に寄りつかせなかった。彼の世話は彼女と別の使用人にやらせた。その状態が3日続いた。その間は会社を休んでしまった。最初に寝こんでいた日もあわせると、恋愛が理由で4日連続で休んだことになる。実に奇怪な男である。  最初に病気になってから5日が経った朝。彼はようやく元気を取り戻した。その日は土曜日だった。彼はのそのそと布団から這いあがり、さとの姿を探した。さすがの彼も自分の言動が大人げないと気づいたようである。とはいえ謝ろうと思ったわけではない。何ごともなかったかのように「おはよう、さと」と言って、すべてをチャラにしようと考えたのである。ずるい男だ。  しかし、どこを探してもさとはいない。台所に行くと、御年70歳になるメイドがいるだけだった。 「さとはどこだ」 「さとなら、もうおりませんが」 「いないだと?」 「ええ、昨日から実家に戻っております。ご存知ではないのですか。さとは燈次さまから休暇をもらったと言っておりましたが」  燈次はさあっと顔を青くした。先日の「もう二度と姿を見せるな」という言葉を、さとは解雇されたと解釈したようだ。そんなのはただの言葉の綾だというのに。  燈次はパジャマのまま車に飛び乗った。入江家専属の運転手に、さとの実家へ向かえと告げる。彼は道中、絶えず激しい貧乏揺すりをしていた。考えているのはさとのことばかりだった。  ひとりで寝こんでいる間、彼はさとのことを考えまいとしていた。だがそう思えば思うほど、彼はさとのことが頭に浮かんだ。さとは少々暗めな色の肌をしているが、そのことが彼女の見た目に淑やかな美しさを加えている。ぽってりとした唇や、小さく尖った鼻が愛らしい。大きい尻は素朴な顔立ちとの対比で非常に艶かしい。人のことをすぐ尊敬してしまう単純さも愛らしい。病気がちな燈次はさとの身体の丈夫さに憧れを持っている。空想好きな性格も興味深い。彼女の想像世界に俺は登場していただろうか。さとの頭の中で、俺はどんなふうに彼女と接していたのだろうか。彼女の細い肩を優しく抱き寄せたことがあるだろうか。腰に手を添えたことがあるだろうか。燈次は病気の最中、意地でもさとを呼ぶまいと考えていた。反面、さとに会いたくてたまらなかった。声を聞きたかった。顔を見たかった。笑顔を見たかった。彼女の温もりを感じたかった。……  3時間かけてようやく車はさとの家の傍まで到達した。だが辿りつく寸前で突然車が故障した。さとの家は山の上にあり、修理を呼ぶにも時間がかかることは確実だ。燈次は車を飛び出し、自分の足で走ることにした。  雪がちらちらと降り始めていた。地面にも雪が積もっており、歩くたびに足首までが埋まった。慌てて出てきたため、彼はパジャマに薄い上着を羽織っただけだった。頭がぼうっとする。足元がおぼつかない。それでも彼は歩いた。視界にちらつく光は苦しみが見せる幻影か。それとも美しいダイヤモンド・ダストだろうか。  さとの家が見えた。外にいる燈次にも内部の活気が伝わってくる。宴会でもやっているのだろうか。彼はインターフォンも鳴らさず玄関を開けた。鍵はかかっていなかった。彼は靴を履いたまま、挨拶もせずに上がりこんだ。  リビングにいたのは5人。老人3人とさとの両親らしきふたりだ。みながぎょっとした目で燈次を見る。彼らの視線を無視し、燈次は素早く目を走らせてさとを探す。リビングの最奥部の台所にさとがいた。入江家で見るメイド姿とは違い、トレーナーにジーパンというラフな格好だった。さとは人の気配にゆっくりと顔を上げ、燈次を見つけて目をぱちぱちさせた。 「何をしている、阿保垂れ!」  燈次はさとに向けて叫んだ。そして大股歩きでさとの目の前まで歩いた。さとの肩を掴み、ぐっと引いた。さとは動かない。燈次のことを不思議そうに眺めている。 「燈次さま、どうしてここに?」 「それは俺のセリフだ。勝手に解雇されたと思って、黙って帰りおって」 「ほえ?」  燈次はもう一度さとの肩を引き寄せようとする。しかしさとは漬物石みたいに動かない。  燈次はさとがもう二度と自分のところへ戻ってこないのだと確信した。憂鬱が彼を苛んだ。 「なあ、さと」  燈次は弱々しい声でさとを呼んだ。 「俺が悪かった。お前にまで見捨てられたら俺はもう立ち直れない。俺にはお前が必要なんだ。さと」  彼は身体から力が抜けていくのを感じた。燈次はさとの前で膝をつく。気づくと彼はさとの足にしがみつくポーズになっていた。ひどく情けない姿だった。 「あの、燈次さま。解雇とは何の話ですか」  さとは恐る恐るというふうに言った。 「さとは俺に辞めろと言われたと勘違いして、こうして実家に帰ってきたんじゃないのか」 「違いますよ、今日は父の誕生日をお祝いするのに来たんです。1ヶ月ほど前に燈次さまがおっしゃったじゃないですか。『たまには帰ってお祝いしてやれ』と」  燈次は記憶の糸を辿る。たしかにそんなことを言った気がする。ひどい早とちりの中にいることに、彼はようやく気がついた。 「じゃ、じゃあ、明日には俺のところに帰ってくるのか?」 「当然です」 「明日も明後日も、俺の傍にいてくれるか?」 「明々後日も、その次も、さらにその次の日もです」  燈次は喜びに心臓を震わせた。緊張が解かれ、一気に安堵が湧きあがる。彼はさらに力をなくし、仰向けの状態で床に倒れこんでしまった。熱がぶり返したのだろうか、頭がふわふわする。自分の真上にある蛍光灯が、ふたつにもみっつにも増殖して見える。彼はぽつりと呟いた。 「何だ、俺の詩も間違っていないじゃないか」 「え?」 「俺がお前に渡した詩で、月がふたつもみっつもあるように見えるのはわざとだ。恋に狂わされた主人公が、目眩を起こしているさまを描いたのだ」  得意げにほらを吹いて、彼はふっと意識を失った。  彼はせっかく金持ちなのに、内側はどうしようもない男である。彼は訳あり品である。ジャンク品である。だがジャンク品にもジャンク品なりの魅力がある。さとがそれに気づいたら、彼もようやく幸せな恋を掴めるのかもしれない。  いや、案外すでにさとは彼の魅力に気づいているのかもしれない。彼女は今、潤んだ瞳で燈次を優しく見つめている。
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