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突然の転移
きっとこれは、仮病で家族を困らせた罰だと思った。
「……どこ、ここ」
外から響く騒がしさに寝間着のまま1階に降りると、見知らぬ光景と不思議な服を着た人々が、実家の前に列をなしていた。
私は祥子。理容師を目指す高校生。
住んでいる家は3代続く理容師一家で、2階が自宅、1階部分が店舗の家に暮らしている。
店のガラス窓から見える景色は、どう見てもいつもと違う。
砂色のレンガと青色のガラスを交互に組み合わせた市松模様の壁を持つ、真四角の建物が続いている。店の外に居る人々は頭に3本の角が生えた色とりどりの髪色をしていて、日本人はおろか、地球人でもなさそうだ。
恐る恐るドアを開けると、角をはやした人々がピタッと黙る。風の音さえ聞こえないほどの静寂。
「……こ、こんにちは」
私は何とか声を絞り出した。ワッ、と人々が歓声をあげる。
「おーい! やっぱりそうだ、異世界人だ!」
「あなた、ハサミを看板につけているけど、何の職業なの?」
「ニホンからよね、きっと!」
方々からとびかかってくる声は、大阪のおばちゃんみたいに元気で、沖縄のおじいちゃんおばあちゃんみたいな明るさがあった。
なんだ。何が起きたんだ。
目が点になっているうちに、私はあれよあれよという間に、それは立派な『神殿』に連れていかれた。街並みと同じように砂色のレンガと青色のガラスで彩られている、神社に似た御殿のようなところだ。
「ようこそおいでくださった、ニホンからの渡り人」
優しく言うのは、黒髪に青い目をした十歳くらいの少女。
一定間隔で色が変わる服を身にまとっていて、不思議とその服が良く似合う。
「あの、えっと、ここは、どこでしょうか」
上下が灰色のスウェットの私は、小さくなりながら尋ねる。寝ぐせでぐちゃぐちゃの頭で、こんなところにいてよいわけがないと流石に分かった。
「ここはアゼリ國。あなた方の言い方で言えば、そうだな……異世界だ」
「い、異世界?」
「ほら、聞いたことはないか。ダイスケ殿が仰っていたが……異世界転生モノだったか」
えっ、まさか。
私も、そうなってしまった、ということ?
「ちょ、ちょっと待ってください。なんで? どうして?」
「うーむ……たとえば、そなたの世界で何か物を落とした時、大抵は地面に落ちるだろう」
「は、はい」
「我々の世界ではその『物を落とせば地面に落ちる』と同じように、異世界から来る人間が、一定の周期で入れ替わるのだ」
口が開いたまま塞がらなくなった。
「えっと、その。私は、いや。異世界からの人間はどうして現れるんですか」
「だから言っただろう。物が地面に落ちると同じくらい、この世界では当然の話なのだと」
「……理由はあるけれど、説明を聞いて理解するには、凄い知識がいるってことで合っていますか?」
「そのとおり!」
すんごいお菓子とご飯を並べられ、勧められるがままに食べ、あれこれと説明される。
なんでも私の前任者は、ダイスケという名前の『訪問看護師』さんだったらしい。訪問看護用の車と一緒にアゼリ國へ来て、たくさんの人を助ける技術を教えてくれたと、巫女様は語った。
そして今日。私の実家兼店は、異世界からの人間が現れる場所へ、ダイスケさんと入れ替わりで現れたそうだ。
どうしよう。
今日はお母さんもお父さんもおじいちゃんも、家から離れた老人ホームに福祉ボランティアで髪切りに行ったのに。
家には私1人だけ。
もし帰ってきて、お母さんたちが『家がない!』って慌ててたら……。
疑問と混乱で、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
それでも、なんとか。もうしばらくは異世界で過ごすしかないと理解した。
入れ替わりの時期は人によってまちまちで『当人が納得できるタイミング』。元の世界へ戻ると『その瞬間から時間が再び動き出す』らしい。
信じがたいくらいに都合が良いけれど『この世界では重力と同じ』くらいに、当然の話だと巫女様に言われた。
店へ返された私は、店内を見回す。
「……ここは、何にも変わらないのに、どうしてこうなっちゃったんだろう」
理容師だったおじいちゃんに憧れ、同じ道を歩んだお父さんが、やっと構えた新店舗。
私みたいな『予定外の子ども』がやってきて、それでも歯を食いしばって建てた店。
ひとまず上下のスウェットを脱いでシャワーを浴び、髪を整えて服を着る。
あの少女……巫女様曰く、異世界へ来た異世界のものは、こちらへ来た当時の姿でいつも元通りに戻るみたい。だからお店の電気や水道、ガスなんかも使えるそうだ。
たとえば、店内に並べたシャンプーや髪染め、タオルなんかも、たとえ使い切ったとしても明日になれば元に戻るとか。
いまだに信じられない心地で、だけどひとまず着替えようと、店の2階にある自室で服を着替える。
ソファに座り込むと、緊張していたせいだろうか。うつら、うつら、と眠気が来る。
やがて、私は夢を見た。
『せっかくデートだったのに……前髪だけでも、どうにかできませんか』
「申し訳ございません。家族が風邪をひいてしまって。このご時世ですので」
『そう、ですか。そうですよね……ごめんなさい』
飛び起きると、窓の空は眩いばかりの星に覆われていた。
どのくらいかは分からないけど、時間が経っているみたい。
夢に見たのは、お父さんと常連さんの会話だ。
電話をくださったのは、久美子さんという女性のお客さん。海外赴任に行っていた旦那さんが帰国すると、少し前に聞いていた。
私が風邪を引いたばかりに、彼女に理想の姿を諦めさせてしまった。
私が。養女の私が、風邪を引いたばっかりに。
「私が納得するタイミングで元に戻る? でも、何に納得したら……」
やっぱりわからない。
私はご飯も食べずに、寝てしまった。
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