絶えた技術

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絶えた技術

 異世界の国、アゼリ國へ来てから10日。  朝日が来るのと同じ感覚で、こちらでは月に似た星が空を埋め尽くすと知った。  店のマネキンでカット練習を何度しても、次の日になれば髪の毛がすっかり元に戻ると知った。私は他にすることもないので、とにかく、毎日のようにカットの練習を重ねていく。  2階の自宅キッチンから漂う良い香りに、集中力が切れた。 「ショウコ様。食事ができましたよ」  階段を降りてきたのは、腰の下まで伸びた銀色の髪を、輪をいくつも作るように結い上げた髪型が特徴的な、身長170センチほどの男性だ。 「すみません、クヌーさん。……巫女様によろしくお伝えください」 「いえいえ」 アゼリ國へ来て2日目。巫女様は私に「ぜひとも傍仕えを」と言ってきた。 1人でも、それなりに身の回りのことはできる。最初は断っていたけど、連日の訪問が7日目を過ぎたころに、彼らの善意にあらがえなくなって受け入れてしまった。  そしてやってきた使用人兼料理人が、クヌーさん。巫女様の食事も手掛ける、とても偉い料理人らしい。  アゼリ國に暮らす人々は、男女の違いは子供を産めるかどうかだけで、体力や筋力が変わらないから、誰がどう仕えるかなんて気にしないんだって。 だから最初『男性!?』とびっくりした私に対し、向こうは『そう言えばニホンでは……』と慌てていた。 「うわぁ、美味しそう!」 彼が作ってくれるのは、味噌汁に似た味の汁物と、パンに似た主食。それから肉類と野菜。今までの異世界人から教えてもらった料理を中心にしているという。  手料理を食べているせいか、私はクヌーさんに多少なりとも、親しみを抱きつつあった。 「……あの、クヌーさん」 「はい、なんでしょうか」 「気になっていたんですけど。その髪の編み上げというか、髪型はどうやっているんですか?」  キラッ、とクヌーさんが目を輝かせる。  アゼリ國の人は。ちょうど光を受けた宝石みたいに、文字通り目が輝く。ダイスケさんも、同じことに驚いていたらしい。 「これは天然のビーマーゼーという繊維を編み込んで、髪に芯を作って結い上げるのです。結婚をしたものだけが許されます」 「へぇ……繊維を芯に」 「ショウコ様は、髪を切るお仕事をなさっていたそうで」 「い、いえ。私はまだ、見習いの身です」  クヌーさんは私の前にかしこまった様子で膝をついた。慌てて私は席を勧める。食事を作ってくれる人に、床に座っていてほしくなかった。  何とか椅子に座ってくれた彼が、すみません、と小さくなりながら言う。 「ショウコ様は巫女様から、アゼリ國の人間が髪を伸ばす理由をお聞きになりましたか?」  私は首を横に振る。 確かにこの10日、2階の窓から道行く人々を観察していると、クヌーさんのように大人になっていると思しき人ほど、髪が長い。だけど「文化の違いかな、だって異世界だし」と考えて、聞いてこなかった。 「わたくしたちの国、アゼリ國では、戦争に行った夫や妻の帰りを待つ片割れは、無事を祈って髪を伸ばすと言う風習がございます」 「……じゃあ、クヌーさんは、戦争に行った相手のために」  こくり、と彼が頷いた。何とも言えない気持ちになる。  日本にいた時も、戦争の話はニュースで聞いた。それこそ、毎日のように。  だけど……本当に真に迫って実感があるかと言うと、違う。 「わたくし共が直面する今の戦争が起きたのは、ショウコ様たちの年月の数え方で言えば、およそ2,000年前のことでした」  途方もない年月だった。  クヌーさんは優しく目を瞬かせて、私に語る。 「長く続く戦争の末……わたくしの曽祖父、そのもっと前の代から、戦地へ赴く家族のため、願掛けとして無事を祈り、髪を伸ばすようになりました。しかし……10日前。ちょうど、ショウコ様がこちらへ来た折に、髪を伸ばす必要がなくなったのです」  それって……。 問いかける言葉も、応える言葉も、見つからなかった。家族の無事を祈るために伸ばすなら、髪を伸ばさなくてよくなるというのは、その。 どのような形であれ、相手が帰ってくる、ということだろう。  良かったですね、とも、そうですか、とも言えず、私はただ彼の話の続きを待っていた。 「しかし……あまりにも長い間、髪を切らないようにしてきたがゆえの弊害がありまして……誰も、髪を切る技を覚えていないのです」 「うん、と? どういう意味ですか?」 「不思議でしょうね。このように編み上げる技術はあるものの、髪を切って整えるということが誰もどうもうまくできないのです。願掛けの必要がなくなっても、髪を伸ばしたほうがよいと判断する人も多い始末です」  アゼリ國以外ならともかく、少なくとも。今、この国に、美容師や理容師に当たる人はいないのだそうだ。  なんとなく、久美子さんのことが思い出された。  旦那さんとのデートに、前髪だけでも切りそろえたかった久美子さん。お店に来るたびに、旦那さんのことを話していた久美子さん。  もしも……もしも、誰かを迎えるのなら、無事に帰ることを願っていたなら……。  できれば、綺麗な姿。嬉しそうな姿。素敵な笑顔で、迎えたいと思うだろう。
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