大仕事

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大仕事

 クヌーさんの髪を切るのは、本当に大仕事だった。  繊維が中に編み込まれているというので、まずはその繊維をほぐして取り出すところから始める。日本で言えば、ご祝儀袋とかに使う水引みたいな紐に、髪がくるくると巻き付けてあるようだ。  取り除いたら髪を濡らす。いつも通りにシャンプー台が使えて、本当に良かった。  クヌーさんは目鼻立ちがはっきりしていて、3本ある角のバランスが均等。例えるなら、若手だけど渋い声の俳優さんって感じ?  どんな髪型が、クヌーさんには似合うだろう。 カットのために白いケープを付けてもらい、私は呼吸を整える。そして、いつもお父さんたちがお客さんの生活を知るために話しかけるのを思い出して、こう声をかけた。 「……クヌーさんの奥さんって、どんな方なんですか?」  聞いてから一瞬、しまった、と思った。もしかしたら、奥さんじゃなくて旦那さんだったかも。クヌーさんはにこやかに『ダイスケ様も同じことを気にされましたね』と笑う。 「わたくしの妻は、とても強い女性です。家族全員が兵士となった家でして……私とは幼馴染だったのですよ」 「……奥さんが戦争に行くの、嫌でしたか?」 「ええ。嫌でした。ずっと続いていること、先祖たちがそうして今の暮らしを守ってくれているとはいえ、嫌でした。結婚の時にもはっきり伝えましたが、任期が決まっているからと押し切られましたよ」 「……じゃあ、結婚したのって、なんでですか? 夫婦になったのは?」  クヌーさんは、一瞬黙った。  少し考えてから、鏡の中から私を見つめる。 「一言で言うなら……絶対に我が家に帰ってくると、そう信じられたからでしょうか」 「信じられたから、っていうのは?」 「夫婦になるとは、結婚とは、あくまでも契約の形の1つです。番となった形を示す、言葉の1つに過ぎないのです。相手を愛しているから、というだけでなく、相手を信頼できると思ったからこそ、わたくしは彼女と夫婦になりました」  クヌーさんの髪を整えながら、私は彼の返事に妙に胸の奥が温かくなるのを感じる。気が付けば、私は自分の産まれを話していた。 「私。元、捨て子なんです。両親の、本当の娘じゃないんです」 「養女ということですか?」 「ええ。だからこそ、家の人が全員理容師だと理解して以来、髪を切る仕事を目指しました」 「……それは」 「夫婦になるって、家族じゃない人が家族になりますよね? 養女も、似てるかなって」 「そうですね……ショウコ様が言うように、家族ではない人間が家族となりますね。手続きを経て、家族という枠組みに、制度上は入ることになる」 「……私は両親やおじいちゃんたちが好きです。家族として一緒に生きていきたい。だけど不安にも思いました。私は家族の邪魔になっていないかって。こっちに来る前も、私が風邪を引いたせいで、両親にお客様たちからの依頼を断らせちゃったんです」  前髪をだけでもと言った、久美子さん。  帰りを待って髪を伸ばしてきた、クヌーさん。 奥さんのために、旦那さんのために。信頼する、夫婦と言う形を一緒に選んだ相手のために。そんな 私は迷いを断ち切ることにした。自分の意思で、人の髪を切るって。 「でも今、私はクヌーさんの後ろに、こうして立てて、誇りに思います。戦争は知らないし、分からないし、異世界人だし……だけど、だけど。クヌーさんが、奥さんに、胸を張って会える姿に、したい。頑張りたい。だから」  涙がにじみそうになる。ぐっ、とこらえて、私はクヌーさんに言う。 「お母さんとお父さんの子どもとして、頑張ります」 髪を切る。本物の髪。クヌーさんが、奥さんのために伸ばした髪。 私は、それこそ5時間近くかけて、何とか、クヌーさんをショートヘアにまで持って行った。 「すごい……!」  目を潤ませて言うクヌーさんは、本当に嬉しそうだった。すっかり涼しくなっただろう首周りを触っては、ニコニコ、ニコニコ、笑みを絶やさない。  あまりにもホッとして、私はその場に座り込む。 「ありがとうございます。ショウコ様!」 「いや。私こそ、こんなに付き合ってもらっちゃって」 「いいえ! 何を支払えばいいでしょう? こんなにきれいに切っていただけて」 「……あの、たとえばなんですけど。これを商売にしたら俺、クヌーさんにお金って支払えますか?」 「有り余るくらいに支払えると思いますよ? というか、わたくし、いくらの値を付ければよいかわかりません。あのように繊細に髪を切り、湯で洗う術を知るのは、少なくともわが国ではショウコ様だけなのです!」  私はクヌーさんに言われるがまま、多くの人の髪を切ることになった。  お父さんとお母さんに会った時のため、と最初は自分を奮い立たせた。だけどだんだんと、お互いの再会を楽しみにする夫婦の為だと思って髪を切るようになった。    そして、ついに。  戦地へ赴いた人たちが、帰ってくる日がやってきた。
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