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 昼食は座敷の鍋の店だった。三が日でも営業しているらしいこのお店は、先生がよく利用する店なのだそうだ。昔の日本家屋といった趣のある外見と裏腹に、内装は比較的モダンであったが、随所に和を彷彿させる装飾があり、座敷の畳もお店の雰囲気とマッチしていた。一通り鍋の説明を店員から受けると、カチっという音と共にガスコンロに火がつけられ、その数分後には目の前の鍋から湯気が上がり始めた。湯気に運ばれてくる出汁の匂いが、空腹を刺激する。  隣に座る女性が美味しそうと声を上げ、その正面に座る友人と思しき女性が相槌を打っていた。僕らは全部で12人いて、6人ずつが向かい合う形で座っている。先生はその一番端に座り、僕はあえて先生の正面に座っていた。 「火も通ったみたいだし、食べましょうか」  先生の一言を発端とし、それぞれに思い思いの具材を取り皿に入れていく。隣の女性が使い終わった取り分け用のお箸を手に取り、僕は白菜とえのきを自分のお皿に入れた。使い終わった取り分け用のお箸を、斜め前の女性(つまりは先生の隣の女性)が手に取った。逆の手に先生の取り皿が持たれているのを目にして、しまったと思うと同時に、思わず隣の女性を見る。同じことを思ったのか、苦笑いした彼女と目が合ってしまった。僕らはほんの少し見つめあったあと、お互いのお皿に目を移すのであった。「まあ、食べましょうか」「そうですね」そんな見えない会話がそこにはあった。  4人で1つの鍋を食べていたので、自然と会話は4人グループの形に落ち着いた。先生と隣に座る2人の女性の会話から察するに、僕の隣の女性は工藤 楓という名前で、先生の隣に座る女性は柳 胡桃という名前のようだ。名前を聞いても思い出せないことを申し訳なく思う。会話がひと段落したタイミングを見計らって、僕は口を開いた。 「先生、少しお聞きしたいことがあるんですがいいですか?」  楓と胡桃もこちらを見ているのが気配で伝わった。 「どうしたの?」と先生。  僕は自分の鞄から、今日校庭で先生から渡された封筒を取り出し、机の開いているスペースに置いた。   「10年後の自分にあてたこの手紙なんですが、僕の手紙、どうやらすり替えられているみたいなんです。先生に心当たりはありませんか?」  先生は小首をかしげたまま、こちらを見ている。事実、封筒には僕の名前が書かれているのだから、訝しく思うのも当然だろう。その目は更なる説明を求めていた。 「これを見てほしいんです」  封筒を開き、中身を隣に並べる。そこには、見間違いではなかったと僕に主張するように、先ほど見た景色のまま「今日も遅刻したね、楽しかったよ」と書かれていた。  その時、「あ」という声が隣から聞こえ、思わず声の主を見る。 「ううん、ごめんなさい。驚いちゃって……」  楓はそう言った後、少し手に取っていいかを僕に尋ねた。断る理由もなく僕は首肯した。伸ばされた手はそっと手紙をつかむと、目前にそれを運ぶ。楓は微笑をもって、手紙を眺めていた。確かに興味をそそられる謎ではある。   「つまり、これはあなたが書いたものじゃないってことなのよね?」  楓の問いに僕は首を縦に振る。 「手紙を見てから気が付いたんだけど、この封筒に書かれている字も、よく見たら僕の筆跡とは異なるように思う。目的は分からないけど、誰かが僕の本物の封筒を、この偽物の封筒とすり替えたみたいなんだ」  僕は再び先生に顔を向けた。 「すり替えるとしたら今日だと思うんです。手紙を保管していた先生なら、もしかしたら何か知っているかもしれないと思って」  先生は一言「そういうことね」というと、目線を左上に向けた。    「うーん……、ちょっと思い当たらないな。今日はずっと鞄の中だったし、私はずっと鞄を背負っていたから、気づかれずにすり替えるのも難しいと思う」 「そうですか……」  一縷の望みをかけてはいたが、やはり先生にも心当たりはなさそうだ。こうなると、正直僕にはさっぱりだった。しばしの沈黙、おそらく三人も思慮を巡らせているのだろう。 「でも、あれだね」    沈黙を破ったのは楓だった。   「今日も遅刻したねって予言みたいでちょっと不気味だね」  目線から察するに、それは胡桃に向けられて発せられた言葉のようだった。胡桃は少し間を置いてから「そうだね」と答えた。  胡桃は少し考えた様子で、楓を見、僕を見、そして最後に先生を見る。どこか知的さを滲ませるその目に、僕の心臓は僅かに波打った。 「私も先生に質問していいですか?」 「なにかな?」と先生。 「今日じゃなくても、10年前の開封式から今日までの間で、手紙をすり替えられる機会ってなかったですか?」  先生は「そうね」と言いながら虚空(こくう)を見つめている。少しの思案のあと、胡桃の方へ視線を戻し、口を開いた。 「開封式に来れなかった人の手紙は私の家で保管していたの。特に外に出すこともなかったから、空き巣にでも入らない限り難しいと思うわ」 「そうですか……」  胡桃は再び思案を始めた様子だった。  手紙の文面から考えるに、すり替えたのは今日だと僕は予想していた。けれど、胡桃の言うようにもっと前にすり替えられた可能性だって当然あるのだ。僕はそのことについて胡桃に聞いてみたくなった。 「『今日も遅刻したね』ってどういうことだと思う?僕はそのままの意味、つまりは今日遅刻したことを言ってるんだと思っていたんだけど、今の柳さんの話だと、それこそ予言めいたものになってしまうと思うんだ」  胡桃はまだ思案している様子で答える。 「そう、私も最初はそう思った……」  続く言葉を待っていたが、胡桃はそのまま黙ってしまった。僕は耐えかねて、先生に質問を重ねる。 「10年前の開封式ってどんな形で手紙を渡したんですか?」  もし過去に手紙をすり替えるとしたら、そのタイミングしかないと思ったからだ。 「あなた達の手紙って何重にも袋に入れたの覚えてる?」  先生は「ほらほらこんな感じ」と言って、10年前に取ったという開封式の時の写真を鞄から出し、見せてくれた。 「確か土の腐食を防ぐためでしたよね」 「そう。それでも大分劣化しちゃったけどね。開封式の日は、袋を開けたその場で大きめの箱に手紙を移して、それから各々に自分の手紙を探してもらったわ」  その時の様子を写した写真も見せてくれた。A1サイズほどもある底の浅い箱に、40枚ほどの封筒が入っており、10人ほどが箱の周りを囲んでいた。 「その時なら手紙をすり替えることは可能だと思いますか?」  僕の問いに「なるほど!」と言ったのは楓だった。 「つまりAさんは、自分の手紙と一緒に渡辺君の手紙も取って、代わりにこの手紙を置いてきた。そういうことね」 「Aさん?」   「その方が分かりやすいでしょ?」と楓。  少し得意げな顔をしていることに、ほんの少しの腹立たしさを感じたが、楓の言っていることは僕の言いたかったことと一致していた。 「どう思いますか、先生。当時の状況的には出来そうですか?」  先生は軽くうなずいて答える。 「出来ると思うわ。でも」  そこで言葉を区切ると、首を横に振った。 「どうしてですか?」  正直これしかないと思っていただけに、あっさり否定されたことに少し面食らってしまう。 「この封筒を見て」  そう言って、先生は1枚の封筒を、僕の封筒の横に並べる。そこには「10年後の自分へ 藤沢 薫」と書かれていた。先生も自分への手紙を書いていたことに少し驚いたが、言わんとしていることがわからず、僕は先生を見た。 「同じでしょ」という先生。  そうか、僕はそこで気が付いた。確かに同じだ。この二つの封筒は同じだけ著しく劣化していた。それは両者が同じようにタイムカプセルの中に眠っていたことを意味する。つまり先生はこう言いたいのだ、10年前に入れ替えたのではこうはならないと。  しかしということは……、僕は考えを巡らせる。Aさんが封筒を入れ替えたのは、必然的にタイムカプセルに封筒を入れたその時ということになる。だが、当時を振り返ってみてもそれは不可能だったように思う。手紙は一人ずつ皆の見ている前で袋の中に入れていったのだから。封筒をすり替えてる人がいればさすがにわかるはずだった。 「わかった!」  悩む僕に向けて楓が言った。 「きっとAさんは、タイムカプセルを掘り起こして入れ替えたのよ」  またも少し得意げな顔をしている楓の顔を、僕は唖然として見つめた。 「それは違うと思うよ」  僕は続ける。 「手紙の内容は『今日も遅刻したね、楽しかったよ』たったこれだけ。そこにどんな意味があるのかは、受け取った僕ですらわからない」  楓は、それがどうかしたの?とでも言いたげな顔で僕を見つめていた。 「工藤さんも埋めるところを見ていたからわかると思うんだ。きっとタイムカプセルを掘り起こすっていうのは、とんでもない労力を必要とする。一人でするのならなおさらだ。この手紙の内容とあまりにも釣り合わない」 「手紙の内容……」  言い終わるか否か、胡桃の声が耳に届いた。声のままに胡桃を見やると、こちらを見ている視線と交差する。胡桃は、ゆっくりと楓と先生にも顔を向けると、落ち着いた声で言った。 「私の考えを聞いてくれますか?」
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