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その日、日が暮れて公園の人影がまばらになった頃、小夜はマンションの自室を出て公園に行った。
清掃を終えたばかりの地面に散り残っていた葉が舞い落ちて、行き場に迷っていた。
小夜はいちょうの雄株の幹を軽くポンポンと叩いて、自分の意思を伝えた。
そして手にした清酒と塩を伐採された雌株があった場所に撒いて、手を合わせた。
どうか安らかに昇天しますように。
部屋に戻った小夜は和室に置かれた仏壇の前に座り、そこにいちょうの葉を置いて、帰りに買った花を供えて線香を上げた。
仏壇の上には位牌があり、そこには透の戒名が記されていた。
そう、小夜の夫、透は、今年の4月、桜が散るころ交通事故で急死したのだった。
結婚してわずか1年。これから幸せな家庭を築いていく予定だった。
突然断たれた透の未来は、小夜の未来でもあった。
小夜は透の死を受け入れることができず、仕事に没頭して心身をすり減らすことで事実との対峙を避けた。
おそらく透の魂も同様に、自らの死を認められずにさまよい、いちょうの木に憑依したのだろう。
そして連れ合いを亡くしたいちょうの木の悲しみを知り、夜中に葉擦れの音で小夜の部屋に入り込んだ。
時の最果ての空白地帯で、かろうじて姿かたちを得ることができた透は、小夜とはかない逢瀬をした。
小夜にはわかっていた。透の死を受け入れられなくても、その死が現実だということに逆らうすべはなく、従って夜の空白地帯で会った透は幻に過ぎないことを。
透が教えてくれたのだ。妻を失ったいちょうの木の悲しみを。
だからいちょうの木を供養することは、透の魂を慰め、救うことになる。
それが最善の途なのだと、小夜は自分に言い聞かせた。
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