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「離婚して下さい」
三姉妹の末っ子が成人を迎えた年に、妻が離婚届をテーブルに置いた。控えめな性格の妻には珍しく、それは意志のこもった強い口調だった。
私は突然のことに動揺して言葉が出ず、逡巡の後にようやく音になった声は、無様なほどに掠れていたと思う。
「き、急に……どう、してだ?」
「急じゃないわ」
「え?」
こちらの動揺に比べ、妻の心は固まっているようで、一欠片の迷いもない声をしている。こんな風に凛とした強さで話す妻を見たのは、長い結婚生活の中で初めてのような気がした。
私が彼女と出会ったのは、二十七歳の頃。当時の上司から、親戚の娘さんを紹介されたのだ。彼女は二つ歳上の二十九歳で、失礼ながら歳上は私の趣味ではないなと、そんな事を考えていた。
しかし会ってみると、彼女はとても控えめで上品な女性だった。一番感銘を受けた映画が一致しており、初対面にも関わらず私たちの会話はとても弾んだ。互いのコーヒーが空になっているのにも気付かず、映画の話に二人で没頭するほど……。
そして彼女を自宅まで送った別れ際に、彼女は申し訳なさそうにこう言ったのだ。
「今日は、叔父さんに言われて仕方なく来たのでしょう? ごめんなさい。私もいつも、こういう事はやめてって叔父さんに言ってるんですけど……。『もう行き遅れの年齢なんだから積極的に行動しろ』と、古い考えばかり押し付けられて、正直ずっとうんざりしていたんです」
彼女がそっと私から視線をそらす。
「でも……今日は……、とても楽しかったです。あなたには、ご迷惑だったかもしれませんが」
少し恥じらいながら笑った横顔に、私はその時、惚れたのだと思う。
それからは結婚までとんとん拍子に事が進み、しばらくして私達は子供を授かった。それと同じタイミングで私の管理職昇進が決まり、同期の中でも一番乗りだった事から、私は子育てを彼女に任せ、仕事に没頭するようになっていた。
振り返ればもうずっと、家のことを何もしてこなかったように思う。
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