八号棟の手紙のキセキ

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―――――――――――――――― 西村清司さま  拝啓  お手紙がおそくなってすみません。清司さんからもらった最後の手紙で、いろんなことに気がつきました。清司さんが、ぼくの手紙をよんで、手紙にかいてないことまでわかってしまう気持ちが、ぼくも少しわかったような気がします。  清司さんはきっと、最後の力で、あの手紙をかいてくれたんだと思います。手紙はこの先もだいじにとっておきます。  6年生になったら、ぼくはまた放送委員にりっこうほします。放送委員がもしできなくても、ほかの委員会でもがんばります。それから、もしこの先、少しふつうじゃない子と会ったら、ぼくはなるべく助けてあげたいです。  清司さん、今までありがとうございました。  敬具 矢崎比呂 ―――――――――――――――― 「昨日は寒かったのに、今日はあったかいわねえ。コートいらないくらいだわ」  団地の階段を下りながら母さんは笑い、厚手の長いカーディガンの袖を腕まくりした。ぼくも、セーターだとちょっと暑いくらい。  おどり場から見える五号棟の向こうは、青空がひろがっている。3月に入ると、気まぐれみたいに、寒い日と暖かい日が交互にやってきていた。  1階まで下りると、階段の近くには白い車がうしろのトランクを開けたまま停めてあった。これは貴之さんの車。清司さんのお葬式が終わってから毎週、貴之さんは週末に車で8号棟にやってきていた。 「あ、大友君」 「比呂、おっせーじゃん」  美乃梨と奏多がすでに来ていた。貴之さんに頼まれて、ぼくが呼んだのだった。 「見て、お菓子もらっちゃったの」  ふたりはうれしそうに、お菓子の入った紙袋を見せた。  ちょうど、貴之さんが1階の廊下からダンボール箱をひとつ抱えて出てきた。 「矢崎さん、比呂君。お呼び立てしてすみません」  週末だからか、貴之さんもニットにジーンズだった。  うしろのトランクにダンボールを入れて閉めると、助手席から取り出した紙袋を持ってきた。 「片づけは落ちつきました?」 「ええ。今日で最後です」  母さんの言葉に、貴之さんはうなずいた。 「父のことで本当にお世話になりました。どうしてもごあいさつしたくて」  深々と、貴之さんはぼくと母さんに頭を下げると、紙袋をぼくに差し出した。 「比呂君。本当にありがとうね。きみは父さんの大切な友人だよ。奏多君と美乃梨ちゃんにもお礼ができてよかったよ」  奏多と美乃梨も、ちょっと照れたように笑った。  茉莉子さんは、お葬式の日に貴之さんにかえした。人形を修復してくれるお店を母さんがインターネットで探してくれたけど、貴之さんはそれを断ったのだった。 (たぶん、父はそれを望まないと思うんです。むしろ、そのままの彼女を受け入れるべきと言うのではないかと)  そんなふうに貴之さんは言っていた。貴之さんは茉莉子さんを、清司さんが眠る場所へつれていくと約束してくれた。  そして、ぼくが清司さんへ書いた最後の手紙は、棺に入れてもらった。  封筒のあて先は団地の住所ではなく、『天国』と書いたけど。 「あれ……お菓子のほかに、なにか入ってる?」 「ああ。それは比呂君が持っているべきだと思ってね」  紙袋の中にはお菓子の袋と、見覚えのあるレターセットの封筒が、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、全部で5つ。  ぼくが、清司さんに書いた手紙だった。 「すまないね。恐縮だけど中身を確認させてもらったよ。この手紙を読んで、ぼくは処分すべきじゃないと思ったんだ」  ええっ。貴之さん、手紙読んじゃった?  ちょっと気まずく思っていると、貴之さんは母さんに向き直り、やさしく言った。 「比呂君が父と真剣に向き合ってくれたやりとりがありました。そしてあなたを思いやる気持ちにあふれています。ぜひ、いつか読んでいただきたいです」  おどろいていた母さんの顔が、一瞬まるでなにかから解放されたみたいに晴れやかに見えた。けどすぐいつものからかうような顔つきで、ぼくを見下ろす。 「だって。比呂、読ませてくれる?」 「え、えーっ。やだよ。はずかしいよ」  すると、奏多と美乃梨もはやしたてた。 「おれも比呂が書いたやつ読みたい!」 「あたしもーっ!」 「だめ! ぜったい、やだ!」  そんなぼくたちを見て、大人ふたりはアハハと笑った。  別れを告げ、なんどもお礼を言って、貴之さんは車に乗り込んだ。  その車が団地の出口へと向かい、見えなくなるまで、ぼくたちは並んで見送っていた。 「なあ、比呂」  ぽつりと奏多が切り出す。 「清司さんってさ、本当におかしな人だったのかなあ」 「…………」  清司さんが救急車で運ばれたあの日。  茉莉子さんを探してケーキ屋さんに行った奏多は、女性の店員さんから聞いたという。  人形を連れたおじいさんがよく来るけど、エクレアを買っていったことはない、って。  茉莉子さんはエクレアが好き、と清司さんは言っていたけど。 「もしかして、おかしなふりをしていただけなのかも。比呂はどう思う?」 「さあ……」  ぼくは答えない。  ちらっと母さんを見たけど、母さんも知らんぷりしている。  私はどこもおかしくないよ、と清司さんは言っていた。  おかしな人は、自分がおかしいと思わないものだ、と貴之さんは言っていた。  母さんはいつも大人の解釈をするけれど、ぼくにはやっぱり、なにが正解なのかはわからない。 「やめなよ。もういいじゃない」  美乃梨がつんとすました顔で言った。奏多はむっとする。 「なんだよ、名探偵。おまえがいちばん謎解きが好きなくせして」 「それならもういいの。あたし、清司さんの謎解きはやめたから」 「な、なんでだよ」 「ふふっ。初歩的なことだよ、田村君」  人差し指を立ててふると、名探偵・美乃梨はきどって言った。 「謎は謎のままのほうがステキなこともあるからよ」 《了》 **************************  いつもあとがきは入れないのですが、この作品に関しては、少しだけ。  今から30年以上昔、私がまだ幼少のころ。幼い娘さんを亡くして以来、いつもフランス人形を抱えて外を歩いている男性が近所にいました。  かなり前のことですし、私が直接その方と話した記憶はありません。しかしあくまでも当時の噂によれば「人形を娘さんだと思っている以外はいたって普通の人」。幼い私の目にすら、周囲の人が痛々しく思っていることは感じ取れたものでした。  その方をお見掛けすることは全くなくなり、その後どうされたのかもわかりません。しかしあるとき「もしも今、その方とお話しする機会があったとしたら、どのように接することが正解だろう?」と考えたことが、この作品を書くきっかけになりました。  最後までお読みくださった方々に心より感謝申し上げます。(あかね逢)
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