八号棟の手紙のキセキ

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 児童館から帰ってきてから、ぼくは清司さんに手紙の返事を書いた。 ―――――――――――――――― 西村清司さま  拝啓  お返事おそくなってごめんなさい。清司さんからのお手紙で、ぼくはずっと考えていたことがあります。  ぼくは、父さんと母さんとぼくの3人家族じゃなくなることがいやだったけど、言えなくてあきらめてしまいました。子どもの力じゃどうにもできないと思ったからです。  学校は、音読できないし、歌も歌えないし、先生も当ててくれないから、あきらめていました。でも、家族のことはどうにもできないかもしれないけど、学校のことは、まだあきらめたくないです。  敬具 矢崎比呂 ――――――――――――――――  迷ったすえに、ぼくはタカユキさんからの名刺を母さんに渡した。 「その、比呂がお手紙書いてる人のご家族の方?」  こくん、とうなずき、ぼくはふせんに書いた。 『さっきたまたま、外であったよ。ひとりぐらしでしんぱいだから、なにかあればれんらくくださいって』 「そうなの。ふうん……あら、大手の保険会社の管理職。すごい人ねえ」  名刺の表を見て母さんは感心した様子だった。ぼくにはむずかしそうな仕事、としかわからないけれど。わかったのは、タカユキさんの漢字は「貴之」と書くことくらい。  清司さんとのやりとりのことをなにか聞いてくるかと思ったけど、母さんはとくになにも言わなかった。  その次の日。  朝、学校に行く前に、1階にある郵便受けの前で足を止め、ぼくはゆうべ書いた手紙を清司さんの部屋の郵便受けに入れた。  外に出ると、空は真っ白。吐く息は白い。  いつものように登校班の集合場所へと向かうと、広場のそばのベンチに清司さんと茉莉子さんの姿があった。 「清司さーん、おはよーっ」 「おはようございまーす」  通りかかるほかの子たちも、清司さんにあいさつをしている。ぼくもベンチのそばでいったん足を止め、ぺこんとおじぎした。  清司さんは目を細め、トレードマークのひらべったい帽子をちょっと上げただけだった。  その日、2時間目の算数の授業中。ぼくは手を挙げようかどうしようか迷っていた。  教科書の問題を解いたあと、答え合わせの時間になる。 「5をもとにするとき、次の数の割合はいくつか。1番の答え、わかる人!」  文代先生の言葉に、はい、はいっ、とまわりの子たちが手を挙げる。  問題1番の数は4。4÷5だから、答えは0.8だ。 「はい、じゃあ村井君」 「0.8でーす」 「正解! じゃあ2番は――杉森さん。わかるかな」  みんな手を挙げ、先生が指していって、答え合わせは進んでいく。  最後の文章題になると、文代先生は教科書の問題を読みあげた。 「Aさんは12回くじを引いて、3回当たりが出ました。Bさんは10回くじをひいて2回当たりが出ました。当たりが多く出たのはAさんとBさんどっちかな?」  文代先生は黒板にチョークでAさん、Bさん、当たりの数、引いた数と表にし、それぞれのところに数字も書き込む。 「ちょっとむずかしいけど、わかる人いるかな? 前に出て黒板に式を書いてもらいます」  こういうとき、すぐに手を挙げる子はあんまりいない。  教室はみんなお互いの様子をうかがう。答えはわかるんだけど、前に出て黒板に書くのは注目されて、ちょっと気が引けるから。もしまちがえたら恥ずかしいし。  だけど。 (はいっ)  ぼくは思いきって手を挙げた。  え、とまわりの子がちらっとぼくを見る。文代先生も、ぼくが手をあげたことに気づいて、ちょっとおどろいた顔をした。  教室のみんながこっちを見たけど、ぼくは手を下ろさなかった。 「じゃあ、大友君。ここへ来て」  ぼくはうなずき、席を立って黒板へ向かった。文代先生に手渡されたチョークで、黒板に書きこんでいく。  Aさんは3÷12=0.25、Bさんは2÷10=0.2。 「はい、大友君。当たりが多く出たのはどちらの人?」  見守っていた文代先生がぼくに尋ねる。ぼくは黒板に書かれた『Aさん』の字を指差した。 「正解! よくできたね!」  先生が拍手をしたから、教室のみんなも拍手をした。なんだか照れくさくて、ぼくはすぐに席にもどった。    学校が終わると、ぼくは団地まで走って帰った。外は寒いのに、なんだか足が軽い。  8号棟の郵便受けをのぞいたけど、からっぽ。さすがに今朝出したばかりだから、まだ返事は届いてないってわかってるけど。それでも郵便受けをのぞくのは、もう習慣だ。 「おかえり、比呂」  3階に上がって家に入ると、ぼくはテーブルにあったふせんにペンで書きつけた。 『きょう算数で、まえに出てもんだいをといたよ。ふみよ先生とみんながはくしゅしてくれたよ』  それを見た母さんが目を丸くした。 「比呂が……手を挙げたの?」  こくん、とぼくはうなずく。 「……すごい! すごいね、比呂! やったじゃん! 母さんもすっごいうれしい!」  びっくりするくらい、母さんは喜んだ。どうやら大げさじゃなくて、本気みたいだ。なんとなく、わかる。  そうだ。国語の音読はできなくても、算数や理科、社会だって、自分から手を挙げて答えられる場面はある。  明日からもやろう。あきらめちゃだめだ。
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