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それから、ぼくは毎日、授業中になるべく手を挙げた。黒板に書いたり、ノートの字を見せたりして、文代先生に答えを伝えた。
各班のそうじ当番の時間以外も、教室や廊下のそうじをした。ぼくは美化委員だから、先生に言われるまえに、なるべくごみ拾いをした。
ある日の昼休み。
校舎内にもどってきたみんなが手を洗って教室へ入ったあと、ぼくは手洗い場の床をぞうきんでふいていた。
寒くても、教室に入る前は手を洗うのが学校のルール。ときどきふざけ合う子がいるから、水が廊下に飛び散ることが多い。
床をふき終えると、かたくしぼった雑巾を流しのふちにかけ、もう一度石けんで手を洗った。指先まで水がキーンと冷たくて、思わずギュッと目を閉じる。
「大友君」
洗った手をはらっていると、文代先生の声にぼくはふり返った。
「おそうじありがとうね。言われなくても率先してやってくれてるんだね。大友君はさすが美化委員さんだねえ」
はっきりほめられると、うれしいけどやっぱり照れくさい。
「手が冷えたでしょう。この季節は先生も、水ぶきは苦手なの」
やせがまんをしてもしょうがないから、ぼくは手をこすりながらうなずいた。
「今週ずっと、大友君は授業で手を挙げてくれてるね」
こくん、とうなずく。
「ごめん。先生ね、大友君が話せなくなってから、わざと当てないようにしてたの」
え?
おどろくぼくに、文代先生は申し訳なさそうに言った。
「大友君が話せなくて、いつも悲しそうだったから。授業中に当てたら、しゃべれないことをみんなに注目されて、もっといやな思いをさせちゃうんだと思ってたの」
「…………」
「でもね、大友君が授業中に手を挙げてくれて、先生すっごくうれしかったよ。それにさっき、職員室で青柳先生も褒めてくれたのよ。今年に入ってずっと音楽の授業中歌えずにうつむいていた大友君が、今日は声を出せなくてもみんなと同じように歌うまねをしてくれた、って」
もう一度、こくん。
「すごいね、大友君。よーし。五時間目の社会も、先生、大友君を当てるからね」
先生にうながされて、ぼくも教室へ入った。
いつもどおり席について教科書とノートを用意して、ぼくはちょっぴりわくわくしていた。
清司さんから手紙の返事がきたのは、最後にぼくが手紙を出してから一週間くらいたったときだった。
いつもどおり、朝はベンチのところで清司さんを見かけるけれど。最近の清司さんはぼくやみんながあいさつしても、帽子をちょっと上げるだけだ。
なんだか様子がおかしいなと思っていたら。
届いていた手紙も読んで、ぼくはあれっと思った。
――――――――――――――――
矢崎比呂さま
おてがみをありがとう。ひろくんの「あきらめたくない」ということばが胸にひびきました。世のなかには、少しだけ世間の「ふつう」からそれてしまう人は、少なくありません。私もまり子も同じです。ひろくんがあきらめずに人とかかわっていくことで、べつのだれかがすくわれることがありますよ。
西村清司
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なにかおかしいな。
「拝啓」と「敬具」がついていない。いつもの清司さんの手紙より、全体的にちょっと文章が短い。あんまり書くことがなかったのかな。
でもそれ以外にも、どこか違和感みたいなものがあった。なんだろう?
ぼくは机の引き出しを開け、これまで清司さんからもらった手紙の束を出した。それぞれ便せんを取り出して開き、今日の手紙と見比べてみる。それではっきりした。
今日の手紙、今までの清司さんの手紙よりも漢字が少ない。
いつも「比呂君」と書くのに「ひろくん」になっていたり、いつも「茉莉子」と書くのに「まり子」と書いていたり。
冒頭の「ありがとうございます」が今日は「ありがとう」になっている。清司さんはいつも子どものぼくにもていねいな言葉づかいで書いているから、やっぱり「ありがとう」だけだとちょっと変な感じがする。
それに、手紙の字が全体的に薄い気がした。
ぼくはいつも鉛筆だけど、清司さんの手紙はいつもペンで書かれていた。でも今回はペンで書かれている字がところどころかすれていたり、字がくずれていたりする。
清司さんは、ぼくの手紙の消しゴムのあとや字の強さで、手紙に書かれていないことまでわかってしまうのを思い出した。
ぼくも今、この手紙を見たら、なんとなく清司さんがいつもとちがう様子なのがわかる気がする。
もしかして。
清司さんは、ぼくと手紙のやりとりをするのがめんどうになっちゃったのかな。
学校で少しずつ、二学期までのときみたいに過ごせるようになってきた。それは清司さんの手紙を読んで、あきらめないって決めたから。清司さんのおかげだ。
でももし、次にぼくが手紙を出して、清司さんから返事がこなかったらどうしよう。
そうなったら、やだな……。
そんな不安を抱えていたぼくは、すぐに清司さんへの返事を書けずにいた。
手紙を書いたら、清司さんとの手紙のやりとりが終わってしまいそうで。
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