八号棟の手紙のキセキ

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 ダイニングテーブルに茉莉子さんを座らせると、ぼくは慣れない手つきで茉莉子さんの小さな帽子を外した。  救急箱から出したばんそうこうで、ケガの応急処置をしてみる。  茉莉子さんの顔は小さい。大きなばんそうこうひとつ貼っただけで、顔がうもれてしまった。  やっぱりばんそうこうをはがすと、今度は余っていた包帯を巻いてみる。  けど、茉莉子さんは髪が長い。ぼくが不器用に茉莉子さんの髪ごと顔に包帯を巻きつけると、茉莉子さんの髪はぐしゃぐしゃになった。ぼくがぐるぐる巻きつけた包帯で、灰色の瞳は片方かくれてしまっている。 「……茉莉子さん」  ため息がもれる。なにやってるんだろう、ぼく。  そんなことしたって、茉莉子さんのケガはなおらない。だって人形だから。その証拠に、ヒビが入ってるけど、茉莉子さんは血を流さない。  わかっているのに……どうしてぼくはこんなに必死になってるんだろう。 「ビスクドールは焼き物だから、割れちゃうこともあるのよね」  ホットミルクを入れたカップをぼくのそばに置くと、母さんは向かいのいすにすわった。 「ビスクドールって?」 「ああ、フランス人形にもいくつか種類があってね。この子みたいに、磁器でできたものがビスクドールなの」  片方だけのぞいている目で、茉莉子さんは悲しげにぼくを見つめている(……ように見える)。 「……母さん」  うん? と母さんはカフェオレの入ったカップ越しに、ぼくを見る。 「さっき母さんが言ってた、清司さんの願いってなんだろ。ぼくがふつうじゃない人を受け止めた、それが願いだったって」  カップをテーブルに置いて、母さんは肘をついて組んだ手にあごをのせた。 「それがなにかは、母さんにもわからないわ。ただ、清司さんは長いこと教師をしていたそうね。きっと大切な意味があるんだと思う」 「…………」 「これは母さんの想像でしかないけど。清司さんはきっと、ご自分がもう長くないって知ったから、その子をつれて歩くようになったんじゃないかしら」  母さんの言葉に、胸がぐっとくる。  もう長くない、が意味することは――  また茉莉子さんに目を向けると、茉莉子さんの瞳がさっきよりも優しく見える(……ような気がする)。 「母さんたち、いや、比呂たちみたいな若い世代の子に、最後に伝えたかったのかもしれないわ。ふつうという概念にとらわれずに、他者を受け入れること」  ふっと母さんは笑った。 「ごめん、ちょっとむずかしいわよね。比呂、今はまだ理解しなくていいと思う。さあ、それ飲んだら、歯みがきしてもう寝なさい。明日も学校よ」 「うん……」  ホットミルクを飲み終えると、ぼくは重い腰を上げて洗面所に向かった。歯みがきを終えて戻ると、茉莉子さんを抱っこして自分の部屋へ向かう。  ドアを開けたところで、母さんは明るく言った。 「明日、ケーキ買ってくる。比呂の声が戻ったお祝いしないとね。バレンタインだし、おっきなチョコケーキにしようか」  正直に言って、清司さんのことを考えたら、今はお祝いムードになれない。  けれど。母さんは、ぼくがしゃべれるようになって、なによりうれしいはずなんだ。 「母さん」  そうだ……ぼくも謝らなきゃ。 「このまえ、母さんのパソコン見ちゃったんだ。声の病気について、たくさんページが登録されてるの」  きょとんとしていた母さんの目が、さらに見開かれた。 「ごめんなさい、勝手に見て。それから……ありがとう。今日までずっと」  部屋に入ると、そっとドアを閉めた。  少しして、ドアの向こうで鼻をすする音がした。  机に茉莉子さんを座らせると、包帯からのぞく茉莉子さんの目も、まるでうるんでいるように見えた。 「そっか。清司さん、心配だね」  朝、登校班の列で学校に向かう途中、美乃梨は歩きながらうつむいた。  今日は晴れたけど、ひと晩積もった雪が道路のはじっこにこんもりと残っている。校庭はどうなっているかな。雪だるま作れるかな。  うしろで奏多もしみじみと言った。 「気持ち悪いとか、怖いってうわさしてる人もいたけどさ。毎朝清司さんがベンチにいるのが当たりまえになってたから……やっぱ、いないとさみしいよな」  ぼくも美乃梨も、肩を落とした。  いつものおじいさん、いないね。どうしちゃったのかな。  登校班の集合場所で、ほかの子たち何人かもそんな話をしていた。 「清司さんのおみまい、いきたいね」  美乃梨はそう言ったけど、ぼくは母さんから聞いたことを答えた。 「おみまいに行けるようになったら連絡しますって、貴之さんが言ってたって」 「そうなんだ……」  少なくともまだ、おみまいに行ける段階じゃないってこと。ふつうの病室には入れないのかな。それとも、面会しちゃいけないくらい、ひどいのかな。  すると、奏多が言った。 「比呂、手紙書けば?」 「えっ」 「会えないけどさ。手紙なら、その貴之さんに渡せば、清司さんに持ってってくれるんじゃね?」 「あ、そうか」  今までのぼくにとって、手紙は声で話すかわりの手段だった。  でも手紙って、遠くにいる人とか、ふだんは会えない人に送るものなんだ。 「そうだね。あとで母さんに聞いてみる。ぼくまだ、清司さんに伝えてないことがあるんだ」  よし、また手紙を書こう。そう決めたら、重かった足取りが少し軽くなった。  それなのに。  その日の帰りに、その機会は突然やってきた。
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