ツンデレお嬢様vsぶりっ子メイド~溺愛お兄ちゃん争奪戦~

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

ツンデレお嬢様vsぶりっ子メイド~溺愛お兄ちゃん争奪戦~

 金持ち一家・入江家では、しばしばこんな会話が行われる。 「どうしよう、燈次兄(とうじにい)」 「どうした、瑠璃華(るりか)。深刻そうな顔をして」  瑠璃華は瞳を潤ませていった。 「さっき鏡見てびっくりしちゃったの。今日も……今日もアタシ、日本一可愛いかもしれない!」 「そんなことないぞ、瑠璃華。冷静になれ。お前は日本一ではない。世界一可愛いぞ!」 「本当? もっかい言って!」 「何度でも言おう。俺の妹は世界一!」 「きゃーっ!」  瑠璃華は燈次兄に抱き着いた。燈次兄も瑠璃華を抱きしめ返す。燈次兄は瑠璃華を抱きしめたまま、その場でくるくると回りだす。瑠璃華もきゃあきゃあと笑いながら、彼にあわせてくるくる回る。25歳の兄・燈次と16歳の妹・瑠璃華はとてつもなく仲がいい。ほとんど毎週末、このようなやり取りを繰り返す。瑠璃華はちょっとした理由で、昨日からずっと苛々していたが、兄との会話で気分を取り戻した。やっぱり燈次兄って最高、と思った。 「何の騒ぎですか」  パタパタと小走りの足音が聞こえ、メイド服の女が登場した。この家に仕える20歳のメイド・さとである。さとの登場で燈次兄が回転を止めてしまったので、瑠璃華は寂しい気持ちになる。 「おう、さと。世界で最高の可愛さを瑠璃華が所有している件について話していた」 「燈次兄、もっかい言ってー!」 「この世界で最も可愛い瑠璃華!」 「たしかに瑠璃華さまは世界一愛らしいお方だと思います」  この騒ぎにさとも同意してくれた。だが瑠璃華は、さとの態度には少しばかり不満だった。瑠璃華が疑り深い性格だからかもしれないが、彼女の言動はどうも嘘くさく感じる。  瑠璃華がポケットに入れているスマホが鳴った。友だちからの電話だった。こんな朝に何だと思ったらもう14時だった。燈次兄たちから少し離れた位置に移動。面倒だけど一応電話に出る。内容は自慢話だった。瑠璃華はこめかみのあたりをコンコンと叩く。こめかみから目の奥にかけてのあたりが、何だか痛いような気がする。「今は心底忙しいから後にして」と言い、3分ほどで切る。その直後、さとと燈次の会話が聞こえてきた。 「しかし本当、俺の瑠璃華は世界一可愛いな」 「もちろんです。ところで……私は何位ですか?」 「え、さと?」 「はい、あの、私は燈次さまから見て、世界で何番目に可愛いと思っていただけるのかと」  さとは上目遣いで燈次兄を見ている。燈次兄は少し照れたように鼻の頭を掻く。 「そりゃあ、さとも世界い……」  瑠璃華は全身の毛が逆立った。思わず瑠璃華は叫ぶ。 「ちょっと、さとっ!」 「はい、何でございましょう」 「もう、あーっ、用事があるからあんただけ来なさい!」  瑠璃華はさとの返事も待たず、さとの手首を無理矢理掴んで引っ張っていった。  瑠璃華は、燈次のことが大好きだ。もし兄妹間で結婚が許されていれば、間違いなく兄と結婚することを選ぶ。だが現実には不可能。だが、だからこそ、燈次には誰が見ても素晴らしい女性といい仲になってほしいと考えている。「負けた!」と素直に思えるくらいの人でないと納得できない。例えば世界一のお金持ちだとか、世界一の美女だとか、聖人と呼ぶにふさわしい、世界一優れた性格をしているだとか。さとは庶民だ。容姿も地味だ。そして今日、ちょっと嫌な性格であることを瑠璃華は認めた。高貴なお嬢さまである瑠璃華を、瑠璃華にお仕えしているだけのメイドが、燈次兄に媚びるためのダシとして使ったのだ。許せない。  さとはたぶん、自分のことを可愛いと思っている。そうじゃなきゃ「世界で何番目に可愛いですか」なんて質問はできない。そのくせ、「私は地味で可愛くない」なんて口癖のように言っている。そこも腹が立つ。しかも、最近の燈次兄は、さとのことをちょっと気に入っているような素振りである。許せない。  しかもこんな、苛々して仕方のない時期に、こんな屈辱を味わわせるなんて。もう許さない!  瑠璃華とさとはキッチンに着いた。瑠璃華の怒りなど気づいていないようで、さとはとぼけた表情で瑠璃華に尋ねる。 「どのような用事をいただけるのでしょうか」 「林檎よ。急に食べたくなったの。今すぐ剥いてちょうだい」 「かしこまりました」 「ただの林檎じゃないの。品種は『黄金風景』じゃなきゃ駄目。あのすっごい甘くて美味しいの、あれ以外の林檎を出したら承知しないから」  黄金風景とは希少価値のある林檎で、その辺の店では調達できない。遠方から取り寄せるしかない。今すぐ出せと言うのは無茶である。瑠璃華は小悪魔のようにいやらしく微笑んだ。 「その、『黄金風景』ですが」 「メイドの癖にお嬢さまのほしい物を用意できないの!」 「いえ、ございます。燈次さまが食べたいとおっしゃられたので取り寄せたものが、ちょうど午前中に届いたんです。いくつ召し上がりますか?」  まさか用意できるとは思わなかったので、瑠璃華の目は動揺して泳いだ。 「えっ!……ひ、ひとつよ。すぐ剥きなさいね。アタシの気が変わらない内に!」  さとは金色に輝く林檎を取り出し、果物ナイフで皮を剥き始めた。 「さと、手が止まってるじゃない! 1日の長さが無限だと思ってるの?」  さとの手は軽快に皮を剥いていたのだが、瑠璃華はあえていちゃもんをつけた。さとは「申し訳ございません」と言い、少し慌てたように皮剝きを続ける。瑠璃華は得意な気分になった。  途中、瑠璃華は眠くもないのに3度続けてあくびをした。眠気と関係のないあくびは瑠璃華をひやりとさせる。これちょっと、よくないやつかも。そんなことを考えていると、甘いにおいがふわりと舞った。見ると1口大に切った林檎が皿の上に綺麗に並べられている。瑠璃華の口内は唾液でいっぱいになった。だが瑠璃華は必死に唾を飲みこみ、興味がないというふうを装って言った。 「さとが遅いから、アタシ食べたい気持ちがなくなっちゃった」 「申し訳ございません。冷蔵庫に入れさせていただきますので、気が変わりましたらお教えください」 「そんなことよりアタシ、運動がしたくなっちゃった。こっち来て」 「しかし」と言いかけたさとの手首を掴み、強引に引っ張った。途中、また眠くもないのにあくびが出た。  次にふたりが来たのは家の中の廊下。瑠璃華の父が買った壺のすぐ近くにさとを立たせる。 「ボール遊びをしましょう。アタシが投げるから取ってね。しっかり受け取らなきゃ許さないから!」  瑠璃華はハンドボールサイズのゴムボールをさとのほうへ投げる。と言っても彼女の手が届くよりもうんと上。 「あっ」とさとは叫んだ。媚びたような、甘えたような、瑠璃華の神経を逆なでする高めの声だった。頭に響く、嫌な感じの声。瑠璃華はまたこめかみのあたりをトントンと叩いた。  だがその声のトーンとは裏腹に、さとは大きくジャンプをしてボールをしっかりとキャッチした。さとは女ぶった言動が目につくが、案外運動神経はいい。 「よく受け取ったわね。次行くわよ。受けなさい!」  瑠璃華は次々とボールを投げてさとに取らせる。しっちゃかめっちゃかな方向に投げたが、さとはすべて取った。壺に身体が触れてひやりとする、ということすらなかった。 「瑠璃華さま、もうやめましょう」 「次はもっと遠くに投げるから覚悟しなさい!」  また眠くもないのにあくび。それを打ち消すように瑠璃華は首を左右に振り、大きく振りかぶる。  すると、くらり、と景色が揺れた。瑠璃華はバランスを崩し、倒れそうになる。 「瑠璃華さま!」  さとは叫び、瑠璃華に駆け寄ってきた。そして瑠璃華の身体を両腕でしっかりと抱きとめる。  さとは心配そうに眉をひそめて瑠璃華の顔を覗きこみ、5秒ほど見つめた後、ゆるく微笑んだ。 「瑠璃華さま、お部屋で少し休みましょう」  瑠璃華は抵抗しようとしたが、自分の部屋のすぐ近くでボール遊びをしていたせいで、易々と部屋に戻されてしまった。さとは瑠璃華のベッドを整え、瑠璃華に寝るように提案する。だが瑠璃華はプイッとそっぽを向き、頬を膨らませる。 「アタシ今すぐ海に行きたいわ」 「海もいいですがまずはお身体を」  瑠璃華は眠いわけでないのにまたあくびをしそうになった。慌てて口元を抑えて隠す。さとはちょうど枕の位置を整えるために下を向いていた。見られていなかったようだ。さとは瑠璃華の部屋に設置された浄水器に行ってコップに水を汲み、ベッドの傍のテーブルに置いた。「水はたくさんお飲みくださいね」という言葉とともに。  この女、まさか……アタシに水をガボガボ飲ませて、おねしょさせようとしているの? そう考えて瑠璃華は気を失いそうなほど不安になったが、すぐにそんなわけないか、と考え直した。さすがにさともそこまでの性悪ではないと思う。ただちょっと計算高い雰囲気があるだけで。いや、待って。そんなわけがない、とも言い切れない。今日はさすがにいじめすぎた。いつもぽやっとした振る舞いのさとも、復讐心を持ってしまってもおかしくない。瑠璃華は意地の悪い性格をしているが、根は小心者だ。報復という言葉に瑠璃華は恐怖を感じる。どうしよう、今すぐ逃げて、燈次兄に助けを求めたい。でも、どうだろう。実はさとをいじめたなんて知られたら、燈次兄に嫌われるかも。  さとは何食わぬ顔をしたまま、当たり前のことのように、それを口にした。 「頭痛薬は必要ですか?」 「えっ?」 「ご用意いたしますよ」 「……どうしてアタシが今、頭痛いって知ってるの」 「先ほどからずっとあくびをしていらっしゃるので、頭痛の前兆ではないかとずっと思っておりました。違いましたか?」  正解だった。今瑠璃華は、こめかみのあたりにズキズキと波打つような痛みを感じている。瑠璃華は頭が痛くなるとき、たいてい空あくびが予兆として現れる。 「でも、ただ眠いだけかもしれないでしょう。さっきふらついたのだって、ただ疲れただけかもしれないでしょ。あくびだけで頭痛と思うのって変よ」 「そうですが、その」  さとは急に歯切れが悪くなった。他に何か理由があるらしい。 「思ってることがあるなら言って」  さとを睨みつけると、さとは肩をぴくりとさせた。そして閉め切った部屋にふたりきりだというのに、さとは部屋の隅々に、誰もいないことを確認するような疑り深い視線を走らせた。その後で瑠璃華に近づき、耳元に口を寄せ、聞きとれるかどうかというギリギリの音量で言った。 「瑠璃華、今日、……女の子の日ですよね?」 「えっ!」  その通りだった。昨日から瑠璃華は生理になっている。 「女の子の日の直後とか、直前とかって、頭痛になりやすいらしいですよ。私もちょっとその傾向がありまして。もしかしたら瑠璃華さまも同じではないかと思いまして……」 「ちょ、ちょっと待って。それはいいとして、何でアタシが今ちょうどそうだって知ってるの!」  まさかアタシのそういう日の日程を記録しているとか? 気持ち悪い。ストーカーじゃん! 勝手なホラーストーリーを作り出して鳥肌を立てている瑠璃華だったが、理由は驚くようなものではなかった。 「あの、今朝、瑠璃華さまが昨日お召しになったお洋服を洗濯しましたので……」  ああ、と呻いて瑠璃華は納得した。そして恥ずかしさで顔が火照るのを感じた。  瑠璃華が丸1日持っていた憤りはこの瞬間、すべてが不安や心細さ、申し訳なさに変化した。急に自分が小さくて情けない存在のように感じられた。瑠璃華はさきほどまでの威勢をすっかり忘れ、叱られた子どものように背中を丸めた下を向いた。 「……ごめんなさい」 「いえ、洗濯のことなど瑠璃華さまが謝るようなことでは」 「そうじゃなくて……。それもだけど、その、今日……色々、意地悪して、ごめんなさい」 「体調の乱れやすいときに気が立ってしまうことなんて、珍しいことではありませんよ」 「ううん。アタシ、たぶん他の日でもああいう態度取ったかも」  30秒ほど沈黙が流れた。その後でさとが、恐る恐るというふうに尋ねた。 「……私に何か、瑠璃華さまにご不快な思いをさせる振る舞いがありましたか」  瑠璃華は今朝の、さとが燈次兄に媚びるダシとして瑠璃華を使ったことを、怒ろうかと一瞬思った。だがそんなことができる立場ではないとすぐに考えた。瑠璃華は静かに首を左右に振った。さとは心配そうにううんと唸り、また恐る恐るというふうに尋ねてきた。 「何かございましたら、遠慮なくお教えください」 「……さとは」 「はい」 「自分自身のこと、けっこう可愛いと思ってるでしょ」 「ふゃあ!」さとは尾を踏まれた猫のように叫び、慌てて首や両手を左右に振って否定の意を表し始めた。 「いえ、私なんて可愛くないですよ。地味だし華がないし、化粧も下手だし、お尻ばっかり大きくてみっともないし」  嘘だ。日ごろの振る舞いから見ると、さとはけっこう自分で自分を可愛いと思っている質である。瑠璃華はこの考えに絶対の自信を持っている。ことあるごとにお尻の大きさをコンプレックスだと言い張るのだって、実のところ、人より大きなお尻を自慢だと思っているからだ。燈次兄はお尻フェチなのを公言しているのに、わざわざ尻のことを言うなんて、どう考えたってアピールだ。大人しそうな顔をして自虐風自慢を平気でする性格なんだ、さとは。さすがに瑠璃華は、この考えを本人にぶつけるつもりはないけれど。でも、少しは突っこんだことを言いたいと思った。 「本当のこと言って、さと」  瑠璃華は顔を上げ、さとを正面から見つめる。さとは恥ずかしそうに下を向いて、しどろもどろになりながらも回答した。 「あの……少しは、その、見ても不快にならないていどでは、あるかと、思ってはおります、すみません」  嘘、嘘。本当は『ちょっとがんばれば私はアイドルとして食べていける!』って思ってる。でも今は言うときじゃない。意地悪な性格の瑠璃華も、さすがにそれは自嘲する。あっけらかんとした口調で別の言葉を返す。 「別にいいんじゃないの。さとも、まあ、可愛いほうだと思うよ」  半分はお世辞だが、もう半分は本音だ。瑠璃華ほどではないけれど、可愛いと言っても間違いではないと、瑠璃華も一応思っている。 「本当ですか!」  さとの表情はぱっと明るくなる。さとは顔の前で手を組み、あからさまに可愛い子ぶったポーズをする。こういうポーズをすぐするのが、ぶりっ子な証拠なんだってば。今は言わないけど。  さとはウフフっと優雅に笑って言った。 「私もいつか瑠璃華さまくらい可愛くなれるでしょうか。今度可愛さの秘訣、教えてくださいね」  見え透いたお世辞なんていらないっての、と瑠璃華は返したくなったが、言わなかった。言うタイミングではなかったし、そもそも、本当にお世辞ではないかもしれないのだ。さとは今、無邪気な子どものように屈託なく笑っている。笑い声は淑やかなのに、男の子みたいに歯を見せて笑っている。いくら疑り深い意地悪な瑠璃華も、こればかりは本当なのではと思ってしまうような笑顔だった。さとのこういう疑いきれないところが、瑠璃華は苦手である。  この会話の直後、さとはすぐに部屋を出ていった。あまり長居して瑠璃華の体調を悪化させたくない、と思ってくれたらしい。安心したせいか、瑠璃華の頭痛は一気にひどくなった。頭を金槌で打ちつけられているような、ガンガンと響く痛みである。無理に身体を動かしたのも悪かったかもしれない。こんなときは寝る他ない。  今はとにかく寝よう。そして起きたら、さとにあの林檎を持ってきてもらおう。あの林檎、やっぱり食べたかったな。甘くて美味しいんだもん。もう1個も剥いてもらおうかな。今ならひとりでいくらでも食べれる気がする。でもひと切れはさとにあげる。大きいやつ。でもそれ以上はあげない。アタシ、けっこうケチなんだから。それに、こんなことしてあげるのも今日だけだからね。他の日は何も譲ってあげないからね。林檎も。燈次兄も。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!