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余命ヒロインの妹
私の姉は、大人になれない。
そう聞かされたのは、私が保育園に入るちょっと前だったと思う。
近所で麻疹が流行し、私と姉もご多分に漏れずに発症し、一週間悶絶したあと、私は無事に完治したものの、姉だけはいつまで経っても治らず、心配したお母さんが病院に相談したところ、大きな病院で診てもらうこととなったのだ。
私は近場の叔母さん一家に預けられた。
従兄弟の徹くんとテレビゲームをやり、赤ちゃんの満美ちゃんの面倒を見て待っていた。
「おばちゃんまだ帰ってこないね」
「そうね」
うちはテレビゲームをやる習慣があまりなく、対戦ゲームでは私が手も足も出なかった。それを見かねた徹くんは「これを一緒にやろう」と、協力プレイができるRPGをやっていた。
あともうちょっとで洞窟をクリアできる。ふたりで一生懸命ゲームをしていたところで、やっとお母さんが迎えに来てくれた。
「ああ、お母さん。お帰りなさい」
「蛍……」
日頃からお母さんは感情豊かな人であり、面白いときは素直に笑い、機嫌が悪いときは素直にむっつりとしている人だった。そんな人が、今日は憔悴した顔をしているのが気になった。
「お母さん?」
「蛍……」
お母さんに抱き着かれて、私は腕をパタパタとした。後にも先にも、あれだけきつく抱き締められたのはこの一度きりであり、それだけお母さんが大人の仮面を被ることすらできなかったんだろうと、今だとそう思える。
お母さんはぐったりとした調子で、言葉を紡いだ。
「お姉ちゃんね……雪奈ね……もう大人になれないんですって」
最初、なにを言われているのか、意味がわからなかった。
****
私は麻疹にかかっても大したことはなかった。元々予防接種を受けていたこともあり、熱で寝込んだだけで後遺症もなくケロリとしていたのである。でも、姉は違った。
姉は本当に稀に存在する、予防接種をしても免疫ができない体質だったのである。結果として、姉は麻疹のせいで後遺症が残ってしまったという。免疫不全。全体的にそう言うらしい。
「お嬢さんは大変申し訳ございませんが、成人できるかどうかがわかりません」
そう医者に通知を受けてしまったという。
お母さんからしたら、混乱しただろう。なによりも熱でぼーっとした姉は、マスクをしてゲホゲホとしたまま、お母さんの背中を抱き締めたのだ。
「もう言われたものはしょうがないじゃない。帰りましょう
「雪奈……っ」
どちらが親でどちらが子かわからないなと、私は思った。
叔母さんはすっかりと憔悴したお母さんを気の毒がり「なにかあったら蛍ちゃんは預かるからね」と言って見送ってくれた。満美ちゃんの面倒を見ていた徹くんは、気の毒そうな視線を私に送っていた。
今思っても、私はこの頃からなにかがずれてしまったのだけれど、あのとき私はどうすればよかったのかが、今になってもよくわからない。
どうにかできたら、もう少しマシな未来に辿り着けたんだろうか。
人生には諦めが肝心だから、どうにもならないと諦観するしかなかったんだろうか。今考えてみても、打開策がさっぱり思いつかないでいる。
****
私が保育園に預けられているときは、普通に保育園で遊んでいればいいだけだったけれど、私が口酸っぱく注意を受けるようになったのは、小学校に入学してからだった。
姉は小学校に行ったり行かなかったりで、もうこの頃には季節の変わり目には布団に潜ってゲホゲホと咳をしながら寝ている姉が目に入っていた。
友達百人できるかなと本気で信じていた私に対して、母は割と残酷なことを言ってのけたのだ。
「いい? 蛍。友達を家に連れてきては駄目よ」
「ええ……どうして」
「お姉ちゃんに移ったらどうするの」
お母さんはこの頃から、ずっと姉にかかりっきりになっていた。
姉がゲホゲホしたら、すぐに病院に出かけていく。そのたびに叔母さん家に預けられ、私は徹くんとゲームをしていた。中には家に帰れないときだってあり、だんだん叔母さんは私に対しては厳しいことを言わなくなっていったものの、たびたび叔父さんと愚痴っているのを耳にするようになった。
その日も皆で布団を敷いて眠っている中、ふとトイレに行きたくなって廊下に出たときに、リビングから叔母さんと叔父さんの話が聞こえてくることに気付いて、耳を澄ませた。
「おねえさんも勝手よ。雪奈ちゃんが可哀想なのは間違いないけれど、蛍ちゃんだって娘でしょうが」
「こら、子供たちに聞こえるから」
「そうだけど。でも自分の家なのに全然帰ってこない。友達と遊ぶ制限だってする。小学生になったら、もう友達と遊んで交友関係深めなかったらいろんなことができなくなるのに、雪奈ちゃんのことにかまけっきりで、そのこと忘れてるでしょ」
「そういうもんか? 大人になってからでも……」
「もう、それだけじゃ全然駄目よ」
私は叔母さんがなにを怒っているのか、あのときはよくわからなかった。
トイレを済ませ、すっかりと私専用になってしまったお客様用布団に潜り込みながら考えた。
自分はもしかして、可哀想なんだろうか。
可哀想という言葉を使うと、なんとなく寂しくなって、布団を顔までぎゅっと被ってしまった。なにも考えたくなかった。
可哀想。そう言われると胸がきゅっとなる。
今でも私にとって、その言葉は一番言われたくない言葉になっている。
****
叔母さんに言われた言葉は、私の胸に突き刺さったまま、だんだん友達と話が合わなくなることを感じていた。
昼休み、ご飯を食べ終わり、給食当番として給食を片付けに行かないといけないとき、誰かが言った。
「ねえ、夏休みどこに行く?」
「うちはおばあちゃん家に行くくらいしかないよー」
「うちはねえ、今度親戚が結婚式に行くから、結婚式に行くんだあ」
皆ずいぶんとキラキラした話をしていた。私はそれをすごいなあと思って聞いていたら「ほたるちゃんは?」と話を向けられた。
私は困ってしまった。
「どこにも行く予定はないよ」
「あれ、学校で盆踊り大会あるけど、行かないの?」
「多分行けないと思う」
「なんでー?」
「人ごみに、あんまり行っちゃ駄目って言われてるから」
「ええー、変なのー」
そうキャラキャラと笑われてしまった。それがずっしりと私の中に重くのしかかった。
変なんだ。私は当時、まだ嘘も方便という言葉を知らず、聞かれたことをそのまんま答えてしまったがために、勝手に気まずくなっていた。
家の中では、病気にかかりやすい姉中心の生活を送っているために、家の生活はとにかく除菌生活だったのだ。
「人ごみには出歩かない、あんまり遠くには出かけない、なるべく早く帰ってくる」
お父さんは仕事で忙しくても、なにかと玄関で除菌スプレーを振っていた。私は私で、お小遣いがほとんど雀の涙程度しかもらわず、本当に近所以外出歩けないようになっていた。
それを見ていた姉は、ある日こっそりと私を呼んできた。渡してきたのは、私よりもちょっとだけ多いお小遣いだった。私は驚いて姉を見た。
姉は私よりもいつもいい服を着ていた。お母さん曰く「ほとんど家にいることしかできないから可哀想。せめていい服を着て気分を盛り上げてね」ということだったらしいが、私は姉のお下がりしか着てないのに対して、姉は子供ブランドの上等なワンピースをいつも着ていた。
「あのね、私のためにマンガを買ってきて欲しいの」
「ええ、でも……」
近所でマンガを買うには、どうしても人通りの多いショッピングモール内にある本屋にまで行かないと、買う場所がなかった。当時の私たちでは通販で物を買うのは不可能な以上、自転車を漕いでそこまで行って戻ってくるしかない。
姉は私に訴えた。
「だって、私マンガ読みたいけれど、誰も買ってくれないの。お母さん、私に可愛い服を着せているのはただ着せ替え人形にして自分を慰めているだけよ。私、可愛い服より本が欲しいのに」
今思っても、姉はお母さんのことをよくわかっていた。姉がもう治らないと言われてしまった病気のせいで、家と学校と病院を往復する以外にどこにも行けない生活に飽き飽きしていたが、お母さんは奇跡を信じてあちこちに通っていた。
時には変なものにはまりそうになるのを、お父さんと叔母さんで止めていたものの、肝心のお母さんのずれを元に戻すことは、できなくなりつつあった。
姉はそんなお母さんを見かねて、私にお小遣いを渡して頼むのだ。私はお小遣いを財布に入れた。
「わかった。行ってくる」
「お土産買ってきてね」
「うん」
私は自転車を漕いで、ドキドキしながらショッピングモールに出かけた。
近所の子だったら当たり前に出かけるショッピングモールだけれど、私は登下校中に遠巻きに見ることしかできなかった。
子供の足には広過ぎるのを、地図を睨めっこして、本屋の看板を探す。そして場所を確認してから、いそいそと出かけていった。
姉が行っていたマンガは、本屋のマンガコーナーの一番いい場所にたくさん積まれていた。私はそれを一冊取ると、わくわくしながらレジに並んで買った。
初めてショッピングモールにひとりで行った。初めてひとりで本を買った。なによりも。初めて姉に頼りにされた。その満ち足りた気分は、「あれをしちゃ駄目」「これをしちゃ駄目」と言われ続けていた私にとってはなによりものごちそうであり、足取り軽く自転車を漕いで元来た道を帰っていった。
でも。
「ただいまー……」
「蛍……!?」
お母さんの怒鳴り声が聞こえた。
私はびっくりすると、姉は苦しそうにエビのように体を丸めて眠っている。顔は真っ赤で、また熱を出していたようだった。
「なんでお姉ちゃん寝てるのに、勝手に外に出て行ってるの!?」
「だって……」
「お姉ちゃん熱出したら薬あげてねっていつも行っているのに! お姉ちゃん熱引かなかったらどうするの!?」
「だって…………」
熱で朦朧とした姉は、潤んだ瞳で、パクパクと口を開いた。
「ごめん」と、そう言っているように見えた。
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