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Ⅱ 一組目
遠藤さんたちが初めて店に来たのは、開店直後の慌ただしさも落ち着いた去年の四月のことだった。
「おお、セリそばがある! 僕はこれが大好物でねえ」
白木のカウンターに並んで座った、いかにも食べることが好きそうな恰幅のいい旦那さんと、物静かな細身の奥さん。三十代後半とおぼしきふたりの左の薬指には、まだ新しそうな銀色の指輪が光っている。
「お嬢さんは学生さん?」
「いえ、従業員です」
旦那さんに気さくに尋ねられて、私は内心苦笑した。
童顔の私は、十歳上で強面の達也さんとカウンターの中で並んでいても、バイトの学生にしか見えないらしい。
「僕らはこの四月からそこの××に住んでてね。ああ、この人は仕事があるから、週の半分くらいは都内の実家に泊まってるんだけど」
さりげなくP駅直結のゴージャスな新築タワマンの名前をあげた彼は、「すごいですね」と目をまるくした私にいやいやと軽く手を振ると、
「別居婚の事実婚、それもスピード婚ってやつですよ」
人のよさそうな顔で続けた。
「彼女とは、僕のやってるビジネスの取材で半年ほど前に知り合ってね。籍を入れて名字が変わると、いろいろと不便だから。優秀な編集者のキャリアを損なうようなことはしたくない」
隣では奥さんが黙ってにこにこしている。彼女は夜遅い仕事や出張も多く、勤め先に近い実家とタワマンとの二拠点生活をしているそうだ。
その後、遠藤さんご夫婦は週一ペースで店に顔を出してくれるようになった。
服装に無頓着な旦那さんとは対照的に、ファッション誌の仕事をしているという奥さんはいつもスタイリッシュ。ひとりで来ていた遠藤さんを奥さんが車で迎えにきたときは、車までおしゃれだった。なんともいえないくすみカラーの、昔の外国映画に出てきそうな小型車。
「素敵なお車ですね」
運転席の奥さんに言うと、
「人気の車種なのよね、色も独特で。小さい割に燃費は悪いし、故障も多いけど」
彼女は長い髪を揺らして、嬉しそうにうなずいた。
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